第11話 依頼

──翌朝。


窓から差し込む陽の光に目を細めながら、ハルオは身を起こした。

昨日よりも体が軽い。

魔力のせいか、それともただの気のせいか――分からない。


簡単に身支度を整え、ギルドの食堂へ向かう。

焼きたてのパンの香りが漂い、木のテーブルにはすでに何人かの冒険者が腰を下ろしていた。


食事を終えると、ハルオは掲示板の前に立つ。

木板に貼られた紙が、風に揺れた。


【依頼:迷い子の捜索】

内容:昨日から行方不明になっている子どもの捜索

依頼主:ラント婆さん(西区・花通り)

報酬:銀貨5枚


【依頼:草刈り手伝い】

内容:南門そばの畑の雑草取り(午前中のみ)

報酬:銅貨15枚+昼食つき


【依頼:薬草採取】

内容:セイランを指定の袋に採取

報酬:銀貨2枚


【依頼:ゴブリンの見回り調査】

内容:郊外の森にて、ゴブリンの痕跡を調査し報告せよ

報酬:銀貨5枚


(どうするか……とりあえず昨日と同じ森に行くか)


昨日の森には危険もあったが、道は覚えたし、多少の勝手もわかる。

初心者にとって“慣れ”は何よりの武器だ。


そう判断し、ハルオは「薬草採取」の依頼書を手に取った。


受付に行くと、昨日と同じ初老の職員が目を細めて笑った。


「お、今日はもう仕事か。いい心がけだな。で、依頼は?」


「セイランの採取です」


「セイランの群生地は東の森の奥だ。魔物もいる。無理だけはするなよ」


「ありがとうございます。気をつけます」


依頼を受けてギルドを出ると、朝の街はすでに活気づいていた。

荷車を押す商人、井戸で水を汲む娘、パン屋の煙突から立ち上る白い煙――。

その喧騒の中を抜けながら、ハルオは腰のナイフを軽く叩いた。


(今日の目標は――生きて帰ること。欲張らず、確実に)


そう心に刻み、森へと向かう。


道の両脇では、朝露に濡れた草がきらめいていた。

鳥の声、木々のざわめき、風の流れ。

昨日は気づかなかった音や匂いが、今日はやけに鮮やかに感じられる。


歩きながら、ハルオは身体強化の練習を始めた。

昨日よりも魔力の流れが明らかに滑らかだ。

血管を通る熱が、体中に活力をもたらしているようだった。


(なるほど……確かに、体が軽い)


森に入ると、空気が一変する。

湿った土の匂い、木漏れ日が作るまだらな光。

その中を慎重に進んでいくと、小さな川辺に青紫の花が群生しているのが見えた。


「……あった。セイランだな」


依頼書の絵と見比べ、間違いないと確認する。

腰を下ろし、慎重に摘み取りながら袋に詰めていく。

ひとつ、またひとつ――静かな作業だったが、妙に心が落ち着いた。


だが、その静寂を破るように「ガサッ」と草むらが揺れた。


ハルオは反射的にナイフの柄を握る。

昨日の光景が頭をよぎる。ゴブリンか? いや――音が軽い。


茂みから姿を現したのは、レッサーボアだった。

昨日、初めて命を奪った相手。

その丸太のような体と、鈍く光る牙を見た瞬間、ハルオの全身が硬直する。


(……落ち着け。昨日よりは、冷静にやれる)


深く息を吸い込み、腹の奥――“魔力”の感覚に意識を集中させる。

そこから溢れる熱が、静かに体を満たしていく。


(よし、行ける……!)


ボアが鼻を鳴らし、前脚で地面を叩いた。

威嚇。だが、そのまま突進してくるまで時間はかからなかった。


「来いッ!」


地を蹴り、右に跳ぶ。

ボアの突進が地面をえぐり、木の根を巻き上げた。

その勢いのままハルオは滑り込み、ナイフを構えて脇腹を狙う――。


だが、刃は浅く食い込んだだけで弾かれた。

厚い毛皮が、まるで鎧のように防いでいる。


「ちっ……!」


すぐにボアが反転。牙が閃き、腕に鋭い痛みが走る。


(くそっ……焦るな、魔力を――!)


腹の奥に意識を沈め、魔力を腕へ流し込む。

刃先が赤く光を帯び、空気が微かに震えた。

そのまま突進を迎え撃つ。


「うおおおっ!」


閃光のような一撃が、ボアの喉元を裂いた。

獣の巨体が揺らぎ、重い音を立てて地面に崩れ落ちる。


静寂。

荒い息と、血の匂いだけが森に残った。


ハルオは膝をつき、息を整えた。


(……今のが、“身体強化”ってやつか?)


手の震えが止まらない。

けれど、それは恐怖よりも確かな“手応え”だった。

自分の力で勝てた――その事実が、胸の奥を熱くする。


「……よし」


昨日教わった手順を思い出しながら、ボアの解体を始める。

慣れない手つきだが、確実に作業をこなしていく。


(これが意外と重いんだよな……)

再びセイランの採取に戻ると、木々の隙間から差し込む光が眩しく感じた。


(依頼分はこれで十分だな。戻ろう)


帰り道、ふと足を止める。

森の奥から、かすかな音がした。


――チリン。


鈴のような、澄んだ金属音。

風が鳴らした音にしては、不自然だ。


「……誰かいるのか?」


木々の間を見渡す。

一瞬、白い影が見えた。少女のような、小柄な姿。

だが、次の瞬間には霧のように消えていた。


(……見間違いか? いや、確かに何かいた)


慎重に近づくと、地面に光るものが落ちていた。

拾い上げてみると、それは小さな銀の鈴だった。


(誰かの……持ち物か?)


そのとき――背後で枝の折れる音がした。


ハルオは反射的に振り向き、ナイフを構える。

茂みの向こうに、いくつもの黄色い目が光った。


ゴブリンだ。

昨日よりも数が多い。三匹……いや、四匹。

彼らは低く笑いながら、じりじりと距離を詰めてくる。


「……またお前らか」


喉が乾く。だが、逃げる気はなかった。

体の奥で、再び魔力が熱を帯びていく。


(やるしかない。ここで退いたら、何も変わらない)


ハルオは足を踏み込み、地を蹴った。

魔力の熱が全身を包み、風が背を押す。


森の奥で、鋭い金属音と獣の咆哮が交錯した――。




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