二千年の孤独と今ここにある永遠
かくしてお城は空へと浮かび
時間を静止させて
そしてその
僕は大きな驚きの中、彼女の名を口に出すことをぎりぎり
「すまない、
狼狽した
僕は静かに頷いた。
改めて、そこにあるものたちを見遣る。
僕の『
壁越しだと手応えのないがらんどうに思えたのも当然か。この状態であれば実質、なにもないのと同じだ。
「近寄るなよ、ショコラ。巻き込まれる」
「くぅーん……」
「カレンも、母さんも。この魔術は物質じゃなく一定範囲の空間にかけられてるみたいだ。外から攻撃を加えてもおそらく無駄だよ」
「ん。……ヴィオレさま、抑えて」
「ええ、わかってるわ。……わかってる」
ぎり、と音が聞こえるほどに歯咬みする母さん。
心中はとても推し量れない。だってあの魔王——虫みたいな竜みたいな化け物と、そいつが産んだ変異種たちはつまり、
「ルイスとエクセアの
「人災ではなく事故だ、とも言ったろう。……だが、きみの憤りは理解できる。私もユズリハも、これを知った時に同じ感情を抱いた」
「ええ。できることなら今すぐ、親玉ごと。一匹残らず潰してやりたいわ」
長老会とやり合っていた時には静かだった母さんの魔力が、今は荒れ狂っている。
マグマのように熱く氷柱のように鋭い——炎と氷を同時に使う『
「すまない、本当に抑えてくれ。魔力の強くない私などは、きみからの圧力で気を失いそうだ」
「悪いけど無理よエミシ。頑張って耐えなさい」
「母さん。今はどうしようもない。まずは話を聞こう」
「……っ、そうね。ごめんなさい、スイくん。カレンも。あなたのご両親のことなのにね」
「ん、だいじょぶ。怒ってくれてありがとう、ヴィオレさま」
ようやく魔力を落ち着け、カレンと身を寄せあう母さん。
カレンの頭を撫でながら深呼吸している。
僕はそれを見届けてから、長老会の面々に向き直った。
「最初に尋ねますが、僕への依頼っていうのは、この稀存種……二千年前の魔王の討伐。それで、合ってますか?」
「可能であれば、な。無理であっても、せめてこの結界の補強をと思うておる」
答えたのはミヤコさんだった。
彼女もまた、強大な魔力を持っているはずだ。なにせ老婆でありながら肉体は十代前半。認定されるのを避けているだけで、おそらくは『魔女』クラス。
けれど彼女の眼には、諦観があった。
「そもこれは、人が相手をしていいようなものではない。まかり間違って目覚めでもすれば、世界が滅ぶ。……それでもそなたが倒せるというのなら、無論、それに
「ひとまずは明言を避けます。だけど、不可能だとまでは言わない」
「……そうかえ。それほどまでか、そなたは」
諦観はおそらく、自分自身へ向けて。
それだけではなく、
「わらわは百十年生きておる。長老会の席に着き、始祖さまのことを知らされたのが百年ほど前よ。……その間ずっと、数限りない
「カレンを私が引き取ることを許したのは、この子が属性
「そうではない、と言ったら嘘にはなる」
棘のある母さんの問いに、ミヤコさんは力なく首を振った。
「クィーオーユの遺児……カレンに魔導の才がないとわかった時、わらわの胸にあったのは失望と安堵であった。されど今にしてみれば、愚かなことよ。相剋を治し、『天鈴』の教えを受け、この子は
そんな彼女へ、カレンが一歩前に出て毅然と告げた。
「私の魔力相剋を治してくれたのは、スイ。そして魔術を教えてくれたのはヴィオレさま。だからどのみち、この国にいたら私は魔術を使えないままだった。……でも、そのことは今はいい」
告げて——返す刀で、核心に斬り込む。
「教えて。なぜ、
たっぷり十秒ほど、ミヤコさんは目を閉じていただろうか。
やがて深い溜め息とともに、彼女は語り始める。
「昔話になる。それも二千年前ののう。誰も生きてはおらん、半端な口伝しか残っておらん、そういう話じゃ。されど、事実でもある。なにせ始祖さまご本人が、ここにまだいらっしゃるが故に——」
それは、二千年前の物語。
※※※
(
六つの氏族を始祖にして、エルフたちは家族を増やしつつあった。
だけどその繁栄の前に、大きな問題が立ちはだかる。
二千年を経た今なお、大陸に残る先史の傷痕。変異種が極端に生まれやすい土地——『
