11-2 正解

* ユリア・シュバリアス



 隊員寮の自室に戻り、ベッドに座って、一人で意味もなく部屋の中を眺めていた。

 入り口から見て右側の壁に置かれた、二つの机と二つのクローゼットを見ていた。それらは壁の真ん中で分けて置かれている。つまりは簡単な個人的空間になっているわけだ。

 ルシアの空間はやっぱり汚い。閉まったクローゼットの扉から私服が少しはみ出ているし、机の上にペンと紙が散らばっている。

 その机の隅の方には、顔のよく似た家族の写真。ルシアと、両親と、たぶん妹が、笑顔で写っていた。

 それと。おそらく正義の味方が悪を懲らしめるタイプのものであろう小説が並んでいて、そこに紛れた『罪人と罰』という小説がなんだか異彩を放っていた。小説というものをほとんど読まない私にとっては、どれも知らないタイトルだった。

 机の上の壁にはコルクボードがかかっていた。そこにはトレース・マグナ関連の新聞記事がいくつか貼られている。世界公認のヒーローたるトレース・マグナの座に、ルシアは憧れていた。

 私の空間は、彼女に比べたら質素だった。机の上に置かれているのは自分で書いた訓練の記録と、折り畳まれた読みかけの新聞。特筆すべきものはそれだけだ。

 みんなはどうなのだろう。イロハの空間。サフィさんの空間。シマザキ隊長の空間。ハルの空間。みんなそれぞれ違った味があって、空間がその人の色になっているものなのだろう。

 ここ数日で、私は私自身を理解してきた。私の目の前にあるたった一本の道は、私にしか現れないものだ。みんなにはないものだ。

 私の空間は、たぶん私の色になっていない。無色だ。

 体の中心線が熱を帯びるような、生まれて初めての感覚がした。

 私は咄嗟に立ち上がって服を脱ぎ、戦闘用インナーの上にシャツとズボンだけ着た。これで外に出るには寒いだろうとわかっているけど、軍服のジャケットを着るわけにはいかなかった。





 ハルを殺した、その日の夜のことだ。


 私はハルに嫌いと言われたあの中庭で、二本ある木のうちの短い方の幹に、背をもたれてぼうっとしていた。

 巻かれた包帯が新鮮に思えて、体のあちこちをなんとなく眺めていた。ほかには誰もいない。


「おいおい、気分でも悪いのか?」


 誰もいないはずだった。

 独特の聞き覚えがあるその声に反応し、私は咄嗟に臨戦体制を整えようとしたけど、その寸前で首に剣を向けられ、動けなくなった。

 男は言った。


「まあ落ち着け。俺は話をしにきただけだ。お前が大人しく聞くんなら、それ以外には何もしねえで帰る」


 勝率は五部か、私が少し有利。

 でもそれは接近戦の話で、相手には汎用と転送の魔術がある。

 私は両手を挙げた。

 もうとっくに日は暮れていて、暗い中庭に噴水と風の音が響いていた。あの時と違って、虫の声はもうしない。


「案外聞き分けは良いんだな」男は剣を納めた。けど隙は見当たらない。「俺はジェイドだ。お前をスカウトしにきた」

「スカウト? 何にですか」


 彼を睨みつつ、手を下ろす。


「そうか聞いてねえのか」


 ジェイドは同じ木の幹に背中を預けた。そこまで太い木ではないから、角度的に顔は見えない。


「要するに俺の組織に入って、一緒に無覚醒を殲滅しねえかってことだ」

「はあ」


 組織だということはなんとなく予想がついていたけど、まさかこの男がそのリーダーだとは思わなかった。


「それがあなたたちの目的というわけですか」


 目的がそれなら何故わざわざあんなことをしたのか、とか、色々聞いてみたかったけど、今の私には大して重要じゃなかった。


「そんな誘いを私が受けると思いますか?」


 私は棒立ちを装いつつ、隙を探しながら言った。

 するとジェイドは鼻で笑った。


「まあ、だろうな。一回目はそう言うと思ってたぜ」

「まさか私に交渉が効くとでも?」

「はははっ、お前ほど交渉が無意味な人間はいねえかもな」

「……」


 黙るしかなかった。

 ジェイドは横顔だけこちらに向けて言った。


「俺がするのは提案だ」

「提案」

「お前は人を助けたいんだったよな」

「そうですけど」

「お前は今の立場の方がたくさん人助けができると思ってるみたいだが、そもそもお前の目的は人助けじゃねえだろ」


 心臓と脳を掴まれたような感覚がした。


「よく考えてみろ。感謝される機会が多いのは反無覚醒こっち側だぞ?」


 この男は、ハルを死に追いやった人間の一人だ。その男にこんなセリフを吐かれても、私の心は動かないらしい。

 それに何故かはわからないけど、ジェイドは私のことを私よりも知っているみたいだった。


「私のことを勝手に決めないでもらえますか」


 怒りじゃない。

 それを知っているのか、ジェイドはまた笑った。


「確かに、どっちが正解か判定するのはお前の感性だもんな。まあいいさ、急ぎじゃねえ」


 ジェイドは上着のポケットから一枚の紙切れを取り出した。


「決まったらこの場所に来い」そう言って紙切れを持った手を左右に揺らす。「念のため言っておくが、お前一人で来ない限りは何もない場所だ」


 そしてジェイドは、「じゃあまたな」と言った。

 ジェイドの腕に小魔法陣が現れ、彼は姿を消した。紙切れがひらひらと空中を舞い、静かに芝生の上に落ちた。

 私はその紙切れを拾い、ジェイドが立っていた場所で木の幹に背中を預けた。

 そして紙切れに描かれている文字を、しばらく黙って眺めていた。

 風と噴水の音がうるさかった。





(どこに行くつもりだ)


 デバイスすら置いて扉を開けたところで、ニルが言った。


(まさかあの男の誘いに乗るつもりか)


 返答は決まっていたけど、少し言葉に詰まってから言った。


「うん」

(……そうか)


 ニルはそれ以上何も言わなかった。

 止めようとしてくれたのはわかっている。ニルが何も言えない理由もわかっている。


「ごめんね。セロリはまた今度つくるよ」


 私もそれ以上は何も言わないようにした。

 部屋を出て、もう一度、何も変わっていない自室を眺めた。

 扉を閉めた。

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