呪詛売り

百歳

黄ヶ崎島へ

 千崎が野生の呪詛を集めにいくというので、私もついてゆくことになった。正気を疑うほど高値で取引されているらしい。行き先は黄ヶ崎などという聞いたこともない島である。

 ふたりともへべれけに酔っ払っていたので、じゅそかなんかしらんけどアンタがいるとこならどこだっていいよ、と適当に笑っていたら、千崎はまたたく間に私の乗船券を予約していた。行動力のある酔っ払いほど性質の悪いものはない。黄ヶ崎島について検索していると、空けたばかりの久米仙の一合瓶をキッチンから持ってきて「ちょうどいいし、これが吉成のぶんね」とへらへら笑った。訊けば、呪詛の容れ物は酒瓶と決まっているらしい。しらねえ。度数の高い方が呪詛が暴れないのだと千崎はない胸を張った。そうか、酔いがまわりすぎて現実と夢の境がなあなあになっているんだねかわいそうに。

 正気を失った友人の言動を嘆いていたら、正気を失った友人は「私はどれにしようかな」とクローゼットを開ける。千崎の狭いクローゼットには空き瓶が行儀よく並んでいた。え? 妄想もここまでくると心配なんだけど。目を凝らしてみたら、酒瓶に手書きのラベルが貼られているのに気づいた。新宿・歌舞伎町、香川・小豆島、沖縄・那覇市……。

「いや呪詛ってマジな話?」

「は? マジだが」

 聞けば、呪詛は土地柄によってまったく異なっているらしい。しらねえ。

「呪詛があのなかに入ってるわけ?」

「そう。天然物だよ」

「あのー、呪詛ってどんな感じか、ちょっと聞いてみたいんだけど」

 千崎はしぶった。いちおう商品だからとのことだった。変なところが冷静で、それもちょっと怖かった。いや黄ヶ崎は私も一緒にいくし、てかどんなものを扱うかは理解しとくべきでしょ。早口でまくしたてたら千崎は面倒そうな表情で奥から四合瓶を引っ張り出してくる。

「これとかわかりやすい」

「呪詛にわかりやすいとか、あんの」

「ある」

 開封したら醸造がダメになって売り物にならなくなるから、相応の覚悟はしてね。千崎は姿勢を正していった。渡された酒瓶のラベルには大阪・宗右衛門町とあった。おそるおそる蓋をまわしてみると気泡の弾ける音がするけれど、とくに変わったことはない。眉間にシワを寄せた千崎が人さし指で耳を小さく叩いた。酒瓶の口に顔を近づける。遠くから関西弁の怒号とすすり泣く声がきこえた。ははん、なるほどね。



 年老いた女将さんは私たちの旅の目的が心中だと疑っているようで「ありがたいですけどなんでわざわざこの時期に?」としきりに尋ねてくる。盆の頃は越魂渡しというお祭りで島全体が賑わうらしいが、シーズンをすぎてしまえば来島者自体あまりいないようで、女ふたりで旅行客なんて滅多にないとのことだった。まさか呪詛集めなどとは口にはできないので、まあ誰もしらないところに旅行とかしてみたくて、と答えることしかなく、ますます疑われる。話題を逸らそうと島の名所を訊いてみたが、女将さんは困った顔で腕を組んだ。胸についた名札がわずかに揺れた。蜜峰とあった。

「夏場なら海って答えるんですが、ううん、もう波も冷たいので」

 いまは戻れないので海辺には近づかないでくださいね。私の目を見て念押しされる。はあ。曖昧に返事したら「夕方のお食事は十八時になりますから」と三つ指をついてから部屋を出ていった。扉の閉まる音がするなり、千崎はキャリーから四合瓶と一合瓶をとり出して畳に転がした。乱暴な手つきだった。

「誰が情死なんてするかっての」

 千崎は、なぜか怒っている。怒っている千崎はそうとう厄介なので、そうだねえ、と相槌を打ったら「そうだねじゃないよ」となぜか私まで怒られた。横目で千崎の様子をうかがうと、人さし指に髪をぐるぐる巻きつけていた。それが泣き出す間際の癖だと私は知っているので、なにもいわずに黙っていた。

 しばらくすると千崎は無言で一合瓶を差し出してくる。これ以上ヘソを曲げられるのも面倒なのでおとなしく受けとり、スニーカーに履き替え、影のように添って歩いた。呪詛の集め方は教えてもらっていないから千崎の真似をした。蓋をあけ、左手で瓶の細くなっているところを握る。どんな理屈なんだろう。腕をふるたび泡盛のにおいが漂った。風が冷たかった。

