夕焼けを眺める

 エルフ国アルフヘイムは空に浮かぶ島の上に建造された都市であるが、東西南北の概念はちゃんとある。それも、地上と同じく絶対的な基準として。


 つまり——どこに浮いてどんな航路で漂おうとも、島の向きは地軸に対して同一角どういつかくを維持しているそうなのだ。


 だから僕らが入国した北の発着場はいついかなる時も北を向いており、南の街は常に南にあるし、太陽は必ず街の東から昇って西へと沈む。


 国内のあちこちを見て回り、宿に戻ってきてから一時間。


 西向きのバルコニーからよく見えるのは傾いていく夕日、ほの白く染まる空。それを眺めながら、僕は方角というものの大切さをなんとなく実感した。


「もしこの島が地軸を無視して好き勝手な方向にふらふらしてたら、太陽がどこからのぼってどこに沈むのかも毎日変わっちゃうってことなんだよな」

「わふっ?」


 きょとんとこっちを見上げてくるショコラの頭を撫でながら、つぶやく。


「農作物にも影響が出るだろうけど、それ以上に……僕だったら、不安で耐えられない。地に足がついてないような気分になると思う」

「ふすっ……きゅーん」

「逆に言えばさ。この島で地に足をつけて生きるっていうことは、そういう意味なんだろうな」


 それは、東から昇って西へ沈んでいく太陽を拠り所にして生きるってことだ。

 浮遊する大地が、ちゃんと星と繋がっていることに安心するってことなんだ。


「……千八百年、か」


 今日、あちこちを見て回る道中、カレンと母さんからこの国の歴史を聞いた。

 エルフ国アルフヘイムの建国は、千八百年ほど前——四季シキさんたちが世界を変えたその二百年後に、空へと浮かびあがったらしい。


 魔力量によって寿命が延びるこの世界において、二百年という歳月がどれほどの尺度になるのかは正直、よくわからない。

 建国時、始祖のエルフとなった六人の日本人たちはさすがに亡くなった後だと思うが、ではその子の代なのか孫の代なのか、はたまたひ孫の代なのか。


「そもそも、日本人の子孫だってこと、今のエルフは誰も知らないみたいだしなあ。どこで失伝しつでんしたんだろ。ひょっとしたら失伝してはいなくて、一部の人にのみひっそり伝えられている、とか……?」


「……あるいは、最初から失われていたか、だね」

四季シキさん」


 不意に背中から聞こえてきた声に振り返る。

 そこには妖精王がたたずみ、僕へ穏やかな笑みを向けていた。


「いつから聞いてたんですか? 僕のひとりごと」

「おや、ショコラと話をしていたんじゃないのかい?」

「わうっ!」


 四季シキさんにすっかり懐いたショコラが、尻尾を振って喜んでいる。それでも飛びかかってじゃれついたりはしないので、家族とはまたカテゴリが違うんだろうな。


「まあ、そうとも言います。昔から考え事をする時は、こいつに聞いてもらうことが多いんですよね。……それで、最初から、っていうのは?」

「言葉通りの意味さ」


 四季シキさんはふわりと宙を飛ぶと、バルコニーの手摺てすりに腰掛ける。


「最初のエルフたちがそもそも伝えなかった。もしくは、伝えられなかった——その可能性は充分にある。大魔術の余波で記憶を失ったのは、ぼくらだけじゃないという場合だよ」

「それは、確かに……あるかもしれません」

「まあ、話半分さ。実のところぼくらだって、剥落はくらくした記憶のどの部分が世界改変のせいで、どの部分が二千年の歳月のせいなのか、いまいちわかっていない。二千年前には今よりも多くのことを、覚えていたはずなんだ」


