奥深くに答えはある

 大きな鉄扉てっぴを開けた先はまた、壁だった。


 セメントのようにざらついた質感の灰色だ。上の方は天井と繋がっておらず、立方体になっているらしい。部屋の中に箱が設置されている、そんなマトリョーシカみたいなイメージ。


「鉄の檻を芯材に、泥石灰でいせっかいを固めてある。厚みは大人の身長ふたり分ほどはあるかね」

「鉄筋コンクリートだ……」


 ユズリハさんの解説に僕は驚く。

 この世界に鉄筋コンクリートがあったというのもそうだけど、いったいなぜ、こんなにも頑丈な壁を作ったのだろう。


「ぼくが入り込めたのはここまでだった」


 耳元で声がある。四季シキさんだ。

 姿は見せずに、幽世かくりよからほんのわずかに穴を開け、ささやいていた。


「この先はシキと一緒にこっそり、『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』から見させてもらうよ。さすがに気になるからね」


 無言で頷きながら、思い返す。


 昨日の四季シキさんいわく、壁の向こうからはなにも感じなかった、と。気配も魔力も、なにひとつとして伝わってこなかったという。それはコンクリートの壁がぶ厚いせいでは、きっとない。


 なぜなら、実際に壁を前にした今の僕も、同じように感じているから。


 どういうことだろう、これ。

 本当に中身のない、に思える。


 異世界こっちに戻ってきてからの僕は闇属性の魔力のおかげか、かなり勘が冴えている。方向感覚とか天気の具合とか、他人の感情とか、果ては第六感めいたものまで。

 なので——さっき円卓の間で長老会の面々の内心をなんとなく察することができたように、隔壁の向こうにもしなにか悪いものがあるなら、ぼんやりと感じ取れるはずなんだ。


 それなのに、

 まるで虚空こくうを掴もうとしているみたいに、いかなる予感も伝わってこない。


「……ショコラ、お前の鼻はどうだ?」

「わう……」


 足元の愛犬に尋ねるが、首を傾げられるばかり。

 ショコラの嗅覚にも引っかからないとなると、さすがに不安があるな……。


 壁を眺める。

 右隅に扉が備え付けられている。

 人ひとりが潜れるほどの大きさをした、またしても鉄の扉だ。


 物理的な施錠の他に、魔術による封印が施されているのを感じる。この術式——僕が普段しているやつよりも遥かに弱いけど、


「『不滅』の特製付与……」

「そこなモアタの手によるものだよ。こやつは、闇属性が濃くてのう」


 ミヤコ=ヴェーダの返事は心なしか、重いものが滲んでいる。


「おそらく我が国どころか、地上を見渡してもここまで闇の魔導を扱える者はそうはいないだろうねえ。本来ならこれだけで『魔女』の称号を戴くに足りるであろ」

「何故、申請しなかったんですか」


 問うと、ミヤコとモアタのふたりは唇をかすかに歪める。


 そのわずかな仕草はしかし、とてつもなく強い感情の発露であるかのようだった——諦観ていかんのような、悔恨のような、あるいは決意のような。


「スイ=ハタノよ。そなたには、わらわたちが血統に拘泥こうでいすることを理解できんやもしれん。まあ、相容れぬ思想であるなら別にそれでもよい。だがの、覚えておくといい。……じゅんじる者の覚悟を」


 ミヤコは言った。

 どこか誇らしげに、一方でどこか口惜しげに。


「優れた才を持ち、歴史に名を刻む栄誉を手にすることができるのに、そのすべてをなげうち、爪を隠したまま、誰に知られることもなく責務に殉じる……そういう生き方を受け入れたのが、モアタ=ピューレイよ。それは、かつてのアテナクのようにね」

「アテナク……責務」


うろの森』の中で『坩堝るつぼ砕き』を行っていた氏族。

 に嫌気がさして森を去った人たち。

 そうだ。そもそもの発端は、彼らの——、


「エジェティアの報告に返事をしなかったのは、何故です? アテナクがいなくなって、森で大変なことが起きていたっていうのに、あなたたちは長いこと無言を貫いていた。……不自然なほどに」

