帝都大学異聞解析科~電算室の魔女~
亜未田久志
第一章 魔女に至るまで
第1話 待ち人来りて
時代は昭和を数えてしばらくの事、東北新幹線が去年開通したのをあいつはよろこんでいたっけな。戦後、終ぞ呼ばれる事の無かったはずの『帝都』の地にて『異聞』は跋扈する。
生憎の雨、ペトリコールの匂いが鼻を突く、僕はさしていた傘を閉じてカフェテリア「レアルタ」の戸を開く、まばらに客がいる店内を見回す、暇そうな店員を後目に目的の人物の下へと向かう。
「貴方が僕に取材したいっていう『村山さん』でよかったかな?」
相手は頷く、ホッと胸を撫でおろす。僕は相手の向かいに座ると店員を呼んでホットコーヒーを頼んだ。
「さて、と『電算室の魔女』について聞きたいんだったよね」
相手は先程と同じ様に頷く、手にはメモを既に準備している。用意のいい事だ。とてもじゃないが三流雑誌の記者とは思えない。まだ若く見えるし、将来は一流の出版社に引き抜かれるかもしれない。閑話休題。
「最初から話すととても長くなるけど、いいかな? それこそ文庫一冊分くらいにはなりそうかも」
相手はそこで初めてぎこちなく頷いた。流石に文量の計算まではしていなかったらしい。まあ取捨選択は向こうの仕事で僕の仕事じゃない。
「えっと、まずは僕と『電算室の魔女』こと
そういって手を差し出す、しかし相手がメモとペンで手が埋まっているのを見て握手は諦めて、手を引っ込めた。
天井扇が回り、ジュークボックスからビートルズが流れている。なかなか雰囲気の良い店だ、雨の日なのに客が少ないのは何故だろう? やる気のなさそうな店員が運んで来たコーヒーを一口啜るとその理由が分かった、ひどく不味い。これは客が遠のくわけだ。時間つぶしにはいいかもしれないが、繰り返し来たいかと問われると答えは否だな。
「さてと、あんまり前置きを長くしても、あれだし早速、話、始めようか、といってもこれも前振りなんだけど、当時、僕と集歌が出会ったのは帝都大学の書庫で、だ。食い入るように論文に目を通す長い亜麻色の髪の女性に、そうだな、僕は一目惚れしたんだ。それが一年生の春の事。思わず声をかけたら、同じ民俗学専攻だという事が分かってね、それ以来、意気投合した感じかな」
すると村山記者がもう少し詳しく教えてほしいと言ってきたもんだから驚いた。さて何から話そうかと思案し、あの時の状況を脳内で再現する。
綺麗に整理された書庫に足を運んだのは提出課題をこなすためであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。この頃は比較的、優等生だった僕は課題とやらに取り組む気概があったらしい。そこに居たのが赤色のロングスカートで足元を隠し、春なのに少し熱そうな白いセーターを着込んだ女性、亜麻色の長髪が綺麗に映えていた。なにより美人だった。思わず目を奪われるほどには、僕は課題の事も忘れ(やっぱりこの頃から不良の片鱗はあったらしい)彼女に声をかけた。
「あの」
すると。
「待って! 今いいところなのよ!」
と言って食い入るように論文から目を離そうとしなかった。実に真剣で無防備な人だと思った。僕はそっと椅子を引いて隣に腰かけると論文を盗み見た。そこにはなんてことだろう、僕の課題と同じ範囲の事柄が書いてあるではないか。僕は運命だと思ったね、彼女が同じ民俗学専攻だと分かった途端、一気に親近感が湧いた。高嶺の花が目の前に降りて来た気分だ。そしてふぅーっと溜め息を吐いて論文から目を離した彼女は僕の方を見ると驚いた顔をして椅子ごと距離を取った。ちょっと傷ついたね、うん。
「誰よ、あんた?」
「えっと、同じ民俗学専攻の楯好秀秋って言います。同じ課題をやってたみたいだから……」
「あ、そうなの、じゃあ次はあなたの番ってわけね、はい、どうぞ」
そう言って論文を渡してくれる彼女、しかし、僕の目的はもう提出課題ではない。
