惨供村の仮面

くまパン

惨供村の仮面

 「その仮面を買ったのは、ちょうど九日前の事だった。店に寄ったんだ。その店はボロボロで、暗い雰囲気が漂っていた。普段はそんなところ寄らないんだが、その日はなぜか無性に中を覗きたくなったんだ。店の中は、いろんなものがごちゃごちゃ並べてあってカオスって感じだった。色々見てたら、一つすっごい気になるものがあったんだ。それがその仮面だったってわけだ。手に取ったら、その仮面は木で出来ていたんだが、冷蔵庫で冷やしてたのかと思うくらい冷たくて、驚いたのを覚えてる。仮面の顔も独特でなあ、よくある能面なんだが、表情がすごいんだ。なんかこう、満面の笑みを誰かにぐしゃりと握りつぶされたような顔をしてるんだ。超気持ち悪かった。その仮面をしげしげと眺めてたら、


「その仮面が気になりますか」


と声をかけられてなあ。そっちのほうを向いたら、そこには痩せこけた老人がいた。よれよれのシャツを着て、目の下の隈がひどい、不健康そうな男だった。思わず


「あなたは誰ですか」


と聞いた。


「ここの店主ですよ」


と返されて、そりゃそうかと気づいた。


「その仮面はねえ、私が六日程前に手に入れたんですが素晴らしいですよ。表情はちっとばかし独特ですが、手触りがいいし、コンパクトで置物として置くといいアクセントになります。しかしこの仮面の真骨頂は付けることにあります。付け心地のすばらしさ、付けることによる高揚感。仮面を付けると幸せになります。」


と店主は言った。前半はともかく、後半の内容のうさん臭さに俺は顔をしかめた。


「何だその説明。まるで麻薬みたいじゃないですか」


と聞いた。


「いやいや本当なんです。試しに一回付けてみてくださいよ」


と言われる。何か嫌な予感がした俺は断ろうとしたが、詰め寄ってくる店主の表情がすごい怖くてなぁ。超必死なんだ。断ったら殺されると思うくらい。店主に根負けして仮面を付けた。付けた瞬間変な感覚がした。何か決定的なことをしてしまった感覚。今までと世界が一変するような感覚が身を貫いた。


「ねぇ、気分が高揚したでしょう?」


と店主。


「いや、高揚というか、変な感覚……」


「それです!だんだんその感覚がはっきりしてきますから」


と言われた。店主に言われるとそうかもしれないと思ってきた。


「この仮面、いくらですか」


と聞いた。店主は


「料金はいいですよ。あなたは初めてこの店にいらっしゃった。そういったお客様には最初の商品は無料でお渡ししているんです」


と言った。俺は単純だからなんていい店なんだって思ったね。店主にお礼を言って仮面をもって店を出た。無料って言われて浮かれてたんだろうなぁ。無料より怖いものはないっていうのに」


 そこまで話すと男はふぅっと息を吐いた。「話すのも結構疲れるなぁ。ちょっと休憩でも……」男の動きが固まった。啞然とした顔で空中の一点を見つめている。しばらく見つめていたが、やがて思い直したようにこっちを見ると「いや、やっぱり話を続けよう。俺にはもう、あまり時間はないみたいだ」と言った。僕には訳が分からなかった。


 「じゃあ、続けるぞ。俺はその仮面を持ってウキウキで家に帰った。家では妻が出迎えてくれた。妻は仮面を見て怪訝そうな顔をしたが、俺が経緯を話すと了解してくれた。しかし


「私はちょっと嫌だから自分の部屋に飾ってね」


と言われた。確かにこの仮面は表情に個性がありすぎて、リビングに飾ると悪目立ちするなと思ったので、素直に妻に従うことにした。二階にある自室に足を運ぼうと階段のほうを向いた。そしたら、階段の上に人影が見えた。


