第十九話 仮説・検証・絶望

「どうなっているのかしら」

 魔族の中でも最強格の力を持つ四天王の1人、七彩のライキーナは、デリベリック村の近くの森に潜みながら不満と疑問を呟いた。

「フュリスが原因で聖女が闇落ちしたように見せかけたのに、どうしてこの村はあの娘を追い出さないわけ?

 全員不安や不信は抱えている。

 だけど、あの日にあんなに色濃くなったのに、だんだん薄くなっているわ。

 普通なら放っておいても濃くなっていくはずなのに、おかしいわ?」

 思わず右手の親指の爪を噛むと、その表面には噛まれた撓みに従って七色が揺らめいた。

「人の心を染めるには時間がかかるし、今はそんな時間をかけている場合じゃないのよ。

 あの聖女のように最初から染まり切っている奴がいればいいのに、この村の連中、全員が暗い色を抱えている癖に、それを拒んでいないじゃないの。

 なんなの? みんな脛に傷があって、それも承知でここに集まったって言うの?

 頭のネジが外れているんじゃない? もーっイライラするぅ!」

 ライキーナはガシガシと爪を立てて髪の毛をかきむしる。

 虹の色彩が髪の毛と共に暴れて乱れ、気分が落ち着くと手櫛で髪を整え始めた。

「このままではあのお方の命を果たせないし、戦場はあの突撃馬鹿に任せっぱなしになるし、どうしようかしら」

 困り果てたライキーナ、隠れている崖のくぼみに体を預けて、今宵7度目の溜息をついた。


「弱くなっているわ」

 フュリスは謹慎中の時間を使って自分の力を試しては、その性質を見極めようとしていた。

 空中に作り出した光球は空に浮かぶ月の光を運んできたかのように白く冷たく小屋の中を照らしているのだが、それはこの2日間でも目に見えて弱くなっていた。

 力を操作するときの感覚で測っても、今の力はディアナと戦った時の10分の1以下に思える。

「さっき思いついた通りなの?

 でも、他に可能性だってあるはずよ。

 今までこの力が、どんな時に強くなって、どんな時に弱くなったか。

 一つ一つ、細かなところまで思い出すのよ、フュリス」

 幸か不幸か今のフュリスには時間が有り余るほどあった。

 何かにつけて仕事に追われていた日々から謹慎と言う形で切り離され、閉じ込められて不貞腐れるルーク以外には食事の手間さえかからない。

 だから、彼女がその仮説に行き当たるまでそれほどはかからなかった。

 そして自分の記憶を遡るだけでも仮説を補強する材料は十分にあって、逆に否定する材料は乏しい。

「確かめる方法は、あるわ。

 だけどこれが正しいのなら、私のこの力は何のためにあるのかしら」

 フュリスの呟きは外には漏れない程度に小さく、そしてひどく悲しげだった。


 翌日。

「フュリス、薬を作ってほしいんだけど、できるかい?」

 ネリーが小屋にやってきて、朝食を置きながら尋ねてきた。

 フュリスは数秒黙り込み、それから

「作ってもいいんですか? 森に行く必要もあるんですけど」

「森へはキムが同行する条件付きだけどね。あんたの薬が必要だって言う奴らがうるさいんだよ」

 それはフュリスにとっても渡りに船の提案だった。だから、迷わず頷いて答える。

「やります。やらせてください」

「お? ああ、うん。やる気があるのは良いわね。

 だったらキムに話をするから、今日からでもよろしく」

「はい!」

 みゃっ

 フュリスの声に状況の変化を感じ取ったのだろう。

 ルークが頭に飛び乗ってきた。


 一週間が過ぎた。

 フュリスの仕事は好評で、薬のおかげで調子がいいと言う村人たちの声に彼女を魔女だと疑っていた者も姿勢を改め、フュリスやルークが仕事をすることへの抵抗は薄れていった。

