第25話:うーむ……気になる

 ふわり先生とキスをしたあの日から一週間が経つ。


 しかしその日から、ピタっとふわり先生はバーcalmカルムに来なくなった。


 学校では普通に出勤してるし、体調を崩したとかではなさそうだ。

 でも学校で先生に訊ねるわけにもいかない。だから理由はわからない。


 俺が付き合えないとはっきり言ったから、愛想を尽かされたのか。

 俺が好きだと告白したのを聞いて、満足して、もういいやとなっちゃったのか。

 それとも何か、他にも理由があるのか。


 うーむ……気になる。


 学校での昼休み。そんなことを考えながら廊下を歩いていた。


 ちょうど国語教科準備室の前を通り過ぎようとした時に、突然ガラリと勢いよく扉が開いた。


「うわ、びっくりしたよぉ〜」


 中から出てきたのはふわり先生だった。

 急に出てくるもんだから、俺にぶつかりかけて、目を丸くしている。


 びっくりしたのは俺の方だよ。

 部屋から廊下に出る時は、ちゃんと人の行き来を確かめてから出るもんだ。


 急な飛び出し禁止!

 って、小学校で学ばなかったのか?


「あら、穂村君。ちょうどいいところに」


 教師の『ちょうどいい』は生徒の『間が悪い』に決まってる。

 俺は警戒心を隠さずに答えた。


「なんすか?」

「あのさ。あの棚の上の荷物、下ろしてくれないかなぁ?」


 開いた扉の合間から、教科準備室の中を指差すふわり先生。

 その指の先に視線を向けると、壁際にスチール製の書棚があった。棚の一番上に段ボール箱がある。


「あの箱を下に下ろして欲しいんだ。私じゃ背が届かなくてさ」


 書棚のすぐ前には踏み台が置かれているが、低いタイプのものだ。

 あれじゃあ、背の低いふわり先生だとまったく荷物に手が届かない。


 まあ、俺ならギリ届きそうだ。

 仕方ない。手伝ってやるか。


「わかりました」


 教科準備室に足を踏み入れ、踏み台の上に登る。

 背伸びをして両手を伸ばすと、段ボール箱の下の方に手が届いた。


 そんなに重くない。これなら両手で箱を持ち上げられる。

 両手を上に伸ばしたまま、段ボール箱を持ち上げた。

 その瞬間、箱の中に入っているなにか重量物が、転がるのを手に感じた。そのせいでバランスが崩れて、箱が手から落ちそうになる。


 慌てて箱を棚の上に置き直したが、同時に今度は足元の踏み台がぐらついた。


「うわっ……」


 ヤバい、コケる!

 グラリとバランスを崩して、踏み棚の上から、後方に足を踏み外した。


 その途端、すぐ後ろに立っていたふわり先生の身体に俺の背中がぶつかった。


「きゃうん!」


 俺の背中に押されて、先生が仰向けに倒れる。

 俺は身体を捻って、先生の背中に手を回して身体を支えたが、少し間に合わなかった。


 先生が後頭部や背中を床で強打するのは、避けることができたが、先生も俺も、床に倒れてしまった。


 仰向けに倒れたふわり先生の上に俺が覆いかぶさって、身体が密着している。

 しかも拳一個分の距離に顔と顔があって、先生の息遣いが俺の鼻にかかる。


 つまり──バーcalmカルムの時と、まったく同じ状況だ。


 しかもマズいことに、倒れた勢いで俺のメガネは飛んでしまった。

 さらに下を向いているせいで、いつもは俺の目を隠している前髪が、顔から浮いている。


 つまり、寝転んで下から俺を見つめるふわり先生からは、俺の素顔がバッチリと見えている。


 ──目と目が合った。


「……ホト君?」


 先生が目を見開いて、ボソっと呟いた。


「あ、いや。違う」


 俺は慌てて立ち上がる。

 そして先生に声をかけた。


「先生は大丈夫? ケガはない?」


 はっきりと喋るホト君の時とは違い、ボソボソと暗い話し方だ。


「あ、うん。大丈夫」


 立ち上がった先生は、何がなにやらわからないといった顔をしている。


「じゃあ、俺行きます」

「あ、まって穂村君……」


 先生の声を背に、振り返らずに俺は教科準備室から出ようとした。


 そしたら急に、後ろから手首を握られて引っ張られた。

 女性の力だからそんなに強くはなかったけど、不意をつかれたせいで足元がふらつく。


 振り向いて倒れてかけて、そのまま目の前のふわり先生とぶつかってしまった。

 小柄な彼女は、俺の胸にどんとぶつかって顔をうずめた。


「うぷぷっ……」


 息が詰まった先生が出した声。

 おかしすぎる。

 思わずぷっと笑ってしまった。


 俺の胸から顔を上げ、半歩下がって俺を睨む先生。


「んもうっ、鼻で笑うなんて酷くない?」


 頬をぷくっと膨らませてフグかよ。可愛いけど。


「だって先生、おかしかったから」

「まあいいわ。それよりも穂村君」

「はい?」

「キミ……ホト君だよね」

「だから違うって」

「ふむ……語るに落ちるとはこのことだよ」

「は?」


 別に何も語ってないのに、いったい何を言ってるんだ?

 しかもまるで名探偵のような口調がおかしすぎる。


「ほとくん、なんて聞き慣れない言葉。穂村君はさっきも今も、まったく違和感なく、人の名前だって理解してるよね。なぜ?」


 ──あ。しまった。


 背筋を冷たい汗が流れた。

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