3-05

 それっきり互いに黙り込む形となり、気まずい雰囲気に陥ってしまう。


 とはいえリリエラは何を考えているのか解らないし、彩音だけが一方的に気まずい思いをしているだけだ。美しくはあるが仮面のように張り付けられた彼女の無表情は、まるで人形のようである。


「……はぁ……」


 ふと、彩音はナナシのことを思い出す。今ごろ大男を引き付けて追い回されている彼は、果たして無事なのだろうか。まさか、捕まったりしていないだろうか。


 非常に対話のしやすいナナシの笑顔を思い出し、彩音が再度ため息を吐こうとした――のと、ほぼ同時に。


「ふわぁーっ、あっぶなかったぁー! おねえちゃん、ちゃんと来てるぅー?」


 気まずい雰囲気を切り裂くナナシの明るい声が、室内で軽快に響いた。さきほど思い出していたのと同じ笑顔がそこにあるのを見て、彩音は何だかたまらない気持ちになる。


「ナ、ナナシくん……」


「あ、おねえちゃん。よかったー、ちゃんと部屋、わかったみたいで」


「ナナシくーん!」


「うわわっ? おねえちゃん、どしたの?」


 彩音にいきなり飛びつかれたナナシは、当然だが驚いているようだった。しかしリリエラと無言で向かい合っていて心細かった彩音にしてみれば、それどころではない。


「もぉ~! あんな命知らずなことしないでよーっ! 心配するでしょっ! 心細かったんだからねっ! 色んな意味でーっ!」


「あはは、ごめんごめん。まあ、あれくらいは慣れてるから大丈夫なんだけどね。でも心配してくれてありがとーっ!」


「いいわよ別にーっ! でも、もうあんなこと、絶対にやらないでよねっ!」


「あはは、なんかおねーちゃんテンション高いね! わーい!」


 手を取り合って再会を喜んでいる二人は、この薄暗い万魔殿においては異質な――というより、妙な存在である。そんな二人を、リリエラは何も言わず無表情で眺めていた。


 ――――――――


「あ、リリエラさんもいたんだ。こんにちわっ」


 少し経って、リリエラに気付いたナナシが明るく挨拶すると、彼女は一礼して応じた。


「おはようございます、ナナシ様」


「あれっ? まだ朝くらいだった? じゃあ、おはようだったか~。僕の感覚も、いまいちアテにならないなぁ。ここに住んでから長いのに、自信なくしちゃうよー」


「いえ、どちらでもよい程度の頃合いにも思えます」


「そっかー、じゃあ、気にしないでおこっと。……ところで」


 リリエラと話し続けていたナナシが、なぜか屈み込んでいた彩音の顔を覗き込む。


「おねえちゃん、どしたの? さっき何だか、すごいはしゃいでたし……急に疲れちゃった?」


「……あ、あのっ、違うの……さっきは、あれ、あの……ずっと心細くって、ナナシくんが来て、安心して……それでちょっと、へ、変なテンションになっちゃっただけなの……だから、いつもはあんな風じゃないのっ! ち、ちがうのっ!」


「えー? さっきのおねえちゃん、面白かったけどなー。元気いっぱいで!」


「……ち、ちがう、の……」


 沸騰するのではないかというほど顔中を真っ赤にした彩音に、ナナシが首を傾げる。まあそれはそれ、とでも言うように、ナナシが話を切り替えた。


「さっきのアイツはさ、ここからは遠い所で撒いたから、当分はこっちに近づかないと思うし、安心してね」


「……そ、そう、それは、あの、良かったわ」


 少しずつ落ち着きを取り戻しつつある彩音が、まだ赤らんでいる顔を僅かに上げた。


「でも、もうあんな無茶しないで……本当に、心配したんだからね」


「え、うーん……でも捕まって何されても、そのうち元に戻るんだしさ」


「それでもよ。だって、無茶苦茶にされちゃうなんて、怖いじゃない……」


「うーん……わかったよ、おねえちゃんがそう言うなら、出来るだけ気をつけるよ」


 出来るだけ気をつけるとはぐらかし、確約していない辺りに不安は残る。しかしそれも自由というやつだろうか、と彩音は何となく溜め息を吐いた。


「はぁ……もう、仕方ないんだから……」


 小さく肩を落とす彩音に、ナナシは何か思いついたのか、探るように尋ねてくる。


「……おねえちゃん、ところでさ、お腹とか減ってない?」


「えっ? え……っと」


 ナナシに尋ねられて、そういえばここへ来てから何も口にしていないということに、彩音は初めて気が付いた。気付くのと同時に、何だかお腹が空いているような気分にもなる。


 聞かれるまで気付かないというのも、不思議なものだ。そういうものだろうか、と彩音は首を傾げながら、ナナシへと返事することにした。


「ちょっと、減ってる……かも?」


「えっ、ホント? ~~~っ、やったぁ!」


 何が『やった』なのか分からず更に首を傾げる彩音の左手を、ナナシが興奮気味に引っ張った。


「それじゃ、ご飯にしようよ! ほらほら、こっちこっち、早く早く~! リリエラさんも手伝ってねっ!」


「えっ? ちょ、ちょっと、なんなのっ? な、ナナシくん?」


 訳が分からないまま客間の右奥隅にある扉へと、彩音はナナシによって連れ込まれる。そんな二人の後に――


「……………」


 無表情のリリエラが、黙って付き従った。

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