 そして以前のように1人で森に入り薬草を摘み、ルークが狩りに出かける日々が戻ってきた。

 アニタは村に居座っていてなぜか不満そうにしていたが、表立って何かを言うことはなく時々話をするくらいで、多少前とは違うもののフュリスの日常は帰ってきた。

 そんなある日の夜。

 コン

 小屋の扉が小さく叩かれた音。

「どうぞ」

 フュリスが声をかけると、扉がゆっくりと開いて閉じた。そのはずなのに、開いた様子は見えなかった。

 土間の土が、踵の高い靴の形に凹んで何者かの歩みを晒す。

 並んだ足跡の上に色彩が現れ上へと伸びあがり、瞬く間に虹色の髪を持つ女性が現れた。

「魔族四天王が1人、七彩のライキーナ。

 お招きにあずかって参上したわよ。フュリス」

「いらっしゃいませ。ライキーナさん」

 フュリスは毛を逆立たせるルークを押さえ落ち着かせると、来客に麦藁の座布団を差し出し、かまどにかけた鍋からカップに香草茶を注いだ。


「まさか貴女の方から呼び出されるとは思っていなかったわ。

 魔族の私と話をしていたら、立場は最悪になるのではなくて?」

 ライキーナがカップの香草茶を一口すすり、虹色の目を細めて話しかけてきた。

 その姿は普通に客とお茶を楽しんでいるような様子だが、夜中の小屋の中は真っ暗。しかもお互いに声を潜めているので密会が行われていると思う者はいないだろう。

「あなたにはどうしても聞きたいことがあったんです。それに、あなたも村の人に気付かれたくはないんですよね」

 問いかけではなく確認の口調に、ライキーナは腕を組んで口元だけで笑う。

 彼女はあらゆる色を操る。だから森に潜んでいる間も今も、彼女の力や気配を無色透明にすることで、その存在感を極限まで減らしていた。

「ええ、だから貴女に見つかっているとわかったときは、本当に驚いたわ」

「ルークは鼻も耳もいいんです」

「ああ、その猫が……だったらそういうことでいいわ。

 それよりも、用件は何?」

 ライキーナの目が白みを帯びて、刃のような声を突き付けてくる。

「まず、確かめたいことが2つ。それからお願いしたいことが1つあります」

「どうぞ」

「エミリーさんを闇堕ちさせたのは、あなたですね」

「あの娘は心の底が真っ黒だったから、簡単だったわ。

 それで、次の質問は?」

 こともなげな返事はフュリスの予想通りだった。

 あの戦いの前からフュリスは森に潜む魔族の気配を感じ取っていた。

 エミリーが闇落ちした直前にも、その時は目の前の戦いのために意識する余裕もなかったのだが、奇妙な力が草の間を抜けて彼女の足元に絡みつくのを、何者かの囁きを感じ取っていたのだ。

 そしてフュリスは薬草を摘むために森の中を散策しているうちに同じ力を感じ取り、戦いの中での出来事にも思い至った。

 そしてフュリスは、自身の考えを確かめるため、こっそりと草むらに手紙を残して力の主を呼んだのだ。

 本当に来てくれるとは思っていなかったのだが来たが幸い、フュリスは用意していた質問を遠慮なく続けた。

「あなたはどうしてこの村に来たのですか?

 私に用があってでしょうか?」

「そうよ。あなたをこの村から追い出して、人里で暮らせないようにするためよ」

「どうしてそんなことを?」

「知らないわ。あのお方の命令に疑問を差し挟んだりしないもの」

「……お願いの前に一つ確かめさせてください。

 私がこの村にいたら、あなたはどうするつもりですか?」

「あのお方の命を果たすためには、どうしたらいいかしら?」

 剣呑な笑みを浮かべるライキーナ。

 フュリスは背筋に冷たいものを感じ、目の前にいる女性の危険さを想定より高く改めた。

(私の力は弱くなっている。この人には勝てないし、村を守ることもできない。

 そして私がここにいるだけで、この人は村を危険に晒す。

 だけど、私の考えが正しければ……)

