第4話 新婚生活
かくして、
ふたりは一年余りの交際期間を経て結婚した。
新婚生活は、翔太郎が勤める銀行に徒歩で通える場所にある2LDKの中古マンションの社宅からスタートした。
そこは社宅といえども借り上げのため、銀行関係者は住んでいない。したがって、社宅にありがちな婦人同士の煩雑な付き合いなどとは無縁の、まさに無聊の日々を蛍は享受することになったのである。
「翔ちゃん、今日は早いの?」
「月末が近いから遅くなるかもね。ケイ、先にご飯食べてて」
「ラジャー! (`・ω・´)ゞ」
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
蛍は翔太郎を「翔ちゃん」と呼び、翔太郎は蛍を「ケイ」と呼んだ。
交際を始めた頃から自然とそう呼び合うようになった。会う度にふたりの仲良し度は増した。まるで昔からの親友のようでもあるその関係は、男同士のようであり、女同士のようであった。
一度、蛍は兎の夢の話を翔太郎にしたことがあった。
「かなり前の過去世でね、闘技場で戦っていたらしいの。強かったの、私って。どう? ちょっと惹かれない?」
「グラディエーターか。かっこいいね。もしもその時のケイと出逢っていたら、僕はきっと自分から告白してただろうね」
「ほんと!? やったー! それでね、翔ちゃんはその時代もいたってことにしよう」
ここからは完全に蛍の妄想である。
「翔ちゃんの身分は皇帝の想い人なの。その時代の翔ちゃんも今みたいな美青年で、超素敵なの! でね、その美青年とグラディエーターは出逢って恋に落ちるの。
でも、それを知った皇帝の嫉妬を買って、グラディエーターは猛獣と闘うはめになって最期を遂げるの。美青年も悲しみのあまり河に身を投げて自ら命を絶つのよ」
「カタストロフだね」
「その方がだんぜんロマンチックよ。決まり! 翔ちゃんの前世は、私の恋人」
「今世は夫だね」
「うんっ!」
蛍のたわいもない妄想噺にも翔太郎はいつも楽しそうに耳を傾け、嬉しい相槌を打ってくれるのだった。
そんな翔太郎のために、蛍は自分の外見から少しでも〝女〟を消そうと努力した。
腰まで伸ばしていたストレートの黒髪を肩の上までばっさり切って緩くウェーブを入れ、薄っすらとブラウンのカラーリングを施した。メイクは控え目にし、心持ち眉を太くした。フェミニンな服は全て廃棄し、マニッシュなものを揃えた。インナーにも気を配り、Dカップの豊胸をさらしできつく巻いて平らに見える工夫をし、曲線的なラインを隠すことに努めた。
そのようにして初めて翔太郎の前に現われた時、「とても素敵だ」と感心された。
何より、蛍が一番嬉しかったのは、「でも、ケイはケイのままでいいんだよ」という言葉だった。
その日も蛍はいつものように翔太郎を送り出すと、洗濯物を干しにベランダに出た。見上げる空にはウロコ雲が広がっている。季節は秋を告げていた。
「ん?」
西の空の雲間に薄く月が出ていた。
「こんな時間に出てる月……なんだか有り難みがないっていうか」
小さな頃、蛍は本当に月には兎がいると信じていた。兎が餅を搗いているいるのだと。そして、その餅にこそ興味があった。月を見るたび掌を差し出し、「おモチください」とお願いしていた幼年時代。
今もまた、蛍は薄い月に向かって掌を差し出した。
「お月様、私に男の身体を与えて下さい。そしたら、愛する翔ちゃんをもっと幸せにできるかもしれません。もっと深く愛し合えて……あんなこと、こんなこと、できたらいいな~♪」
翔太郎と蛍は仲睦まじい夫婦だが、肉体的に触れ合うことはない。
互いの精神と性向を尊重し合うがゆえに、望まぬ形での妥協はできかねた。
洗濯物を干し始めた蛍は替えのさらしを手に取り、ふと思った。自分は今後もこれを巻き続けるつもりだが、翔太郎はそれで満足なのだろうかと。もしも彼を本当に幸せにできる男性が現われたら、自分は身を引くべきなのか。
あまり想像したくない未来。
蛍はそんな考えを払拭するように、せっせと家事に専念した。
午前中のうちに大方の家事を終え、適当に昼食を済ませた後、スマホで動画を漁っているうちに眠気に襲われた。
ブランケットを用意して、ソファに横になろうとした時だった。
ピンポ~ン♪
来客を告げるチャイムが鳴った。
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