(それはかつての大国たちが、魔王生産施設を構えていた跡地。人工的に魔力坩堝を造り続けたことで地脈が故障してしまったもの。正常に戻るには自然治癒を待つほかなく、それには何千年もかかってしまう)
放っておけば変異種だけでは飽きたらず、稀存種までもが生まれ得る危険地帯だ。どうにかしなければならない。だが、どんなに思案を重ねても抜本的解決は見付からず、定期的に魔力を散らすという対症療法しかない。
話し合いの結果——。
ヘルヘイム渓谷には、
そして
ひとまずはこれでどうにかなるだろう。
もし各地で手が足りなくなれば同胞総出で手を貸せばいい。運営に不安はあれどエルフという種族は今や、着実に数を増やしている。どうにかなるはずだ。
——どうにかなる、はずだったのだ。
エルフたちにとっても世界にとっても、大きな見落としがあった。
それは『神威の煮凝り』が三つしかないと、誰もが思っていたこと——。
新たな『神威の煮凝り』が発見されたのは、二百年が経った後だった。
(どこかの旧国が極秘に建造していた魔王城が、誰の目にも触れずに放置されていたのだろう)
そしてその『
虫の姿をした竜。あるいは、竜の貌をした虫。
変異種の入った卵を産む、最悪の災厄だった。
エルフたちは戦った。
(未だ有史の未明。おそらく他国の文明は未熟で、
その過程で、始祖たちの半分が死んだ。魔力に優れ、二百年を生きていた始祖たちは、まるでそれが自身の役目だとばかりに先陣を切って魔王に立ち向かい、次々と
それでも稀存種は討ち果たせず、やがて彼らは苦肉の策を決行する。
稀存種の時を止めて封印し、住処である『神威の煮凝り』ごとを、空へと隔離する——そうしてエルフたちの手で永遠に見張り続ける、というものだった。
稀存種は城により囲い、その外側に城壁で居住区を作り、化け物を
始祖たちの——命を賭した、大魔術によって。
※※※
ミヤコさんは、長い語りの最後に深く嘆息した。
「千八百年前——稀存種を
だけど、
「されど。二百年も
その声の重み、込められた感情は、
「千三百年経ってファッティマが、空は嫌じゃと地へ降りなさった。千五百年経ってとうとう、森でお役目を果たすアテナクへ
彼女の向かう、視線の先は——。
「されど。されどな。わらわは、見てしもうた。長老のひとりとなった十二の頃に、逢ってしもうたのじゃ」
綿貫さん。
魔王と相対し、時を止めたまま動かない、綿貫アリスさんを見ていた。
「始祖さま。もはやどの氏族かも伝わっておらぬ。名すらも喪われておる。なのに、子孫らがそのような不義理を働いていてもなお、今もこうしてこの国を、わらわたちを、この世を守ってくださっている……千八百年の間、戦い続けておられる」
ミヤコさんは——ミヤコ=ヴェーダは、声を震わせた。
「ならばせめて、いつか遠い未来、この方がお目覚めにならっしゃる時には。血を繋いだ六つの仔らがご健在であると。想いはきちんと継がれているのだと……喜んでいただきたいと。……わらわは、そう思うたのよ」
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千八百年というのはもちろんですが、ミヤコの経験した百年というのも、ひとりの人生が進む道としては途方もなく長く、その過程で彼女の考え方や手段は歪んでいったのかもしれません。
・TIPS
作中で語られた時の流れにともなうエルフたちの変化ですが、ミヤコが1800年前を起点として話しているため少しわかりにくいです。以下にまとめてみましたので、混乱した方がいたら。
1800年前 建国
1600年前 状況に慣れてくる(200年後)
1400年前 中枢の問題が遠ざけられる(400年後)
1200年前 建国時の悲劇が忘れられ始める(600年後)
800年前 中枢にあるものが国の機密となる(1000年後)
600年前 伝承さえ散逸し口伝となる(1200年後)
500年前 ファッティマ、国を出て地上に(1300年後)
300年前 アテナクに降嫁したがる人がいなくなった(1500年後)
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