第9話 薬草採取

レッサーボアを討伐し、解体した肉を背負って4人はセイランをさがして森の奥へ向かっていた。


森の奥へと足を進めるたびに、空気の湿度が増していく。


陽はまだ高く、葉の隙間から差し込む光が、ところどころに斑模様の明るさを落としていた。

その中で、ヴァイスが歩を緩める。


「……あったな。あれが“セイラン”だ」


指差す先、小さな陽だまりの中に、淡い青紫の花弁を広げる草が群れていた。

背丈は膝ほど。葉は細く、茎は弾力のある緑。


「見た目は脆そうだが、採るときに根元を潰すな。乾燥させると魔力を蓄える性質がある。回復薬の材料だ」


ティナが先にしゃがみ込み、器用に茎を切り取り、専用の布袋に収めていく。

それを見て、ハルオもそっと手を伸ばした。


だが、摘み取る手がふと止まる。

指先に感じたのは、花の柔らかさと――微かな温もりだった。


(魔力があるのか)


たとえ草一本でも、ここには確かな“命”があり、魔力が宿っている。


「何を止まっている。花に情でも湧いたか?」


ヴァイスの声が、皮肉でも冷笑でもなく、淡々とした調子で飛んでくる。

だが、その奥には“理解”があった。


「……いえ、大丈夫です」


もう一度、しっかりと手を伸ばし、今度は迷いなく摘み取る。

柔らかな抵抗の後、花は音もなく抜け、手の中に残った。


セイルがポツリと呟く。


「こうしてみると、草摘みも悪くないよな。命の奪い合いより、よほど健全だ」


「そうね。でも、どちらも“生きる”ためには必要なこと」


ティナの言葉に、誰も反論しなかった。


やがて三人は静かにセイランを摘み取り、袋を満たしていった。

森の奥では、どこかで鳥が鳴いていた。



ヴァイスが空を見上げる。


「陽が傾く前に戻るぞ」


ハルオは無言で頷いた。

背負った袋の重さに“生き延びた証”が詰まっている気がした。


帰路、森の道を抜けかけたとき――

少し離れた木立の陰に、二つの影が揺れていた。


「……ゴブリンか」


ヴァイスが目を細める。粗末な武器を手にした小鬼が二匹、こちらに気づく気配もなくうろついている。


「無視だ」

ヴァイスは足を止めることなく、静かにそう言った。


「倒さなくていいのか?」

ハルオは思わず問いかけた。


「あぁ。どこにでも湧く雑魚だ。倒しても金にならんし、素材も価値がない。無駄に疲れるだけだ」


淡々と告げて、ヴァイスは歩を進める。

後には、こちらに気づかぬまま小競り合いをしているゴブリンたちの姿だけが残った。


“殺す”ことが、常に“正解”ではない。

この世界では、それすら“選択”なのだ――


「ゴブリンは1匹1匹は雑魚だが、やつらは時として群れで現れる。しかも、十やそこらじゃなく百単位でな」


ヴァイスの言葉に、空気がわずかに張り詰める。


「百……?」


ハルオの声は、無意識に低くなった。


「村ひとつを簡単に潰す程度には脅威になる。知能は低いが、繁殖力と数、奇襲性においては魔物の中でも厄介だ。群れの動きが見えたら、冒険者だけじゃ手に負えん」


「だから、今は無視……」


「そうだ。群れの気配がない以上、むやみに手を出す理由はない。お前も、必要なとき以外は剣を抜くな。無駄な戦いは、命と時間の浪費だ」


ハルオは静かに頷いた。

“戦わないこと”が“正しい選択”になる場面。

それは現代の価値観とは、あまりに違っていた。


背後で木の葉が揺れる音に、思わず身構える。だが、ただの風だった。


気づけば、セイルもティナも無言で歩いていた。

すでに、互いに言葉を交わさずとも、警戒を共有できる程度には――“同じ空気”を吸っていた。


やがて、森の木々が開け、遠くに石造りの外壁が見えた。

初めて訪れたときとは違う、わずかな安心感が胸を満たす。


「街が見えたな。……訓練はこの後ギルドで素材を清算して終わりだ」


ヴァイスの言葉に、誰も声を返さなかった。

だが、それが“全員無事に戻った”という合図になっていた。


ハルオはそっと息を吐く。

泥の跳ねた足、乾ききらない汗、そして背中にずっしりとした収穫の重み――


それらすべてが、今日一日の「生存の証」だった。


(これが……冒険者の一日か)