 だから、フュリスは即座に思考を巡らし決断した。

 仮説は立てた。検証も済んだ。あとは、実践するだけだ。

「ライキーナさん。あなたの目的はわかりました。

 その目的に協力する代わりに、私の頼みを聞いてください」

 微かに見開かれたライキーナの目の中で、虹の色彩が揺らめいた。


「フュリスがいないぞ。ルークもだ」

 ロディが集会場に入るなり低い声を発し、ネリーとアニタは音を立てて椅子から立った。

「どういうことだい? 詳しく教えな」

「村の中や森は探したの?」

 ロディは両手で2人を制すると、右足を引きずって足早にカウンターへと歩き椅子に腰かけた。

「今朝、料理場に出てくるはずのフュリスがいないってレベッカに聞かれてな。

 その場にキムの奴も一緒にいたんだが、放ってはおけねぇことを聞いちまった」

 コツコツとカウンターを指で叩くロディに、ネリーがジョッキを差し出した。一口で中身を煽り、ジョッキを置いてから口を拭うロディ。

「夜が明けかけた頃に、フュリスが碌な荷物も持たず、七色の髪の女と一緒に村を出て行ったらしい」

「なんだって!? まさかその女って」

「髪が七色の女なんて、俺が知る限りこの世に1人しかいねぇ」

「……ロディ、冗談にしては度が過ぎているんじゃない?」

「こんな冗談誰が言うかよ」

 会話を交わすごとに深刻さを増していく2人に、アニタが頭上から声を投げかけた。

「2人で何を言っているのかさっぱりよ。

 私にもわかるように話してくれないかしら?」

 事情を知らない令嬢に、2人は投げやりな視線を向けた。

「女の名前は、多分、七彩のライキーナ。魔族の将、四天王の1人だと思うわ」

「え? それってつまり?」

「フュリスは魔女だったってことだ」

「冗談はよしてよ」

「だから、こんな冗談誰が言うんだよ」

 3人は凍り付いたように言葉を無くして、黙り込んだ。


 山道を歩くフュリス。先を行くのはライキーナ。

 山道を歩くには向いているはずのない踵の高い靴とところどころに肌が露出した革の服でありながら、ライキーナの歩みは早くフュリスは着いていくだけでも精一杯だった。

 やがて、2人は一際高い山の峰に達した。

 もう日がずいぶん高い。

 村のみんなはフュリスの不在に気付いただろうか?

「ここまで来たらもういいわね?

 貴女はこの国から逃げて南へ行く。

 私は戦場へ戻る。

 協力関係はおしまいよ」

「別れる前に教えてください。

 戦場へ行ったら、何をするんですか?」

 フュリスの問いかけに、ライキーナは眉を寄せた。

 不愉快さが声にも表情にも露わになって、フュリスに叩きつけられる。

「人間どもを皆殺しにするのよ。

 今はまだ互角のフリをしているけれど、前線を突破して北までなだれ込む用意は済んでいるわ。

 南へ向かう貴女は、ある意味賢いわね」

 生き延びられれば、だけど。と小声で話が途切れたところに、フュリスがさらに問いかける。

「なぜ、そんなことをするんですか?

 ライキーナさんは私と会話をして協力もしてくれました。それは利害が一致したからかもしれないけれど、人間と魔族は戦争なんてしなくても協力し合うようにできるんじゃないですか?」

 その問いかけに、ライキーナはゆっくりと右手を上げて柔らかく開くとフュリスの頬に添える。

「協力?」

 ひゅっ、と指先が振られ、フュリスの頬に4本の切り傷ができた。

 フュリスはこうなることも覚悟していたので、流れ出した血を無視し黙って相手を見上げたまま、続く言葉を待つ。

「貴女に協力をした覚えはないわね。

 あのお方の命を速やかに果たすために都合が良いから、利用しただけよ。

 我々が人間と手を結ぶなんてことは絶対に無いと知りなさい」

「なぜ、そんなにも人間を?」

「人間は皆殺しにするべきものだからよ。

 貴女たちだって、畑に雑草が生えたら抜くでしょ?

 農地を荒らす獣は狩るでしょ?

