成り代わり男装聖者は聖女システムを壊したい

糸ノ

プロローグ


「お前には婿入りしてもらう」


 山査子さんざしは父の言葉に耳を疑った。

 差し出されたのはお見合い写真だ。その中では、良家の子女だか、深窓の令嬢だか。父にとって都合のいい人物が、澄まし顔で微笑んでいる。

「なぜ俺が婿入りしなければならないのですか? 俺は自分の人生を生きたいんです」

 山査子は必死に訴えたが、父は冷笑するだけだ。

「お前のような奴が自分の人生を選ぶなんて、花山院かさんいん家の名に泥を塗る行為だ。お前は家族の名誉を守るために生きるべきだ」

 山査子は怒りを抑えきれず、父に向かって飛びかかろうとしたが、控えていた父の側近により制止された。

「お前がどう思おうと、この話はもう決まっている。明日、先方の家に行く準備をしなさい」

 事務的に父は冷たく言い捨てた。

 山査子は絶望に包まれた。自分の人生を奪われることを受け入れることが出来ず、心が押し潰されそうだった。

 現実ではどうだか分からないが、漫画や小説ではよくある話だ。

 大抵の場合、政略結婚の先で不遇な主人公を迎え入れてくれるのは、完璧な容姿を持ち、光り輝くような魅力を持った人物であることが多い。

 男性でも女性でも彼らは深い知性と情熱を秘めており、主人公に微笑みかける口元からは優しさと温かさが溢れ出ている。

 世間では冷徹だ鬼畜だと噂されていても、実際は主人公を大事にし、守り、支えてくれる存在になることが多い。

 不憫な人生を送っていた主人公が政略結婚の果てに、やがて幸せを掴んでいく。

 そんな幸運な展開は、現実の世界ではほとんど起こり得ないだろう

 山査子は一か八かの運試しに賭けるよりも、逃げることを決意した。

 父の目を盗んで家を出ることにしたのだ。

 しかし、山査子の行動はあっさりと見破られてしまった。

 父の側近に捕まり、部屋に閉じ込められてしまったのである。

 外から鍵をかけられ、携帯電話も取り上げられた。孤立無援の状況で、誰にも助けを求めることができない。

 父の思惑通りに結婚させられる運命を受け入れるしかないのか。

 山査子は逃げ出す方法を模索する。部屋を見回すと、唯一の脱出口は窓だけだった。

 二階の部屋に閉じ込められているが、窓から飛び出す覚悟を決めた。

 植木がクッションになってくれるだろうと思い、山査子は窓から身を投げ出した。しかし、こちらの予想とは違い、空中で着地点を見失ってしまった。

 必死に手足をバタつかせ、バランスを取ろうとするが、地面への落下は避けられなかった。

 死を覚悟した瞬間、突如として山査子の周りに魔法陣が浮かび上がった。

 まるで魔法の力に引き寄せられたかのように、山査子は魔法陣の中に取り込まれていった。


 こうして次に目を覚ました時には、異世界に召喚されるという予測不可能な展開に直面していたのである。

 異世界転生の物語は彼にとっても馴染み深いものだったが、自分自身がその主人公になるとは思ってもみなかった。

 通常、主人公はチートな能力や特殊な設定を持っているが、山査子には特別なものは何もなかった。

 さらに驚きなのは、なぜか男性でありながら「聖女」として召喚されてしまったのである。

 明らかに召喚は失敗しているはずなのに、異世界の人々は召喚された「聖女」である山査子が男性であることを気にせずに話を進めようとしてくる。

 召喚された聖女は代々隣国ミステルへ献上される慣習があり、ミステル王の正妃となる運命が待っていると言われた。

 この慣習のため、聖女が男性である場合は問題が生じる可能性がある。

 しかし、山査子は男性であるのに聖女としての教育を受けさせられ、ミステル王国への旅立ちの日が近付いてきていた。

 政略結婚から逃れるために逃げ出したはずなのに、異世界に召喚されても政略結婚の運命から逃れられないとは皮肉なことだ。

 しかも、男性相手に嫁がされるなんて冗談じゃない。

 山査子は父に強制的な結婚を突きつけられた時、自分がなぜ逃げる決意をしたのか、もはや分からなくなっていた。しかし、男に嫁がされるよりも異世界で一人生きていく方がまだマシだと思った。

 小説や漫画のヒロインポジションに大人しくおさまるつもりはない。

 山査子は再び逃げ出すことを決意した。

 そのために、従順な振る舞いを装いながら、逃げるチャンスを窺っていたのだ。


 チャンスが訪れたのは、隣国へ聖女を送り出す前日の夜だった。聖女を送り出すための儀式が行われるため、皆が忙しそうにしていて、監視の目が一瞬緩んでいた。


 監視の目をかいくぐり、見つけた抜け道から外に出ようとした時、突然一人の少女が山査子の前に立ちはだかった。


「私があなたの代わりに聖女になってあげるわ」


 少女は魅力的に微笑んだ。

 彼女の黒髪は、真夜中の闇に溶け込むような深い黒さを持っていた。まるでオニキスのように光を吸い込んでいるかのように見えるが、髪の一房一房は星屑のように輝いていた。

 山査子は、それがまるで夜空のようだと思った。

 この世界では、聖女と呼ばれる存在は黒い髪と黒い瞳を持つことが常識とされている。 

 そして、彼女はまさにその理想的な聖女のように見えた。

 少女が手を差し出した。

 山査子は彼女の手を取り、心が穏やかな感覚に包まれた。

 彼女の意図を完全には理解できなかったが、この瞬間が何かの始まりになる予感があった。

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