第23話:毎晩のようにふわり先生がやって来る

 笑川えみかわのストーカー問題が解決して数日が経った。

 これで、また今までの平穏な日々が戻ってくると思っていたが……そんなはずはなかった。


 バーに毎晩のようにふわり先生がやって来る。

 この状況をなんとかしないといけない。

 こんなにしょっちゅう顔を合わせていたら、いくらなんでもそのうち俺の正体がバレてしまう気がして不安だ。


 真紅しんく姉さんにお願いして、しばらくバイトを休ませてもらおうか。

 ふわり先生には、俺は店を辞めたことにすればいい。

 そうすれば先生は、バーcalmカルムに通うのをやめるだろう。


 そう。とても簡単なことだ。


 だけど俺は、未だにそれを実行できずにいる。

 なぜかと言うと、ふわり先生と過ごす時間が案外楽しいと思い始めているからだ。


 ふわり先生って素直だし、俺が言ったアドバイスをどんどん実行してくれるし、ことが上手くいったらマジ嬉しそうに笑うし。

 そんなところが可愛くて、会話をするのが楽しい。


 バーで話すことなんて何げない話題が多いけど、そんな会話でもホントに楽しそうに笑顔だし。そんな姿を見るのも楽しい。


 最初の頃よりも、どんどんふわり先生が可愛く見えてくる。


 ──いや待てよ俺。

 これはヤバいんでは?


「でさあホト君。この前キミがアドバイスしてくれたことを学校でしたんだよね。そしたら上手くいった!」


 ちょっと幼い顔を崩してニカっと笑う。

 やっぱ可愛い。


「……あ、そう。そりゃよかった」

「ありがとうね」

「別に。大したアドバイスじゃない」


 できるだけ突き放したようなクールな口調で返事をする。


「なによホト君。相変らず冷たいなぁ」

「これが俺だから」

「ん……そうだね」


 そんな寂しそうな顔すんなよ。

 初めのころは冷たい態度でも『そこがいい』なんて言ってたふわり先生。

 どエムかよって思ってたけど、そうでもないらしい。


 こんな寂しそうな表情を見たら、胸がチクリと痛む。


「ありがとうございましたぁ~」


 他に居た2人組のお客さんが帰って行った。

 ドアを開けて帰って行く客の背中に真紅姉さんが声をかけてから、俺の耳元で「ちょい休憩するわ」と小声で囁いた。そして奥のバックヤードに姿を消した。


 店内には俺とふわり先生だけになって、一瞬静寂が訪れる。


「あ、そうだふわりちゃん。おすすめのお酒が入ったんだけど飲む?」


 昨日たまたま珍しい梅酒が手に入ったことを思い出して、場の気まずさをごまかすために、ついそんなことを言ってしまった。


「おすすめ? なになに?」

「普通の梅酒の5倍くらいの値段なんだけどさ。神秘の梅酒って呼ばれるレアな高級梅酒なんだよ」

「うわっ、ホト君って商売上手ぅ~ そうやって高いお酒を飲ませようとしてるんでしょ?」

「あ……ち、違うよ。めったに手に入らない美味しいお酒だから、ふわりちゃんに飲ませてあげたいと思って……」

「わかってるって。ホト君がそんなに焦るなんて珍しいね。可愛い。うふ」


 あ。やられた。

 ツッコまれてつい焦るなんて、いつもの俺らしくない。


 しかも可愛いだなんて言われてしまうなんて。

 くそっ、恥ずい。顔が熱い。


「じゃあ、出すよ」


 俺はカウンターの中から出て、ふわり先生が座る背中側にある酒棚の前に移動した。

 天井まである背の高い酒棚だ。くだんの梅酒は一番高い位置の棚に飾ってあって、手が届かない。

 俺は小さな踏み台を置いて、その上に昇って、さらに背伸びをして棚の上に手を伸ばす。


「へぇ~、すっごく色んなお酒があるのねぇ~!」


 いきなり背中の方から声が聞こえて、振り向いて下を見た。

 ふわり先生がすぐ近くに寄ってきて、酒の棚を見上げている。


 こちらからは彼女を見おろす形になるから、ブラウスの襟元から胸の谷間が目に飛び込んできた。

 しかもブラジャーのレースの部分もバッチリ見えている。

 それどころか、おっぱいの先っちょが見えそう……


 ──うっわ、ヤベぇ!


 思わず首を伸ばして、先っちょが見える視線の角度を探ってしまった。

 アホだ俺。


「うわっ……」


 そのせいでグラリとバランスを崩して、踏み棚の上から足を踏み外した。


「きゃうん!」


 ふわり先生の上に覆いかぶさるように、床に倒れてしまった。

 咄嗟に先生の背中に手を回して、先生が後頭部や背中を床で強打するのは、避けることができた。


 だけど仰向けに倒れたふわり先生の上に、完全に身体が密着状態で俺が覆いかぶさっている。しかも拳一個分の距離に顔と顔が接近中で、先生の息遣いが俺の鼻にかかっている。


 目と目が合った。

 くりんとして長いまつ毛の大きな目が、

 少し潤んで、

 俺を見つめている。


 ──めっちゃ可愛い。


 そう思った瞬間、ふわり先生はすっと目を閉じた。

 少し唇を前に出している。


 これは──完全にキスをねだる仕草だ。

 どくんと、激しく、鼓動が跳ねた。

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