 小さな島だった。一部は舗装されているが大半は砂利混じりの道で、中心に向かうにつれてゆるやかな勾配になり、奥にはうっそうとした森がうかがえた。私たちは沿岸をめぐった。女将さんのいったとおり海は白波が立っており、足をひたせばすぐに身体が持っていかれそうだった。

 うら若き乙女ふたりが空の酒瓶をたずさえているさまはやはり異様らしく、すれ違う島民からの視線が痛かった。島民は思ったより多く、ほとんどが老人である。それもみな闊達であった。道端に座りこんで雑談をしていたり、畑で葉物の野菜を収穫していたり、そこらでゲートボールに興じている。車もまったく通らないので、島全体がゆったりしていた。

 千崎はずっと喋らなかった。まだ怒っているのかしらないけれど、だんだん腹が立ってきて、咳払いしたり、防波堤を蹴ってみたり一合瓶を軽くぶつけてみたりする。千崎は肩越しに一瞥するだけで歩みを緩めさえしない。立ちとまっても気づく様子すらなかった。しだいに距離が離れてゆき、背中はみるみる小さくなっていった。

「ねえちょっと」

 不安になって口をひらくと千崎はようやくふり返り、向こうからずんずん歩いてきて、人さし指を唇にあてた。それから瓶の蓋を閉め、私にもうながす。封したのをたしかめるとため息をついた。ありがとノイズはいっちゃうからさ。ふうん、そうだったんだ。千崎は目を細めて私の瓶をみつめていたが「ちょっとちょっとヒビっぽいの入ってるじゃん」と眉をひそめた。うわごめん。

「でもここ呪詛とか無縁そうなんだけど」

 あーそうなんだよね。千崎は弱々しく笑った。黄ヶ崎産の呪詛は法外な値段で取引されているが、いまのところそんな様子がないので絶賛拍子抜け中らしい。いやそれ私たちまれびと扱いされて奇祭に巻き込まれて監禁か最悪殺されるでしょ。千崎の両肩を揺らしながら半泣きになって訴えたら「そういう映画みすぎだって、オカルト好きはこれだから困る」と笑われた。呪詛集めてるやつだけには言われたくないんだけど。



 陽が傾いてきたので引き返すことにした。歩きづめだったし、呪詛を集めているかぎり千崎としゃべることもできないから願ったり叶ったりだった。波とおじいおばあの笑い声しか入ってないと思うんだけど、大丈夫なの。私が訊くと千崎は肩をすくめた。

「わかんない、夜もやるつもりではあるけど」

 マジか旅館でゆっくりしようよ。不満を口に出そうとしたら千崎は足をとめる。ちょうど夕陽が水平線にさしかかっているところだった。

「ねえためしに海ちょっと降りてみようよ」

「は? 行くなって言われたじゃん」

「吉成的にいえば禁忌をやぶるって感じだね」

「呪詛向けられてるの私たちってこと?」

「それが高い理由かもしれんし」

 よっしゃ。千崎は石階段から砂浜へ勢いよく降りてゆく。とめる間もない。しかたがないのであとに続いた。砂浜には私たちしかいなかった。いつだったか、千崎は海沿いで育ったと聞いたことがある。もしかしたら懐かしいのかもしれない。昔のことを話したがらないので、なるだけ私も踏み込まないようにしている。波打ち際まできたところで、海から吹き上げてきた一群の風が顔にぶつかった。思わず顔をしかめる。千崎は歯をむいて笑い、私もつられて笑った。

 私たちが笑いあっていたら、防波堤のほうから大声がきこえた。何人かの老人が私たちに対して怒鳴っているみたいだった。ほら言わんこっちゃない。千崎を小突きながら階段へ向かっていると、はやまるなとか流されるぞとか勘弁してくれとか順番が変わるなどと聞こえてくる。また千崎の機嫌が悪くなるってそっちこそ勘弁してよ。口のなかで呟く。千崎はこれこそが高額な理由だと判断したようで酒瓶の蓋をあけた。私も念のためあけておく。ずいぶんと器の小さい呪詛だと呆れていたら老人たちがいっせいに黙った。それどころか両手を口にあてている。あ、これぜったい海から異形がやってきたパターンだ。おそるおそるふり返ってみるが、さっきと変わらない橙色の海原が広がっているだけだった。

