やってやろうじゃないか

「は? 嫌だけど」

 カレンが僕の腕をぎゅっと抱き締めながら言い放つ。


 けれど相手もさるもの。ひるんだり引き下がったりするような、やわな性格ではなかったらしい。


稚気ちきよのう。だが、若さに任せて人生を棒に振るものではないぞ」


 くつくつと含み笑いをしながら、ミヤコ=ヴェーダはどこ吹く風だった。

 そして他の長老たちも。


「くだらん。大義の前ではガキの戯言たわごとだ」

 と、モアタ=ピューレイ氏。


「おんしはただひとり残ったクィーオーユじゃ。その意味がわからんわけではあるまい?」

 と、クニザエ=オオナギア老。


 他のふたり——メイシャル=ファズアジク氏とユズリハ=シルキア氏は黙して語らない。どうやら静観する方針らしい。


「お三方。クィーオーユの件は後回しだという話ではなかったかな?」


 苦々しげな声で、エミシさんがそう告げる。


 これは僕らへの援護射撃だろう。『お三方』というからには、つまりさっきを言った三人が、いわゆる血統主義の連中ということか。


 エミシさんからは、事前に長老会メンバーの情報を教えてはもらえなかった。彼は守秘義務に忠実なのだ。たぶんこの先も、あからさまにこちら側へついたりはしないだろう。

 だけどこういう細かい部分に、ヒントを散りばめてはくれる。


 僕は長老会の視線からカレンを守るように、一歩、前に出た。


「あなた方は僕に依頼があったんじゃないんですか? それとも、そんなくだらない話をするために方便を使って呼び出したんですか? 依頼がどうでもいいなら、帰らせてもらいますけど」


 軽く挑発するように言うと、血統主義の面々で反応は別れた。


「……、貴様、地上の子爵令息ごときが大層な口を利くではないか」

 厳つい顔に青筋を立てるモアタ=ピューレイ。


「ほう。『終夜しゅうや』と『天鈴てんれい』の息子だと聞いてはおったが……無礼なのは母親譲りかな? 天鈴の」

 余裕の表情で挑発し返すクニザエ=オオナギア。


 そして、


「帰る、か。?」

 ミヤコ=ヴェーダはストレートに、こちらの弱いところを突いてきた。


 彼女は——十代前半、子供のような風貌をした老婆は——あどけなさの中に狡猾こうかつさを混じらせた気味の悪い微笑みを浮かべ、僕へ容赦なく切り込んでいく。


「別に構わんよ、帰ってもろうてものう。だがその場合、この国は早晩、滅びることになる。そなたでなければ解決できん問題が、そら。あの扉の向こうに横たわっておるのだ」


 そうわらい、僕らの正面。大広間の奥にある鉄扉をと指差す。


「そなたは大層、人がいと聞いておる。この国に住まう無辜むこの民どもを見殺しにするような下衆ではない。ならば、のう? たとえ想い人と添い遂げられなかろうが、差し伸べられる手を腹いせに引っ込めるような真似はすまい」


 まったくもって傲岸不遜。

 自分たちの事情を開き直り、逆手に取り、こちらの良心に付け込んで——己の要求すべてを叶えようとしているのだ。


 クソロリババア、という行儀の悪い罵倒が頭に浮かぶ。

 怒りに任せて魔力で威圧したい衝動をぐっと抑える。


 それはカレンも、母さんもだ。

 そう——僕らはここへ来る前、ひとつ、取り決めをしていた。



※※※



「絶対に、怒らずにいよう」

 

 前日の夜。

 エミシさんが訪れた後、宿にて。

 僕はみんなにそう提案した。


「怒らずに、っていうのは……」

「ん、できるだけ冷静に、とかじゃなくて?」

「わふっ?」


 三者三様の疑問はもっともだった。

 なので、自分なりの考えを述べた。


「エミシさんを見てて思ったんだ。たぶん相手は、一筋縄じゃいかないって」


 依頼をこなすだけであるなら問題ない。事務的にやれば済むし、もし困難が立ちはだかっているのなら協力したいと思う。


 だけどきっと、事態はそんなにシンプルじゃない。

 今回はこれまでと違って——僕らが友好的に接すれば相手も同じように返してくれるとは限らないという、嫌な予感があった。


「シデラへ交渉に来たエミシさんの手腕、覚えてるよね? 血統主義の人たちの要求をしっかり伝えながら、こっちが怒ることも踏まえて、それでも僕らをこの国に来させることに成功した。入国管理局でもそうだった。自分の責任を回避したまま、口八丁で管理局を抑え込んで、僕らをこの宿に泊まらせた。そういう老獪ろうかいさ、っていうのかな……政治の上手さはきっと、長老会と渡り合うために培われたものだ」


