二千年の孤独と今ここにある永遠

かくしてお城は空へと浮かび

 時間を静止させてたたずむ、二千年前の稀存種きぞんしゅ

 そしてそのかたわらで同じように動きを止める、黒髪のエルフ。


 綿貫わたぬき亜里子ありす——かつて四季シキさんたちと一緒に日本から転移してきた少女にして、世界改変の大魔術に伴いエルフへと変化した人。始祖六氏族がひとつ、アテナクワタヌキの祖。


 僕は大きな驚きの中、彼女の名を口に出すことをぎりぎりこらえた。


 四季シキさんから得た知識はきっと、今のエルフ国アルフヘイムが持つものよりもよほど詳しい。彼らの存在についてはもちろん——信用できない相手がいるこの場で、僕らが情報を持っていることを悟られるわけにはいかなかった。


「すまない、シキが取り乱してしまっている。……かく言うぼくもまったく冷静じゃないんだが。まいったな。なだめるために、しばらく黙るよ」


 狼狽した四季シキさんの声が幽世かくりよから届く。

 僕は静かに頷いた。


 改めて、を見遣る。

 僕の『深更梯退しんこうていたい』よりもよほど強力な因果遅延がかけられているのがわかる。それが故に、魔力などは一切感じない。なにせ時が止まっているのだから。


 壁越しだと手応えのないがらんどうに思えたのも当然か。この状態であれば実質、なにもないのと同じだ。


「近寄るなよ、ショコラ。巻き込まれる」

「くぅーん……」

「カレンも、母さんも。この魔術は物質じゃなく一定範囲の空間にかけられてるみたいだ。外から攻撃を加えてもおそらく無駄だよ」


「ん。……ヴィオレさま、抑えて」

「ええ、わかってるわ。……わかってる」


 ぎり、と音が聞こえるほどに歯咬みする母さん。

 心中はとても推し量れない。だってあの魔王——虫みたいな竜みたいな化け物と、そいつが産んだ変異種たちはつまり、


「ルイスとエクセアの仇討あだうち。エミシ、あんたがそう言った理由がようやくわかったわ。私はてっきり、長老会の誰かが差し向けたものだと思ってたけど」

「人災ではなく事故だ、とも言ったろう。……だが、きみの憤りは理解できる。私もユズリハも、これを知った時に同じ感情を抱いた」


「ええ。できることなら今すぐ、親玉ごと。一匹残らず潰してやりたいわ」


 長老会とやり合っていた時には静かだった母さんの魔力が、今は荒れ狂っている。

 マグマのように熱く氷柱のように鋭い——炎と氷を同時に使う『天鈴てんれいの魔女』の本気。


「すまない、本当に抑えてくれ。魔力の強くない私などは、きみからの圧力で気を失いそうだ」

「悪いけど無理よエミシ。頑張って耐えなさい」


「母さん。今はどうしようもない。まずは話を聞こう」

「……っ、そうね。ごめんなさい、スイくん。カレンも。あなたのご両親のことなのにね」

「ん、だいじょぶ。怒ってくれてありがとう、ヴィオレさま」


 ようやく魔力を落ち着け、カレンと身を寄せあう母さん。

 カレンの頭を撫でながら深呼吸している。


 僕はそれを見届けてから、長老会の面々に向き直った。


「最初に尋ねますが、僕への依頼っていうのは、この稀存種……二千年前の魔王の討伐。それで、合ってますか?」

「可能であれば、な。無理であっても、せめてこの結界の補強をと思うておる」


 答えたのはミヤコさんだった。

 彼女もまた、強大な魔力を持っているはずだ。なにせ老婆でありながら肉体は十代前半。認定されるのを避けているだけで、おそらくは『魔女』クラス。


 けれど彼女の眼には、諦観があった。


「そもこれは、人が相手をしていいようなものではない。まかり間違って目覚めでもすれば、世界が滅ぶ。……それでもそなたが倒せるというのなら、無論、それにくはないが」

「ひとまずは明言を避けます。だけど、不可能だとまでは言わない」

「……そうかえ。それほどまでか、そなたは」


 諦観はおそらく、自分自身へ向けて。

 それだけではなく、エルフ国アルフヘイムそのものへ向けての。


「わらわは百十年生きておる。長老会の席に着き、始祖さまのことを知らされたのが百年ほど前よ。……その間ずっと、数限りない同胞エルフたちを見てきた。才を検分し、有能な者を育ててきた。そこなモアタもまた、わらわの教え子よ。されど——今に至るまで、始祖さまを救える手立てはついぞ、見付からなんだ」


