No.3 トルトリノス
羽上帆樽
1
どういうわけか、畑に生えている植物いくつかが、急に背丈を伸ばした。茎が蔓のように細くなり、みるみる高度を上げていく。高い所にある葉ほど大きくなった。
葉の上にカロが座っている。片手に果実を持って、目の傍に寄せて観察していた。それほど変わった色も形もしていない。何が彼女の興味を引くのだろうと、僕は地面から見上げて考える。
ポールもシスターも、今はここにはいなかった。畑で採れた果実を使ってこの空間を維持する、その装置の調整をしているらしい。ここには距離の概念は一応あるから、移動しなければならない場合がある。
「カロ」
僕は下から彼女に声をかける。葉の上に座ったまま、彼女は顔だけこちらに向けた。少々奇妙な目つきだった。
「何?」カロは少し大きな声で応える。
「降りておいでよ」
「どうして?」
「なんとなく」僕は話す。「君が傍にいないと、心配なんだ」
嘘を吐いたつもりはなかったが、僕の軽い言葉に従って、カロはこちらへと降りてくる。翼を微妙に羽ばたかせ、滑空するようにして地面に着地した。尤も、地面らしい地面は存在しない。土の上だけそんな様相をしている。
傍に来たカロを、僕は思いきって抱き締めてみた。普段あまりしない動作だから、どのように身体を動かしたら良いのか少し迷ったが、思った以上に簡単にできた。
僕の行動にカロは反射的に身体を強ばらせたが、やがて長い腕を僕の背へ回した。
「何?」
「昔、こんなふうに、お姉ちゃんに抱き締めてもらったことがある」僕は言った。
「そう」
「もう、いなくなってしまった」
「どうして?」
「死んでしまったから」
「どうして死んだの? 寿命?」
「まさか」
「自殺?」
カロに問われ、僕はその是非について考えたが、適切な回答が思いつかなかった。
そうだ。
暫くの間考えていなかったから、忘れていた。
お姉ちゃんの死因は何だっただろう?
そもそも、お姉ちゃんは本当に死んだのだろうか?
「貴方のお母さんとお父さんは、今どこにいるの?」
「国外」
「どうして?」
「理由は知らない」僕は答える。「もう、僕の傍にいたくなかったんじゃないかな」
「どうして?」
「分からないよ」
「嫌いになったから?」
「うーん、それは違うと思う。たぶん、僕の傍にいないことで、僕のためになると考えたんだ」
「よく、分からない」
「うん、僕もよく分かっていない」
沈黙すると、微かに風の音が聞こえた。でも、身体では感じない。そういう効果なのかもしれない。
カロは、人間でいえば女性らしい見た目をしているが、それはそういう見た目をしているだけで、実質的に性別はない。だから、僕もそういうつもりで接している。けれど、やはり情報の多くは見た印象に支配されるようで、彼女を見ているとついつい甘えたくなってしまう。お姉ちゃんの姿が重なるからだろう。それに、カロは温厚で優しい。僕は人と話すのがあまり好きではないが、彼女なら気兼ねなく話せると感じていた。そもそも彼女が人ではないということも、関係している可能性もある。
カロには体温があるから、抱き締めていると温かかった。こうしたぬくもりは、久し振りに感じた気がする。僕はあまり生物的な温かさを求めない傾向にある。木で人形を作るのもそのせいだろう。けれど、別にそういう温かさが嫌いというわけでもない。こうして久し振りに感じてみると、ないよりはあった方が良いのかもしれないとも思う。
「ここでの作業が終わったら、家に帰ろう」僕は言った。
「うん」カロが小さく頷く。長い髪が頬に当たって、くすぐったかった。
「僕と一緒に生活してくれない?」
「いいけど」
「けど?」
「ううん、何も」
カロを離して、僕自身も彼女から離れる。彼女はこちらを見ていた。赤い目だ。それだけ見ていると突き刺さるような感じがするが、全体として見れば、彼女は柔らかい見た目をしていた。背筋を真っ直ぐ伸ばして、少し上の方から僕を見据えている。
カロがこちらへ近づいてくる。僕はその場に立ったままだったから、自然と身体が接触した。
今度はカロに抱き締められる。
「魔法使いの所にいたときのことを思い出した」カロが耳もとで囁いた。
「え?」
「彼は、貴方のもとへ行けと言った」
「本当に?」
「言葉ではなかったと思う。呪文の類だったように思える」
「呪文?」
「私に呪文をかけて、貴方のもとに行くように仕向けた」
「そう……」
沈黙。今度は風の音は聞こえない。
「彼は、どうしてそんなことをするのかな? 彼の目的は?」僕は尋ねた。
「分からない」カロは首を振る。「でも、それは、彼自身の目的ではないような気がする」
「どういう意味?」
「貴方の目的は、何?」
「え?」
僕は黙ってしまった。
僕の目的……。
そもそも、僕が人形を作っていなければ、カロが僕の所へ住み着くことはできなかったはずだ。ただ、彼女はもともと菌類に似た性質を持っているから、それならそれで別の何かに寄生したかもしれない。
でも、そうではないと思った。
魔法使いがカロを僕の所へ寄越したのは、彼が僕が人形を作っていることを知っていたからだ。
僕の目的は、人形を作ること。
僕は何を求めているのだろう?