 それと似たようなもの。他に理由なんて無いわ」

 ライキーナは、そんなことは当たり前という表情で言い捨てた。

 フュリスは自分の行為に手を貸してくれたこの魔族なら、お互いを理解することもできるのではないかと考えていた。

 しかし、それは甘い考えだったようだ。

「ライキーナさんにとっては、人間は誰でも、私でも、雑草みたいなものなんですか?」

「雑草以下ね。

 邪魔でなくても目についたら根っこから抜いてやりたくなるわ。

 フュリス、貴女もあのお方の命がなければ、とっくに首を落としているのよ」

 フュリスは俯き、まつ毛を震わせた。

(できることなら、戦いたくなかった。

 けれど、この国の人を全て滅ぼすと言うのなら、どこかで必ず戦うことになるわ。

 だって、私には力があって、大切な人たちが酷い目に合うなんて、見過ごせないもの)

 そして、諦めが混じった穏やかさでライキーナを見上げた。

(いつか戦うことになるなら、彼女が1人だけの今は貴重なチャンスよ)

「フュリス、馬鹿な真似はしない方がいいんじゃないかしら?」

 ライキーナがフュリスの内に灯った戦意の色を即座に見抜き、間合いを取ると油断なく身構えた。

 フュリスは彼女の七色に揺れる目を見つめて告げる。

「ライキーナさん、手を貸してくれてありがとうございました。

 そして、ごめんなさい」

「あっそう……フッ」

 軽い吐息と共にライキーナの貫手。透き通った黒に染まった指先はフュリスの顔面を捉えたが、しかし深緑の光で形作られた柊の葉が湧き出して盾となり、鋭く尖った指先を止めた。

「いい気にならないでほしいわ。人間如きが」

 跳躍してフュリスから離れたライキーナ。その身体が透き通った黒に染まってゆく。服は色を失って即ち空気と化して消えてなくなり、全身がまるで黒曜石の彫像の様に滑らかな姿となった。

 次いでパキンと軽い音と共に表面が弾けて、体表が細かな平面の組み合わせで覆われ肌の内側から七色の光が煌めいた。

「ハッ!」

 鋭く息を吐いてライキーナが迫る。フュリスが光の葉を重ねて貫手を防ぐが、指先は鋭く固く盾を貫いてフュリスの眼前で止まった。

「黒金剛石の色彩でも貫ききれないなんて、大したものね」

 ライキーナは自身の体を塗り替えて、黒金剛石の色を纏っていた。そうして塗り替えられた物体は色彩が表す性質を帯びるのだ。

「でも、貴女の力はあの時ほどではないし、貴女自身はノロマなまま。

 それで私に敵うと思っているの?」

「勝てます」

「言うじゃない。やってごらんなさいよ」

 矢継ぎ早に繰り出される手刀。光の葉を重ねても斬り裂かれ、貫かれ、フュリスは細い山の峰をひたすら逃げ惑う。

「逃げているだけでは勝てないわよ。何か策でもあるのかしら?

 ほら、こうしたらどうするの?」

 ライキーナの目が黒さを帯びた。瘴気が手刀から湧き上がり、光の葉に触れるとそれを片っ端から茶色く染める。

 染められた葉は「枯れて」砕け散った。

 フュリスが光の葉を作り出しても枯らされ、切り落とされ、その数はどんどん減らされていく。

 ついにフュリスは追い詰められて足を滑らせ、山肌に縋り付くように座り込んでしまった。

 目の前に黒く透き通った指先を突きつけられる。

「お終いね。

 フュリス、私はあのお方から、貴女を殺すなとしか言われていないのよ。

 おかしな気が起こせないように腕の一本も切り落としてあげようかしら?」

 フュリスは黙ったまま、突きつけられた指先を無視してライキーナを見つめている。

 その心の中にまだ戦意の色が見えて、ライキーナは顔を顰めた。

「それなら、覚悟なさいな」

 ライキーナが手を振り上げる。

 同時に、フュリスが悲しげに微笑んだ。

 微笑みの中に絶望の色。

 戦意と絶望という矛盾した色彩にライキーナの動きが止まる。

「私の勝ちです。ライキーナさん」

「何を言って?」

 深緑の光が溢れ出して柊の葉の形となり、嵐となり、巻き込まれたライキーナはその身を金剛石の硬さに染める魔導も瘴気も身体も斬り散らされて、跡形もなく消えた。

「ごめんなさい。あなたを私の力を試すために、使いました。

 この力は、思った通りのものだったわ」

 フュリスは立ち上がるとライキーナが消えた辺りを見つめ、それからデリベリック村の方を見下ろす。

「アニタさん、みなさん……ごめんなさい。

 私は行きます。

 さようなら」

 寂しげな彼女の頬を、涙が伝った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る