「カレンを私が引き取ることを許したのは、この子が属性相剋そうこくだったから?」

「そうではない、と言ったら嘘にはなる」


 棘のある母さんの問いに、ミヤコさんは力なく首を振った。


「クィーオーユの遺児……カレンに魔導の才がないとわかった時、わらわの胸にあったのは失望と安堵であった。されど今にしてみれば、愚かなことよ。相剋を治し、『天鈴』の教えを受け、この子は寵児ちょうじとなったのじゃからのう」


 そんな彼女へ、カレンが一歩前に出て毅然と告げた。


「私の魔力相剋を治してくれたのは、スイ。そして魔術を教えてくれたのはヴィオレさま。だからどのみち、この国にいたら私は魔術を使えないままだった。……でも、そのことは今はいい」


 告げて——返す刀で、核心に斬り込む。


「教えて。なぜ、エルフ国アルフヘイムの中枢に、魔王が封印されているの? この国が空に浮かんでいることと、なにか関係があるの?」


 たっぷり十秒ほど、ミヤコさんは目を閉じていただろうか。

 やがて深い溜め息とともに、彼女は語り始める。


「昔話になる。それも二千年前ののう。誰も生きてはおらん、半端な口伝しか残っておらん、そういう話じゃ。されど、事実でもある。なにせ始祖さまご本人が、ここにまだいらっしゃるが故に——」


 それは、二千年前の物語。

 四季シキさんたちが世界を改変した後、残された六人の日本人エルフたちが辿った、世界の傷口を塞ぐための戦いの話後日談だった。



※※※



四季シキさんとシキさんが『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』に消え——姿を認識できなくなった後)


 六つの氏族を始祖にして、エルフたちは家族を増やしつつあった。


 だけどその繁栄の前に、大きな問題が立ちはだかる。

 二千年を経た今なお、大陸に残る先史の傷痕。変異種が極端に生まれやすい土地——『神威しんい煮凝にこごり』の存在だ。


(それはかつての大国たちが、魔王生産施設を構えていた跡地。人工的に魔力坩堝を造り続けたことでもの。正常に戻るには自然治癒を待つほかなく、それには何千年もかかってしまう)


 放っておけば変異種だけでは飽きたらず、稀存種までもが生まれ得る危険地帯だ。どうにかしなければならない。だが、どんなに思案を重ねても抜本的解決は見付からず、定期的に魔力を散らすという対症療法しかない。


 話し合いの結果——。


 アテナク(綿貫)の子供たちが代表して、虚の森を監視することにした。

 ヘルヘイム渓谷には、妖精犬クー・シーを放つことにした。

 そして悪性あくせい海域は、始祖の友である竜族ドラゴンに頼むことにした。


 ひとまずはこれでどうにかなるだろう。

 もし各地で手が足りなくなれば同胞総出で手を貸せばいい。運営に不安はあれどエルフという種族は今や、着実に数を増やしている。どうにかなるはずだ。


 ——どうにかなる、はずだったのだ。


 エルフたちにとっても世界にとっても、大きな見落としがあった。

 それは『神威の煮凝り』が三つしかないと、誰もが思っていたこと——。


 新たな『神威の煮凝り』が発見されたのは、二百年が経った後だった。

(どこかの旧国が極秘に建造していた魔王城が、誰の目にも触れずに放置されていたのだろう)