「意見が割れていてのう」


 微苦笑とともにミヤコは答える。


「早急に手を打たねばという者はいた——されど、打つ手などありはしない。稀存種きぞんしゅがいるかもしれない中、坩堝、ひいては帝江ていこうを砕ける実力の者など、この国どころか大陸を見渡しても皆無だと。そう思われていたが故に」


 エミシさんとユズリハさん、次いでカレンを、母さんを、僕を見て。


「成り行きに任せようという者がいた——されど、人倫にもとる。いかににせよ、滅びへの道を放棄するなどとあっては、それこそ始祖に顔向けができなくなるからのう」


 次いで大広間、時が止まったまま取り残されているクニザエを見て。


「……婆さん、それは蔵匿ぞうとく情報じゃないのかい?」


 ユズリハさんが険しい声で口を挟むが、


「いいではないかえ。この期に及んでは、すべてを明かす他あるまい。二千年の意地も矜持きょうじも打ち捨てて、もはやこの者たちに頭を下げることでしか世界は守れないのだからね。エルフ国アルフヘイムとは関係のない、にわかにこの世界に現れた……われらが欲してやまぬ力を持つ若者に。苦労も責務も覚悟もなく天賦の才を手に入れた、若造にね」


 血を吐くような、ミヤコの——ミヤコさんの言葉。


 それは悪意ではなかった。

 ——そんなどうしようもない気持ちが滲み出ていた。


 母さんは眉をひそめて、カレンも反論したげだった。

 それは、僕も同じだ。


 僕らだって——ハタノ家だって、なんの苦労も痛みもなくここに立っているわけじゃないんだ。

 僕の持つこの大きな力のせいで、家族は一度、離れ離れになってしまったんだから——。


 でもたぶん、こちらがそれを主張したってお互いの不幸自慢になるだけなんだろう。


 だからせめて知りたい。彼らエルフ国アルフヘイムがなにを抱えているのかを。ミヤコさんはなにを背負った上で、そんな科白せりふを口にしたのかを。


「どういうことですか? 『世界がエルフたちの犠牲の上に成り立っている』って……確かにアテナクは稀存種の発生を未然に防ぎ続けていました。でも、あなたの言葉はそのことだけを指しているようには聞こえない。まるでエルフ全体が、エルフ国アルフヘイムそのものが、重要な責務を負っているように……」


 ミヤコさんは薄くため息を吐いて、モアタ=ピューレイに命じた。


「扉を開けるのじゃ、モアタ。客人たちを中に通すことにしよう」

「……承知した」


 そして僕らへと向き直り、一度ゆっくりと目を閉じて開き——告げる。


「中に入ればわかる。中にあるものがなんなのか、なにが起きているのか……そなたであれば、わかるはずだえ」



※※※



『不滅』の特性が解除される。

 最初に長老会の面々が、最後尾にエミシさんが、そして僕らは彼らの間に挟まる形で扉を潜る。


 空間があった。

 おそらく縦横高さ、それぞれ四十メートルほど。

 高校の体育館よりもひとまわり広いくらいだろう。


 そしてそこには、がいた。


「これ、は……」


 敢えて形容するなら、竜のかたちをした虫。


 黒ずんだ鎧みたいな甲殻に全身が覆われている。長い首の先にはムカデのような顔をした頭部がくっ付いている。背中には虫めいた薄羽うすばが生えていて、それは甲虫と同じ構造をしていた。


 太い胴体はまさしく竜のそれだが、脚は六本。いずれも虫のように節くれだったものだが、先端にある爪は獣のような形状。尾は長く、さそりのようで、先端には太く鋭い針がある。


 体躯は大きい。おそらく、竜族ドラゴンの成体——ジ・リズよりもひと回りほど。このだだ広い空間においてなお、思わず後退あとじさりしてしまいそうなほどの圧迫感があった。


