1894年

@o714

第一部: 春、タマニーホール


 報道関係PRESSの札を台から拝借して検問じみた招待口をすり抜けると、既に政治家どもは社交界という名前だけは大それたコネクション作りに勤しんでいるようだった。私は人の群れを押しのけ関係者と書かれた扉を潜り抜けると、調理場からは見えない位置で一服することにした。モーニングコートの内側から安全マッチを取り出すと、横から恰幅の良い背広姿がぬっと現れて私の手を優しく掴んだ。私は驚いたがすぐに体裁を立て直す。

「何か御用ですか?」

「火は厳禁ですよ、場所が場所ですから」

「ああ。すみませんね」

 背丈は6フィートに満たないほどの中背で、こちらを掴んだ手はペンを握るだけの役人にしては妙にごつごつとしている。胸には彼を証明するバッジが光っていた。

「警部さんですか?」

NYPDニューヨーク市警ではありませんよ、しがない公吏です」

 そう言って市警察委員長セオドア・ルーズベルト氏は慇懃と自己紹介をしたのだった。


「市警の方もいらっしゃるんですか?」大変ですな、と付け加える勢いで言うと。

「いえいえ、今回は公安委員会の公務ですよ。それにここには慣れんのです。貴方もそうでしょう?」

「私の身の丈には合わんだけですよ。確かあなたは市議会に出馬された…」

「昔のことです。ここの皆さんとも顔馴染みですから、大抵は敵同士だった訳ですが」

 そう言ってルーズベルト氏は笑った。彼の経歴(根っからの共和党員)と、市議員だった際の精力ぶりを考えれば民主党陣営が彼を取り込むという今回の工作も恐らく空振りに終わるに違いない。


「少しの間政界からは退いていらっしゃった様ですが、様子を見ると杞憂のようですな」

ひとえに、若さ故ですよ」

 確かに自分とそうは変わらない位に見える、私は奇妙な邂逅に戸惑いながら本題を思い出した。

「失礼ですが。ルクロイ氏をご存じありませんか?ハワード・A・ルクロイ、議員の」

ですな、ええ存じていますよ。確か二階で記者の方々と話し込んでおられたような?」

 そう言って私の帽子に挟まれた札を見る。「丁度貴方みたいな」

「成程、ありがとうございます。それでは」

「いやいや。私もご一緒しますよ」

「いいんですか?すみませんね」

 

  ※


 困ったことになった、私は彼に続いて関係者専用扉を抜け広間を廊下から眺めながら脇の広い階段を上っていく。その間にも彼は特徴的な口髭をなぞりながら私に質問する。

「さっきもそうですが、新聞社の方々はルクロイ氏にどんな用があるんでしょう?」

 少し口ごもって、仕方ないといった風に私は口を開いた。

「あんまり公言するんでもないんですが、彼というより彼のご子息なんですよ」

「ほう」

「下世話な話なんですがね」

「そうでなくては。大衆が望むものをでっち上げるのが仕事でしょう?」ルーズベルト氏はそう言ってから笑ってから「冗談だ。失礼した」と軽く謝った。


「てっきり輸出ビジネスのお話かと思いましたよ。最近南米なんかにも手を出してるだとかで」

「フィリピンにもですよ。噂では日本なんかにも」そう言って横から知らない男が一人割り込んできた。「さながらですな」

「あんたは誰だ?」

「『ネイション』です、週刊誌の。あなたは?」

「イヴニング・ポストだ」

「やはり無政府主義者アナキストの件ですか?」

「何だって?」

 公安委員長は驚いて聞き返した。「アナキスト?」


 ルーズベルト氏が立ち止まったので私もそれに倣って立ち止まる。丁度階段の踊り場の部分で、分厚い曇り硝子ガラスから暖かな日差しが入って来ていた。

「そのお話ではなかったのですか?」

「いや、どういう事だね」険しい顔で聞き返す。私が口を挟む前にもう一人が説明を始めてしまった。

「ああいや、これはこれは長官どの。件のルクロイ氏のご子息はホームステッドのストライキに関わっていたそうなのですよ。それどころかもっと以前から労働争議の代表者、いや扇動者アジテーターとして活動していたそうで、長年行方が掴めなかったのが今回のアメリカ労働総同盟と労働騎士団での内争に際してリークされたのです」

「名前は?」

「ダニエル・ルクロイ、ですが巷ではエイハブを名乗っているようです」

「エイハブ船長か、白鯨モビィ・ディックを銛で撃ち落とす?」

「もっと大物ですよ。例えば人魚やらヒュドラやら…」

「リヴァイアサンだ」私は自然とそう言っていた、すると『ネイション』の派遣員はにやりと笑う。

「そう。連中は嫌味とばかりに聖書から引っ張ってくる」

 だがルーズベルト氏はフンと鼻で笑うとこう続ける。

「黙示録のつもりか?第一に教会カトリックおもねって排斥を続けるのは奴らの方だ」

「ええ全くです。しかもダニエル・ルクロイはもっと過激ですから。アメリカ労働者党の急進派の一人なんです、マルクス主義者ですよ」

 そして他愛のない話を打ち切るべく私が口を挟もうとするのを遮ったのは、甲高い音だった。


 ホールの二階から聞こえたそれは、高名なお歴々のお喋りを黙らせるような一発だった。そして後に長く引くキーンとした反響音、昔親父が撃たせてくれた小口径のライフルよりも遥かに短小な音だったが、それを聞いたルーズベルト氏は即座に階下に叫ぶ。

「おい、BJビージェイ!早く上がって来い!」

 彼の叫び声を聞いてか静まり返っていた周囲は一斉にどよめき出し階下に押しかける。ルーズベルト氏は階段を上がってきた制服姿の警官と一緒に羊の群れを掻き分けて上がっていき、私も彼らが昇っていった後に出来る空間を縫って付いて行った。

 階段を上り切って羊たちがやって来た方を辿って狭い通路を進むと、老人が仰向けに倒れている。ポマードで撫でつけられていた薄い髪が剥がれ、胸のシャツは赤く染まっている。私は上半身を軽く担ぎ起こして脈をとり、撃たれた跡を確認する。二発分焼き焦げた後が認められた、密着して短い二連銃を撃った証拠だ。

 公安委員長はBJに応援を呼びに行かせると私に聞いてくる。

「生きてるか?」

「左胸に二発、綺麗に」

「クソ!」

 すぐに外を警備していた連中がやって来て現場は騒がしくなった。私は挨拶をするのも悪いだろうと黙ってその場を離れる。とにかく、もう用事は終わったのだから。




 

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