「そうね。昔のあいつは、融通の利かない……どちらかといえば、猪突猛進するような奴だったわ」


 母さんが神妙につぶやき、


「……つまり長老会は、また妙な難癖をつけてくるってこと?」

 

 カレンが問うてくる。


「うん、その可能性は高いと思う。そして……それに対処するには、僕らが感情に任せちゃダメなんじゃないかなって」


 怒りというのは、場を支配する。

 特に力を持つ者の怒りはなおさらだ。


「たとえば僕らがブチ切れて、暴力を振るっちゃうとするよね。それってたぶん、国際問題になるんだ。ソルクス王国とエルフ国アルフヘイムとの。だって僕は一応これでも王国民で、しかも子爵令息になる。母さんだって形だけとはいえ王国に仕えていて、おまけに侯爵家の縁戚だ。カレンも、国籍自体はエルフ国アルフヘイムにある、難しい立場なんだ」


 そうなった時、エルフ国アルフヘイムがソルクス王国に難癖を付けることは充分に可能で、しかも国際法の俎上そじょうに乗せられた場合、非はこちらにある——できてしまうだろう。


「僕らはきっと、法とか国際情勢とかなにもかもを無視して好きにやっても、罰せられることはない。それぞれの魔導に加えて、『うろの森』の深奥部に引きこもってしまえば手を出せるやつはいない。でも、それじゃダメだ。それは、そうなってしまうのは……僕らの負けだ」


 ノアのご両親や、セーラリンデおばあさまにも迷惑がかかる。

 それになにより——僕らはあの森の中にんだ。のは違う。


「でも、どうするの?」


 状況を理解してくれたのだろう、だからこそカレンは不安げだった。


「きっと長老会の……血統主義の奴らは、ひどいことを言ってくる。スイへの依頼の前に、私の婚約の話を進めようとするかもしれない。もし、あの手この手の理屈詰めで来られたら……私はそういうの苦手だから、きっと上手く立ち回れない」


「私も同じよ。恥ずかしいことだけど、私はこれまでずっと力で我を通してきた。立ち塞がる相手を魔導で捩じ伏せることで地位を築いてきたわ。もちろん、スイくんと離れ離れになっている間に、多少は政治も覚えたけれど……だからといって、エミシみたいにやれるかって言われたら」


 母さんも同様に、表情を曇らせている。

 だから僕は——僕こそがしゃんとしなきゃいけないんだという決意を込めて、笑う。笑ってみせる。


「僕が矢面に立つよ。できる限りのことはやってみる。だからふたりは、怒りを抑えて。僕を見守っていてほしい。……この国に来た時と同じだよ。僕が先頭に立って堂々と胸を張って、あとは嫌味や無理難題に、冷静に対処していけばいい。それでも、もしどうしても沸騰しちゃいそうになったら、そうだな……」


「わふっ?」


 きょとんと首を傾げるショコラを撫でて、言ったんだ。


「カレンは僕の腕にしがみついて。母さんはショコラを撫でてくれる? そうやって、気持ちを落ち着かせてみてよ」



※※※



 そして、今。

 カレンは早速、僕の腕をぎゅっと抱いていて。

 母さんは直立したまま器用に、ショコラの頭をわしゃわしゃと撫でている。


「くぅーん」


 ショコラが嬉しそうに鼻を鳴らす様子があまりにも場違いで、僕の心もまたほっこりと穏やかになった。


 怒りはない。

 この人たちの言葉は、僕らにとって身勝手で理不尽で許せなくてどうしようもなく苛立たしいけれど——だからこそ、空虚だ。


「まあ、確かにそうですね。仰る通り。僕は、この国の人々を見捨てることはできません。訂正します、帰ったりしません。人の命を交渉の材料にするなんて失礼ですからね」


「……なんだと?」


 軽い皮肉に気配を尖らせたのは、壮年男性——モアタ=ピューレイ。どうやらハタノ一家に負けず劣らず、沸点が低いようだ。


「おいガキ。我らの大義が理解できない卑しさは大目に見てやるが、他国の余所者が我が国を侮辱するのは……」

「ただ、言わせてもらうなら」


 厳ついおっさんの言葉を遮って、僕は吐き捨てた。


「始祖六氏族なんて、大層な名前がついてますけど……たかだか二千年ぽっち続いてるだけの血を残すことに価値があるとは思えませんね。そんなことよりも、カレンが幸せに生きることの方がよほど大切だ」




 刹那で殺気立つ場の空気。

 かくして、舌戦が始まった。

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