 そしてその『神威の煮凝り(魔王城)』には、既に稀存種(魔王)がいた。

 虫の姿をした竜。あるいは、竜の貌をした虫。

 変異種の入った卵を産む、最悪の災厄だった。


 エルフたちは戦った。


(未だ有史の未明。おそらく他国の文明は未熟で、礎人そじんもドワーフも獣人も団結できなかったはずだ。国ができていたかさえ定かではない)


 その過程で、始祖たちの半分が死んだ。魔力に優れ、二百年を生きていた始祖たちは、まるでそれが自身の役目だとばかりに先陣を切って魔王に立ち向かい、次々とたおれていった。


 それでも稀存種は討ち果たせず、やがて彼らは苦肉の策を決行する。

 稀存種の時を止めて封印し、住処である『神威の煮凝り』ごとを、空へと隔離する——そうしてエルフたちの手で永遠に見張り続ける、というものだった。


 稀存種は城により囲い、その外側に城壁で居住区を作り、化け物を臓腑ぞうふに抱えたまま、かくしてエルフの国は天空に浮かぶこととなる。


 始祖たちの——命を賭した、大魔術によって。



※※※



 ミヤコさんは、長い語りの最後に深く嘆息した。


「千八百年前——稀存種をはらに囲うて天にある国は、さぞ緊張に満ちていたであろな」


 だけど、


「されど。二百年もてば、慣れてくる。四百年も経てば、遠ざけられる。六百年経ったらもう、悲劇すらも忘れられる。八百年を経て、千年も過ぎる頃には、国の機密としてしか伝わらんようになる。そこから更に経て千二百年。伝承さえ散逸し口伝となり果て、歴史を知らされる者はごく一部となった」


 その声の重み、込められた感情は、


「千三百年経ってファッティマが、空は嫌じゃと地へ降りなさった。千五百年経ってとうとう、森でお役目を果たすアテナクへ降嫁こうかしたがる者がおらんようになってしもうた。あとはもう、見ての通りの有様ありさまよ。始祖さまの結界から逃れた変異種が国を襲おうと、もはや誰にも真実を知らせるわけにはいかぬ。ついにアテナクもお役目を捨て……今やこの国は、わらわたちの積み重ねてきたものは、世界もろともに脆く消え去ろうとしておる」


 彼女の向かう、視線の先は——。


「されど。されどな。わらわは、見てしもうた。長老のひとりとなった十二の頃に、逢ってしもうたのじゃ」


 綿貫さん。

 魔王と相対し、時を止めたまま動かない、綿貫アリスさんを見ていた。


「始祖さま。もはやどの氏族かも伝わっておらぬ。名すらも喪われておる。なのに、子孫らがそのような不義理を働いていてもなお、今もこうしてこの国を、わらわたちを、この世を守ってくださっている……千八百年の間、戦い続けておられる」


 ミヤコさんは——ミヤコ=ヴェーダは、声を震わせた。


「ならばせめて、いつか遠い未来、この方がお目覚めにならっしゃる時には。血を繋いだ六つの仔らがご健在であると。想いはきちんと継がれているのだと……喜んでいただきたいと。……わらわは、そう思うたのよ」





——————————————————

 千八百年というのはもちろんですが、ミヤコの経験した百年というのも、ひとりの人生が進む道としては途方もなく長く、その過程で彼女の考え方や手段は歪んでいったのかもしれません。


・TIPS

 作中で語られた時の流れにともなうエルフたちの変化ですが、ミヤコが1800年前を起点として話しているため少しわかりにくいです。以下にまとめてみましたので、混乱した方がいたら。

1800年前 建国

1600年前 状況に慣れてくる(200年後)

1400年前 中枢の問題が遠ざけられる(400年後)

1200年前 建国時の悲劇が忘れられ始める(600年後)

800年前 中枢にあるものが国の機密となる(1000年後)

600年前 伝承さえ散逸し口伝となる(1200年後)

500年前 ファッティマ、国を出て地上に(1300年後)

300年前 アテナクに降嫁したがる人がいなくなった(1500年後)

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