「あー……その僕って、ギリギリでこの帝都大学に受かっていて、まあ所謂、落ちこぼれなんだな、だからもしよかったら」
「なに? 手伝ってほしいとか言うんじゃないでしょうね」
図星だった。案外、目敏い人だ。それを受けて僕は、他の学生が今、この書庫にいない事をいい事に、彼女にずずいっと迫った。
「正直に言う、これは下心ってやつだ」
「……あんたみたいなナンパ始めてだわ」
若干、いやかなり引き気味に言われた。僕は臆する事なく話を続けた。
「君みたいな才色兼備な女性は会った事がない」
「会ってそうそう才色兼備とは、よく回る口だこと」
にべもなく流される。だがしかし、その顔がまんざらでもなさそうなのを僕は見逃さなかった。
「何も恋人になってくれだなんて贅沢を言いたいわけじゃないんだ。せめて友達からって話がしたくてね」
「誰しもそう言うわよね、『お友達から始めましょう』って」
「そう、それは悪い事じゃないと思うんだ」
「へぇ、なにか利点でもあるの?」
利点と来たか、そう言われると少し困る、野外活動が得意なくらいしか取り柄のない僕が差し出せるものなど無いに等しかった。
いや、待てよ、野外活動? 僕はそこで閃いたんだな。
「じゃあ役割分担ってのはどうだろう、僕が野外活動、君は論文蒐集、これでつり合いを取る」
「……そのアプローチは今までなかったわね、野外活動、得意なんだ?」
僕は頷く、すると彼女が深く溜め息を吐いてこう言った。
「それが本当なら、嘘じゃないなら、正直助かるわ、私ってば体力が無いから、フィールドワークになると一日と持たないのよね」
「それじゃあ!」
そこで人差し指をピンと立ててこちらの口を封じる彼女。
「一ヶ月よ、お試し期間一ヶ月、その間にあんたがフィールドワークで役に立つか見てあげる、役に立たなかったら、交際関係は友達以下、それでもいいなら交渉は成立ってところね」
「それで構わない! むしろ一ヶ月も貰っていいのかい? 僕はきっと役に立つよ」
「短く設定したつもりだったんだけど……よっぽど自信があるみたいね、いいわ、コテンパンにこき使ってやるから覚悟しなさい」
「そういう君こそ、ちゃんと論文蒐集してくれるんだろうね?」
僕はここであえて喧嘩を売ってみた、こういうのが恋の駆け引きだと、その時の僕は思っていたんだな。恥ずかしいことに。すると彼女は口を尖らせて。
「誰にものを言っているのかしら、私は木島集歌、帝都大学に主席で入学した者よ!」
堂々たる宣言に、僕は驚きを通り越して納得してしまった。そしてその名前には聞き覚えがあった。入学式の挨拶で、だ。主席としてこれからの学生生活の抱負を語った才女、木島集歌の名を知らぬ者は帝都大学一年生にはいないだろう。
「驚いたな、主に忘れていた自分に」
「どうせ入学式の時は寝てたんでしょ」
「そうかもしれない、でも意外だな、そんな君が民俗学専攻なんて」
すると彼女はバン! 机を叩くと立ち上がった。そして熱弁する。
「民俗学より浪漫溢れる学問は存在しないわ! そして! 浪漫は何よりも優先されるのよ!」
正直、一目惚れる相手を間違えたかな、と思いさえした。まあそれでも僕は今でも彼女のファンだ。煙たがられているけれどね。そう電算室の魔女と化した今でも、僕は彼女のファンなんだ。
おっとすまない、話がだいぶ逸れた、じゃあ、もう少し時計の針を進めてみようか。どうして彼女が電算室の魔女なんて呼ばれるに至ったかの経緯をもう少しだけ遠回りをしながら、ね。
僕は不味いコーヒーを飲み干すと、店員を呼びつけオレンジジュースを頼んだ。オレンジジュースが外れる事はないだろうという算段だ。それが届くのを待っている間に僕達は次の話題へと移って行く。
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