街の門をくぐった瞬間、湿った森の匂いが石畳の街の空気に塗り替えられた。


喧騒と金属音、遠くで誰かが笑っている声。

日常が、ここにはあった。


だがハルオにとっては――この数時間で見たもの、感じたものが、すべて非日常だった。


「素材は計量室に持ち込め。セイランと肉、それぞれ分けて渡せ」

ヴァイスはいつも通り、感情を表に出さず淡々と指示を出す。


ギルドの裏手にある素材受付には、血の匂いに慣れた職員たちが手際よく作業をしていた。

セイルとティナが慣れた手つきで袋を開き、仕分けしていく。


ハルオも続こうとするが、肉の袋を差し出す手がほんの少しだけ震えていた。


(これで……人は、生きていくのか)


獣を倒し、解体し、素材として差し出し、金に換える。

それが、この世界の“仕事”だった。


受付の男が、手早く肉を計り、セイランの質を確認しながら告げる。


「レッサーボア×3体分と、セイラン一袋。魔石なし、皮は良質……合計で銀貨32枚だな」

レッサーボア1体が銀貨10枚でセイラン1袋が銀貨2枚らしい。


「俺が17枚。残りを3人で均等銀貨5枚ずつだ」

ヴァイスが報酬を分配してくれた。


小さな銀貨が、ハルオの手のひらに落ちた。


(……軽いな)


命を懸けて得た報酬は、思ったよりずっと小さく、そして――重かった。


「初心者講習は、これで終わりだ。明日からは一人前の冒険者だ。仲間を探してパーティーを組むのもよし。さらに訓練を積んで備えるのもよし、自由だ。頑張れよ」


ハルオは手の中の銀貨を見つめたまま、しばらく動けなかった。


金という対価に変わった“命”。

それが軽いのか重いのか、まだ自分には測れない。


セイルは銀貨を腰の小袋に放り込みながら、軽く肩を回した。


「ふぅ……さて、どうするかな。掲示板で求人でも探してみるか」


「わたしは図書室に行くわ。」


ティナは背中の袋を軽く持ち直すと、もう次の目的地へと目を向けていた。


「あと受付に行ってカード受け取っておけよ」


ハルオは、少し遅れてうなずいた。


「……はい。忘れずに」


ギルドの奥、受付窓口にはすでに数人の冒険者が並んでいた。手続きを終えた者が談笑しながら酒場の方へと向かっていく。


ハルオは列に並びながら、他の冒険者たちの装備に目をやる。血の染みが残る革鎧、刃こぼれした剣、焼け焦げたマント――どれも、この世界の“現実”を物語っていた。


順番が来ると、受付の女性が慣れた調子で訊ねた。


「名前をどうぞ」


「ハルオです」


「確認できました。これがあなたの正式なギルドカードです。ランクはF、初心者扱いですが、クエストの受注は可能です。大事にしてくださいね」


手渡されたのは、硬質の金属でできた小さなカードだった。端にギルドの紋章が刻まれている。


「ありがとうございました」


カードを受け取った瞬間、ようやく“冒険者になった”という実感が胸にじわりと広がった。


受付を離れ、入口へと向かう途中、ヴァイスの姿が見えた。


柱にもたれて腕を組み、無言でこちらを見ている。


「……なんですか?」


「何も。カードは受け取ったか?」


「はい」


「なら、これで終わりだ」


それだけ言って、ヴァイスは踵を返した。すでに次の用事でもあるのか、歩き方に迷いはない。


ハルオはその背中を見送り、やがてセイルとティナの姿を探した。


二人はもういなかった。


(……もう、自分で動く番か)


銀貨の重みとカードの冷たさをポケットに感じながら、ハルオはギルドの扉を開けた。


陽はすでに傾き始めていた。


石畳の上に長く伸びる影の中を、一人歩き出す。


これから先、自分がどこへ向かうのか――それを決めるのも、もう自分の“選択”だった。

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