 少し寂しそうな顔をする四季シキさん。

 だけどその表情はすぐ、楽しげなものに変わる。


「いや……今よりも、というのは失礼な表現だな。きみのおかげで、今のぼくらはとても多くのことを思い出せている。それはきっと、二千年前にも引けを取らないさ」

「僕も意外でした。あの魔力交感こうかん、まさかここまで影響がでかいなんて。……でも時々、本当によかったのかなと不安になります」

「よかったに決まっているよ」


 彼の笑顔に曇りはなかった。

 僕に気遣っているふうではなく、心からのもののように思えた。


「確かに、忘却は過去の傷を埋もれさせてくれる。だけど、痛みがあるからこそ鮮烈に輝く思い出だってある。ぼくらは、そんなことさえも忘れていたんだよ。……感謝している。きみに、きみたちに出会えて本当によかった」


 あまりもまっすぐなその言葉に、面映おもはゆくなる。

 だけど、続く四季シキさんの言葉に——僕は緩んだ頬を引き締めることとなった。


「この国のことなんだけどね。実は今日、ひとりで探ってみたんだ」

「え、それって……」

「ああ。妖精は人間には認識できない。だったら、誰に見とがめられることもなくどこにだって行ける。というわけで、ちょっと城の中までね」

「大丈夫だったんですか!?」


 思わず詰め寄った。


「危ないことはしないでください。そりゃあ、事前に情報があれば僕らは助かりますけど……それは仲間の身の危険と引き換えにしてまで得たいものじゃない」


 勘弁してほしい。妖精たちのその特性は、決して万能ではないんだ。カメラみたいな、人の意思が介在しない観測手段が——僕らの未知のものが、この国にないとも限らない。


「心配してくれて嬉しいよ。でも、決してきみのためだけじゃない。ぼく自身、エルフたちがなにを隠しているのか知りたかったんだよ。……とはいえ、勝手なことをして悪かった」

「いえ、僕も言いすぎました。……そうですね、四季シキさんも他人事じゃないんだ」


「まあ、謝りついでに白状するとね。残念なことに成果はなかったんだよ。ぼくは……

「え……」


 目を見開いた僕に、肩をすくめる四季シキさん。


「城の中までは入れたんだ。あんな壁、ふわっと飛び越えれば済む話だからね。ただ、その先。エルフが『第ゼロ区』と呼んでいるらしい、城の中枢部。そこには入れなかった。分厚い隔壁で覆われていて、入る隙間がなかったんだ」

「完全に密閉されてた、ってことですか」


 万が一にも誰かが間違って入らないように、誰かに見られないように、だろうか。

 いや、あるいはその逆……。


「中にがいて、それが出てこれないように、塞いでいる——?」

「ぼくも同じことを思った。でも、奇妙なんだ」


 続いた四季シキさんの言葉は、更に予想外だった。

 それは——不気味さを覚えるほどの。


「たとえ壁の向こうだろうと、隔てられていても……もしそこに悪いものがいるなら、ぼくはそれを感じ取れるはずなんだ。でも、なにも感じなかった」

「それって、どういう」


「存在感とか、圧迫感。悪意や敵意。『帝江ていこう』みたいに煮凝にこごった魔力。……そういったものを、なにもだ。壁の向こうからは、んだよ」


 四季シキさんは眉根に皺を寄せている。

 きっと僕の顔も、似たようなものになっているだろう。


「まるで、蓋をされた空っぽの箱を見ているような気分だった。あるいは壁に、魔力を遮断する効果を持った術式でも刻まれているのかと思ったけどね。……あれは、ただの分厚い金属の壁だった」


「どういうこと、なんでしょう……?」

「わからない。壁の向こうがどうなっているのか。なにがあるのか、それともなにもないのか。エルフ国アルフヘイムはきみに、なにをさせたがっているのか。『大発生』の原因とは、なんなのか。すまないね。……すべては、予備知識なしになりそうだよ」

「己の目で、見るしかない……か」


「きゅー……?」


 僕らの顔が強張っているのを見て、ショコラが不安げに鼻を鳴らす。

 だからその頭を撫でてやりながら、それでも僕の疑念は膨らむばかりだった。



※※※



 壁の向こう、第零区 。

 四季シキさんいわく『まるで空っぽのがらんどう』。

 

 だけど機会は、すぐに訪れる。


『許可が出た。明日、城へと案内する』——。

 エミシさんがそう告げに来たのは、その日の夜だった。

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