雄叫びの震撼を経て

「魔王が本格的に目覚める前に、動きを封じるんだ」


 ——決行の前日。

 アリスさんは僕らへ、作戦のあらましを話して聞かせてくれた。


 まずは、僕の魔術によりメンバーの時間を加速する。

 同時にカレンの手で遅延結界を解除する。

 変異種が動きを再開するから、母さんとショコラで対応する。


 そして、その次。


魔王あいつは、千八百年のタイムラグ……その余波で一秒か二秒は動けない。短めに一秒の猶予と見ておこうか。その一秒を使って、。ジ・リズさん……あなたの力でね」


 ジ・リズはどこか不安げな様子だった。


「本当にのか? 理屈の上では可能かもしれんが、魔王は……ああなってしまったひいひい爺さまは、果たして竜族ドラゴンと言えるのか?」


 しかしアリスさんは断言する。


「……こういうことを言うのはつらいけど。魔王は間違いなく竜の因子を持っているよ。あれの魔力を直に感じた私が断言する。姿が変わり果てていても、属性が変質してぐちゃぐちゃになっていても……その根幹は、ジ・ディアなんだ。ジ・ディアのものだったんだよ」


 かつての友達、その息子を想い、唇を咬み拳をぎゅっと握って——彼女は小さくうつむいた後、顔を上げた。

 顔を上げて、ジ・リズをまっすぐに見た。


「だからきっと通じる。全力で叩き込んでほしい。……『竜の咆吼ドラゴンズロア』を」



※※※



 かくして、今。

 僕が腕を振って送った合図に、ジ・ディアの子孫——ファーヴニル氏族のジ・リズは、深く息を吸う。


 直後、彼は口を開け。


「オ——オオォオオオオオオオオォオオオオオオオオオオォ————!!!」


 第ゼロ区を震わせる大音声だいおんじょうを、発する。


 それは竜が魔力を乗せて放つ絶叫。

 千里どころか万里に乗り、壁を越え山脈を越え空を越え、大陸中に響き渡るとさえ言われるうた


「オオォォオオオオオオオ、オォオオオオオオオオァ————ッ!!!」」


 そう、うただ。

 絶叫でありながら不思議な旋律があり、耳をつんざきながらもどこか心地いい。思わず身をすくませてしまうほど野太くありながら、いつまでも身を委ねたくなるほどに繊細な響き。


竜の咆吼ドラゴンズロア』——風属性の魔導を用い、己の魔力を音に乗せて放つそれは、竜族ドラゴン固有の魔術である。


 用途は、だ。


 血族の咆吼ロアを聞いた者は、ほとんど反射的に咆吼ロアを返す。思考するいとまもなく、たとえ眠っていたとしても飛び起きて応えてしまうという。竜の遺伝子に植え付けられた、として。


 遠く離れた場所で暮らす家族がまだ生きているのか。生きていたとして、健やかに暮らしているのか。長命種である竜は、たとえ親子であっても一翼ひとり立ちすれば数百年単位で会わないことも珍しくなく、どこに住んでいるのかすら定かでない。故に、こういう魔導をいつの頃からか覚え、呼びかけには必ず応えよという風習はやがて本能に染み付いた習性となった。咆吼ロアの波長からは居場所を逆探知することはもちろん、健康状態や寿命も読み取れるそうだ。


 ——いざ実際に聞いてみれば。


 大音声でありながらどこまでも優しいその叫びは、僕らの胸を打った。感動の鳥肌が立ち、問答無用で胸が熱くなる。けれど。


 いや、だからこそ。


 魔王は——千八百年の時差による一秒の間隙かんげきを終え、今まさに暴虐を再開しようとしていた、かつての竜族ドラゴンは。

 ジ・リズの咆吼ほうこうに、動きを止めていた。


 正確には、硬直しているのではない。のだ。遥かな血族、玄孫やしゃごから放たれた安否の問いかけに対し、本能で。自分はここにいると、ここに健在であると。


 ただそれは、果たせない。

 もはや竜のものではなくなった蟲の頭からは声が出せない。喉に声帯はなく、口吻くちに舌はなく、乱雑にぐちゃぐちゃとなった属性は魔導を練れず、己の魔力を音と風に乗せることもできずにいる。


 なのに本能は——身体に残った竜族ドラゴンの習性が、咆吼をあげようとして。


「……っ」


 胸が詰まる。その仕草、頭部を上向かせたまま固まる姿が痛ましい。

 血縁のジ・リズはなおさらだろう。


「わうっ……わおんっ!」


 変異種に対応しながらショコラがことさらに吠えるのもきっと、その音色に気持ちを突き動かされてのことだ。難しいことはわからなくても、こいつは他者の気持ちにとても敏感だから。


「……オ、オオオオオオオオ! オオオオオオオオオオオオッ!」


 僕の背後で、僕の友達が、よりいっそう喉を震わせる。悲しげに力強く叫び続ける。それはきっと血族の安否を問うためのものではない。目の前の、かつての高祖父に、子孫たる自身の安否を知らせるためのものだ。


 ジ・リズは叫ぶ。

 あなたの血族がここにいる、そばにいる、あなたの心は受け継いでいる。

 だからどうかせめて、安らかに——。


「……スイくん! 歳也としや薫子かおるこっ!!」


 アリスさんの号令は、涙で潤んでいた。

 だから僕は歯を食いしばると、飛び出したアリスさんへと追従した。


 ジ・リズの咆吼に対し、魔王がいつまで硬直していられるかはわからない。アリスさんは五秒と推測していたが、もっと長いかもしれないし短いかもしれない。だから次の一手、最後のひと押しをやらなくちゃ。


 それは——アリスさんの立てた作戦の最も肝要な部分だ。


 

 つまり、相手が本格的に動き始める前に、すべてを終わらせること。



「——寄る辺にいて、さだめに鳴く」



 詠唱が聞こえ始める。

 その呪文は僕のよく知るもので、しかし僕が発したものではない。


よすがいて、かなめす」


 アリスさんの背後、シキさんの隣。

 片腕を掲げて唱えているのは——二対四枚の美しい羽を背にした、小柄な少年の姿をした妖精王。


 かつてこの世界に転移してきた——樋口ひぐち歳也という名の日本人は、仲間の中で最も、闇属性の魔導に長けていたという。禁忌の大魔術を行使し妖精へと転じた今でも、その属性は失われていない。


「五度、七度、五度。曲がって戻れば、潰れた、濡れた。うたえば更けて、月は消え、あちらとこちらでよどんで萎えろ……」


 だから僕が術式を教えて、かつシキさんからの魔力支援があれば、因果遅延の魔術くらいはこうして発動できるんだ。


 伸ばした手からきらきらと、鱗粉にも似た輝きが舞う。

 僕の具現化する黒い鎖とはまた違った、それは四季シキさんの心象を映す魔導の発現。


 その鱗粉が魔王の身体に到達した瞬間、妖精王は叫んだ。




「スイくん、魔術を借りるよ……『深更しんこう悌退ていたい』!」

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