なんとなく、分かったような気がした。いや、本当はずっと分かっていたのかもしれない。
風が吹く効果が現れて、葉がいくつか僕の頭に降りかかった。カロの頭にも降りかかる。手を伸ばして、僕は彼女の頭に載った葉を払った。その間、カロはずっと僕を見ていた。その目に見据えられると、何かを咎められているような気になる。
ふと横に目をずらすと、いつの間にか畑の範囲が広がっていた。さっきまでは一部屋分くらいの面積しかなかったのに、終わりが見えないほど向こうまで続いている。土の地面だけではなく、それに比例して、その上に生える植物の量も増えていた。もはや一つの林と呼べそうなほどだ。
ここは仮想空間だから、土も植物もデータでしかない。当然、その植物に成る果実もデータだ。その果実を動力とすることで、この空間は成り立っているらしい。構造として不可解といえる。人間で例えれば、自分の垢をエネルギーに変換して生きているようなものだ。
おそらく、その果実を動力にすることでこの空間が成り立っているのではなく、果実を動力にするというサイクルそのものが、この空間を成り立たせているのだろう。果実から生じるエネルギーではなく、果実からエネルギーを取り出すという運動が重要なのだ。この運動が永久に続けば、この空間も永久に成立し続けることができる。
シスターは、ポールが活動範囲を広げたことで、この空間を維持するのが難しくなったと言った。この空間の内部だけでは、果実を動力に変換するサイクルが維持できなくなったから、外部から新たなデータとして僕とカロを取り込んだのだろう。つまり、労働力を増やしたことになる。
問題は、どうして、僕とカロでなくてはならなかったのか、ということ。
何も理由がない可能性もある。
つまり、偶然。
けれど……。
まだ理路整然と考えられる段階ではなかった。そもそも、僕は何を考えようとしているのだろう? 考えることで、何か得られるものがあるだろうか?
原因や理由というものは、過去を見ることで分かるものだ。だから、それが分かったところで、現状に役に立つかは分からない。しかし、人間は、どういうわけか、そんなことはお構いなしに、原因や理由について考えたがる傾向がある。それを現状に応用しようというわけではない。ただ知りたいから考えるのだ。欲求を満たしたいだけだ。犯罪が起こると被告は色々と追求されるが、それは過去に対することがほとんどだ。背景、動機、人間関係……。普通、犯罪というものの一般性は低い。したがって、その犯罪の背景や動機や人間関係が明らかになったところで、今後の犯罪に応用できるとは限らない。
ミステリーの類では、犯人の動機が明らかにされなければならない、という暗黙の了解がある。
どうしてだろう?
ただ単純に、知りたいからではないだろうか?
カロは、もう生まれてしまった。僕の所へ来て、僕と知り合ってしまった。彼女がどのような理由で僕の所へ来たとしても、僕と彼女の間に一定の関係が生じたという事実は変わらない。
たぶん、カロはそれをよく理解しているだろう。そう……。原因や理由について考えていたのは、僕の方だ。僕が尋ねるから彼女が答える。しかし、彼女の方からは尋ねない。彼女はもう存在しているからだ。
僕は、自分とカロの間に、なぜ関係が生じたのか、その理由を知りたいのだ。
僕の一方的な欲求だ。
けれど、その力は意外と大きい。
背後に誰かが立つ気配を感じた。振り返ると、シスターが立っている。彼女は相変わらず無表情だった。
「これが、畑本来の広さです」シスターが言った。「そして、この空間の本来の姿でもあります。最近は、消費するエネルギーを抑えるために、表示する範囲を小さくしていました」
僕は頷く。
「変換器に問題はなさそうです。収穫を始めましょう」
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