「え?ありさ帰ってきているのか?」


娘のありさはいつもなら、今の時間帯は学校にいるはずだ。


「いや?帰ってきてないわよ。なんで?」


「階段の上に人影が見えたんだ」


「ええ。やめてよ」


みたいな会話をしたな。そのあと二人で二階を調べたが、何もなかった。妻は気のせいだといったが、割とはっきり人影を見たから気のせいだと思えなかった。俺は仮面を部屋に飾った。その日はその後何もなかった。その日は。次の日朝起きたらいた。俺の部屋はベッドから押入れが見えるんだが、その押し入れが少し開いていて、中に居たんだ。女の生首が。こっちを見てニタっと笑っていた。俺は声にならない悲鳴を上げた。なりふり構わず階段を駆け下りて一階の、妻と娘が寝ている部屋に逃げ込んだ。必死の形相で説明する俺の話を聞いて、二人とも心底怖がっていたな。それからしばらく三人で固まって震えていたんだが、日も登り始めて、そろそろ動かなくちゃという事で朝の支度を始めた。二階の生首のことは後で考えようという事になった。俺は顔を洗うために洗面所に行き、蛇口をひねった。蛇口からは赤い液体が出てきた。「は?」って声が出たね。意味が分からなかった。その間に手に液体がかかった。ねっとりした感触に怖気が走った。その液体は確実に血だった。俺は何が何だかわからず、その場に尻餅をついてしまった。音に気づいて駆けつけた妻が手に血がついているのを見つけ介抱してくれたが、蛇口からは普通の水が出ていたらしい。本当にあの時は、俺の頭はおかしくなったのかと思ったね。結局俺は仕事に行った。妻と娘は心配してくれたが、大事な会議があったんで休むわけにはいかなかった。その日は一日中、どこかからはっきりと何かの気配を感じた。帰ってきた後、妻と娘に何か異変があったか聞いたが、二人には特に何もおかしいことは起こっていなかった。自分にだけ起こる怪奇現象。その恐怖が俺の心を蝕んでいった。これが今日一日だけ起こった偶然であることを祈って床に就いた。一睡もできなかったが。そして次の日の朝、首から上のない女が包丁をもって目の前に立っているのを見て、地獄が続いていることを理解した。俺はその場で失神した。次に目が覚めた時も俺は同じベッドで寝ていた。違ったのは妻が付き添ってくれていたことだ。起きてすぐに取り乱した俺をなだめ、丁寧に話を聞いてくれた。妻といろいろ話し合った結果、あの仮面が怪しいという事になった。仮面を買った次の日から怪奇現象が起こるようになったから。一度仮面が怪しいと思うと、なんで今まで疑わなかったのかわからないくらいあの仮面が原因としか思えなかった。改めてみる仮面の顔は、思わず目を逸らしてしまうほどのおぞましい笑顔だった」


 そこまで話すと男は荒く息を吐いて椅子にどっかりと座った。男をよく見ると、顔からは脂汗が出ていて目の下には隈ができていた。もともと荒かった息がさらにひどくなっている。このまま呼吸困難にでもなりそうな勢いだった。しかし男は一呼吸だけおいてまた話し続けた。僕には彼の話を止める手段はなかった。


 「ふー。それで、俺はその日のうちに仮面を返品することにした。ついでに店主に怪奇現象のことを問いただしてみようと思った。仮面を買った店へと足を運んだ。店に入ると店主が待ちかねたような顔をして椅子に座っていた。


「遅かったねぇ。もう少し遅ければ間に合わないとこだったよ」


と店主は言った。


「どういうことですか?それに、この仮面は何なんですか?この仮面を買ってから怪奇現象が起き続けるんです!」


と俺はまくしたてた。この時、店主の後ろにも刃物を持った女がいた。おそらく怪奇現象だろうその女は笑顔をぐしゃりと握りつぶしたような顔をしていた。仮面と同じ表情だ。


「まあまあそう慌てなさんな。とりあえず、そこに座りなさい。私が知っていることをすべて話そう」


店主の言葉に、俺はしぶしぶ椅子に座り店主と向かい合った。それを確認したのち、店主は話し始めた。


「その仮面は、惨供村という村で作られたらしい。ある一人の女性の最期の表情を模して作られたそうだ。ゆえにその仮面には、その女性の怒りや恨みが呪いとなって宿っているらしい。そのため、その仮面をつけた者は『惨供村の呪い』にかかる」


そこまで話すと、店主はそこから先を話すのをためらったのか顔を伏せた。俺はその姿に余計話の内容が気になって


「早く話してください!その『惨供村の呪い』って何ですか」


と催促してしまった。今思えば、この話を聞かなかったら俺は今頃ここにはいなかっただろうな。少なくとも今より幾分気持ちは楽だっただろう。だが、聞いてしまった。店主は話を再開した。


「『惨供村の呪い』にかかったものは例外なく、付けた日から三日後から九日後の間に死ぬ」


俺はあまりに衝撃的な事実に言葉も出なかった。店主は続けた。


「死因は様々だが、必ず包丁を持った女性を死に際に見るらしい。私はまだ見ていないが」


俺は背筋が凍った。だってもう、そいつはいたから。俺は震える手で店主の後ろを指さした。


「なんだ、もういるのか。じゃあ私は、やっと終われるんだな」


店主の疲れ切った顔が、少し安心したかのように和らいだのが見えた。


「ああ、最後にもう一つ。君に大事な人がいるなら、その人たちとは早急に離れたほうがいい。この衝動は抑えられるものではないからね」


店主が話し終わらないうちに、俺は店を飛び出した。あの女が怖くてしょうがなかった。無我夢中で家に帰った。仮面は店に置いたままだった」


 そこまで話すと、男は地面に置いてあったペットボトルの水を飲んだ。男はよれよれのスーツを着ていた。何日も洗われていないみたいだった。体も汚く、風呂にも入っていないみたいだ。