 いったん深呼吸をしてふたたび視線を戻すと、石階段を登ったところに白い和装の一団が見えた。「うわ」思わず声が出た。十五人くらい、いる。男も女も老人も子供も、いる。立ちすくんでいると一団はゆっくり石階段を降りてくる。彼らは小さな輿で誰かを運んでいるらしく、前後に四本ついた棒を男性がそれぞれ肩に担いでいた。みな手で口を隠している。両手、あるいは片手で。目が離せないでいたら、輿のバランスが崩れたのか乗っていた人の身体がゆっくりとかたむき、無抵抗のまま石階段に叩きつけられる。にぶい音を立てながら身体は落ちてゆき、砂浜に転がった。ぴくりとも動かなかった。そこでようやく、無防備に横たわっているのが民宿の女将さんだということに気づいた。降りてきた一団は無言を貫いたまま平然と彼女を持ち上げ、ふたたび輿に横たえる。はみ出た片手が力なく垂れていた。逃げ出すどころか声さえ上げられず、千崎の袖を掴んだ。指先から千崎の怯えが伝わってきた。一団はこちらをみつめながら横を通りすぎてゆく。波打ち際で舁いていた輿をおろすと、海に背を向けて膝をつき、両手で口を隠した。夕陽を浴びてそれぞれの輪郭が赤く光って見えた。「みつみねふみこォ」ひとりの老婆がひるがえって海に向かって叫んだ。反射的に酒瓶を強く握る。「みつみねェふみこォ」掠れた声が人の名前だと気づいたとき「みつゥみねェふみィこォ」あの和装の集まりが葬列だと悟った。千崎の袖を強く引っ張り「みうゥいえェうみィこォ」私は何度も首を横にふる。いつのまにか老婆は横たわった女将さんに叫んでいる。「いうゥいェういィおおォ」顔をのぞきこみながら何度も何度も。そのうちに女将さんが起き上がるさまが見えた。私は千崎の手をつかんで走りだす。



 千崎の部屋でささやかなお祝いをすることになった。黄ヶ崎産の呪詛がいい値段になったらしい。ぶ厚い和牛を焼き、缶ビールのケースを飲み干し、苺のホールケーキを切り分けないままふたりで食べた。よほど高値がついたのか千崎はずっと上機嫌だった。

 息を切らせて宿に戻って夢じゃないことたしかめあい、部屋の隅で震えていたら女将さんが夕食を運んできた。いたってふつうだった。海鮮御膳は豪華だったけれど食欲は湧いてくるはずもなく、かすかな物音にさえ怯えてしまってふたりとも眠ることさえできず、二泊の予定をキャンセルして島から帰ってきたのだった。落ち着いてからいちおう黄ヶ崎のまじないについて検索してみたが当然そんな記事などヒットしなかった。

 久米仙でへべれけに酔っ払っていたら「そういや吉成のやつは結局売れなかったんだ」と千崎は笑った。あの割れ目のせいで醸造がうまくできていると判断されず、買い手がつかなかったようだ。実際に千崎が貯まった呪詛を聞いてみたところ、明らかなノイズが入っていたらしい。うわマジかごめん。私が頭をさげていると千崎はクローゼットから一合瓶をとり出してくる。底の方にわずかなヒビが入っていた。

「せっかくだから吉成も聞きなよ」

「実害とかないわけ?」

「ないない。たぶん。私も平気だし」

 やたらと手招きがしつこいので私は顔を近づける。すぐそばに千崎の顔がある。

 蓋を開けると何人もの叫び声が遠くから重なってきこえてくる。ほとんど断末魔だった。え、こんなん聞こえてたっけ。かろうじて聞き取れた言葉をつないでも、はやく死なせてとか順番とか向こうに空きがないとかばかりでよく意味がわからず、ひたすらに悪趣味だった。やっぱり呪法のたぐいじゃん。千崎をにらんでいたら「いきなりなに怒ってんのマジで」やがてふつうの話し声が混じってくる。「ちょっとおしゃべりしようよつまんない」聞き覚えのある声だと思っていたら「 よりと一緒だしやったーだったけど」は?「旅行ならべつにどこでもいいけどさすがにこれは許せん」いやちょっと「依子」「帰ったら和牛ステーキとキルフェボンぜったい奢らす」いやいやいやいや。顔をあげると千崎依子がにまにましていた。キルフェボンじゃなくてごめんねとか云々。私はとっさに飲み口のところを抑える。忌々しい私の声が途切れる。

「あーやっぱしこれが売れちゃわなくてよかった」

 千崎は私の手のひらに指を重ねた。さっき空けた久米仙持ってこいとびきりの呪詛籠めてやる。

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呪詛売り 百歳 @momo_tose

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