 そいつはぴくりとも動かない。写真のように、死体のように、、物音ひとつ立てない。


 そして動いていないのは、そいつだけではない。


 化け物の周囲、そいつの子機みたいに。

 周囲に浮かんだまま静止している、小さな虫たちがいた。


 その数は二十かそこら。

 大きさはたぶん、子供の頭くらいだ。

 蝉と蜂の中間な形をしていて、頭部に細かな坩堝水晶クリスタルが生えているのがわかる。


「あれ、は……は」


 母さんが呆然とつぶやいた。

 エミシさんがその驚愕に、低い声で告げる。


「そうだ。『大発生』の際に湧いてきた、変異種だ」

「だったら、あの時の『大発生』は、ここから……?」


 無言で頷いたのち、エミシさんは続けて問うてくる。


「スイくん。『虚の森』で稀存種と相対したきみたちならわかるだろう? あの化け物がなんなのか。そして、なぜ動きを止めているのか」


 僕は答えた。荒くなりそうな呼吸を、無理矢理に深くしながら。


「あいつは、稀存種だ。しかも相当やばい。僕らが森で倒したキマイラなんか比べものにならないくらいの。周囲の変異種はたぶん、あのでかい本体が産んだやつ。そして、そいつを止めているのは……闇属性の魔術です。たぶん僕の『深更梯退しんこうていたい』と同じ、因果遅延」


 二十年前にエルフ国アルフヘイムを襲ったという『大発生』の謎が解けた。

 国内にいきなり発生した、虫型の変異種たち。どれも同じ形状をしていて、国の内側から湧いてきたというのなら——。


「『深更梯退しんこうていたい』……因果遅延は、擬似的に時を止める魔術です。でもそれはあくまで擬似的。結果を引き延ばしているだけに過ぎない。つまり、あいつらの時間は止まっているように見えて、めちゃくちゃゆっくりと進んでいる」


「千八百年だよ」

 ユズリハさんが重々しく言った。


彼奴きゃつらは建国からずっと、千八百年かけて進軍してきた。そうして群れの一部がついに二十年前、魔術の効果範囲外に出たんだ。自由を取り戻した者どもは、壁を破って国で暴れ回った。……それが、あの時の『大発生』の真実さ」

「まさか……そんな」


 千八百年、だって?

 もしあいつが——虫みたいな竜みたいな化け物が——、だとしたら。


四季シキさんたちが戦った、魔王そのもの……?」


 驚愕のあまり手が震えている。

 身体が寒い。なのに背中に汗が伝う。


 これを、こんなものを、エルフ国アルフヘイムは。

 建国したその時から、内側に抱えていたのか……?


「スイ、見て」


 そんな僕の手を、カレンが引いた。

 彼女もまた声を震わせていたし、僕に触れる指先が冷えてしまっていたけれど、それでも切羽詰まったような声音は、更なる驚愕があることを示していた。


「あっち。化け物の胴体の向こう。よく見て。……

「え」


 言われ、目を凝らして、気付く。



 人だ。

 魔王の横に、女性が立っていた。



 黒髪の、少女に見える。

 魔王やその子機たる変異種と同様に、ぴくりとも動かない。

 ポニーテールに結った髪、その尻尾が揺れかけたまま。決意を込めた表情のまま。魔王に向かって右手をかざしたまま——因果遅延の中に、静止していた。


 エルフだ。耳が尖っているのがわかる。

 でも、なんだろう。その顔立ちはどこか、今のエルフとは——。


 ユズリハさんが、重々しく教えてくれる。

 

「あそこにおわすは、だよ。名はわからない。千八百年の封印は、それさえも失伝させてしまった。……あのお方は時を止め、ご自身さえもその最中に置いて——あの魔王と、今なお対峙し続けているのさ」


 ただ、それよりも。


 ユズリハさんの明かしてくれた言葉よりも。

 僕の心臓を跳ねさせたのは、幽世かくりよからの友人の言葉。

 かすれるように上って、泣きそうなほどにか細い、四季シキさんとシキさんの声だった。



綿貫わたぬき……?」

「うそ。亜里子ありす——アリス」



 あの時に見た夢の中。

 シキさんと抱き合って別れを泣いていた、彼女の親友。

 アテナクの——ドルチェさんの遠い先祖。


 綿貫アリス。


 そんな彼女が二千年を経、夢を超えて僕らの目の前に現れたのだった。





——————————————————

※6/25修正

 エルフ国アルフヘイムの建国時期と二千年前の有史開始時期にややずれがあること、それに関する各キャラの事実認識が作中で徹底できていなかったため、一部文章を修正しました!

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