 「家に帰ると、妻が困惑した顔で出迎えてくれた。その手に持っていたのはあの仮面だった。


「もぉあなた。仮面持って行き忘れたの?」


と聞かれたが、そんなはずは無い。ちゃんと持って行ってそして店に置いてきたはず。俺は慌てて妻から仮面を奪い取った。こんな恐ろしいものを妻に触らせたくなかった。


「一応聞くけど、仮面被ってないよな」


「もちろんよ。こんな気持ち悪いもの」


その言葉を聞いて安心した。しかしそれと同時に、被ってくれればよかったのに。という感情が芽生えた。俺はそのことに困惑した。店主の最期の言葉を思い出した。衝動って、仮面を誰かにつけたくなることなのか!と気づいた。その間にも心の奥底では、仮面を妻に付けたい気持ちがどんどん膨らんでいった。俺は仮面を持って一目散に自分の部屋に駆け込んだ。部屋で少し考えて家出することにした。妻と子を守るため。妻に怪しまれないためにスーツを着た。仮面をカバンの中に押し込み、妻には会社に行くと言って家を出た。特に目的地はなかったが、人がたくさんいる東京に足を運ぼうと思った。家出生活中にも怪奇現象は次々と起こった。その中でも一番怖かったのはスクランブル交差点を通った時だ。交差点のちょうど真ん中で腕をつかまれた。腕をつかんでいたのは学生服を着た少年だった。彼は笑みをぐしゃりと握りつぶされた顔をしていた。俺は情けない悲鳴を上げながら腕を振りほどき、その勢いで地面にすっころんだ。周りの大勢の人が、俺を見た。俺は顔を上げて、そして失神したよ。なぜかって?こっちを見る人々の顔が全部あの顔だったんだ。数え切れない無数の顔が全部。まあそんなことが色々たくさんあって、俺はそれでもまだしぶとく生きていた。心はもうとっくに死んで、地獄にいるような気分だったが。それで仮面をつけてから八日目に突入した時だった。俺は猛烈にある欲求に襲われた。それは誰かに仮面をつけたいという欲求だ。他のすべての欲求を差し置いてそれが俺の頭を支配した。今思えばあの時家族と離れていて本当に良かった。俺は人を求めて当てもなくさまよった。深夜だったからそんなに人がいなかったがさすが東京。そんなに時間もかからず人を発見した。俺はそいつに襲い掛かり仮面をつけようとしたが、普通に抵抗されて逃げられた。人間の抵抗力を甘く見ていたんだな。そのあと何人かに当たったがことごとく失敗した。よく考えたら当然だよな。長い間ろくに寝ず、飲食もおろそかにしたやつ相手にやられるやつがいるかって話だ。その後誰かが通報したのか、警察が来たんで逃げた。逃げた後俺は計画を立てた。絶対に仮面をつけられる計画を。計画を立て準備まで完了するころにはもう九日目の昼過ぎだった。俺は急く気持ちを抑え慎重に計画を実行した。人気のない裏路地に入り込み両手で持てるほどの重たい石を持って物陰に潜む。そこを通りかかった愚かな青年の後頭部を思いっきり叩き気絶させる。あらかじめ準備しておいた廃墟の一室に連れ込み椅子に縛り付けた。そしてそいつが起きるのを待った。なぜかそいつが起きている間に仮面を付けなくてはならない気がした。何時間後にそいつが起きた。早速仮面を付けようと思ったが、何も知らずに仮面を付けられるのはかわいそうだと思ってな。そいつに事の顛末を全部話してやることにした。ってまあこんなところだ。大体わかったか。よし。それじゃあそろそろ仮面をつけようか」


 男は立ち上がり、傍に置いていた仮面を取った。僕は抵抗した。しかし体中が椅子にきつく縛られていて身動き一つとれない。僕は泣いて懇願した。しかし男の動きは止まらない。ついに仮面が僕の顔に付けられた。仮面を付けられた僕は憎悪とともに男をにらみつけた。しかしその後ろを見て、全ての感情は恐怖に塗り替えられた。


「これで俺の役目はおわ


 頭と胴体が泣き別れになった男の後ろに立っているその女は、血まみれの大きい包丁を持ち、笑顔をぐしゃりと握りつぶしたような顔をしていた。

 





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