蒼穹に発つ

 カレンと語り、母さんと過ごし。

 ショコラとたわむれ、ミントと遊び。

 ポチの頬を撫で、おばあさまの肩を揉み。

 そうして一週間が、あれよあれよと経って——。


 僕の通信水晶クリスタルが振動し、ついにその日がやってくる。

『受け入れ許可が出た』と。

 リックさんからの連絡が、入ったのだった。



※※※



 いつもの原っぱまで、みんなが見送りに来てくれた。


「くれぐれも気を付けるのですよ」

 おばあさまが僕らを順番に抱き締めてくれる。


「みんと、いいこにしてるねっ」

 ミントがそれぞれの腰に突撃し、それでも爛漫に笑う。


「きゅるるっ!」

 ポチは元気よく鳴き、一同の気持ちをなごませる。


 もちろん、家族だけではない。

 ベルデさん、シュナイさん、クリシェさん。

 トモエさん、リラさん。

 ノビィウームさん、スプルディーアさん。

 ノア、パルケルさん、ドルチェさん——それぞれがそれぞれの想いを表情と視線に秘め、僕らに気持ちを伝えに来てくれていた。


「余裕があったら、向こうの支部に顔を出してくれ、話は通してある。ただ取り込まれてる可能性もなくはないから、気は許さないように頼む」

「ええ、感謝するわ」


 クリシェさんが母さんと事務連絡を交わす。いつも思うんだけど、クリシェさん大変そうなんだよね。母さんに気を遣いつつギルドマスターとしての威厳を損なわないよう振る舞おうとしてて……。


「やはり、共に行けないのが歯がゆいな。気を付けろよ」

「そんなことないさ。きみたちがいてくれてすごく助かる」


 一同を代表して、ノアが僕を抱擁ほうようする。

 ベルデさんたちが街でミントを見守ってくれるのは本当に安心だし、『うろの森』の監視についても、ノアとパルケルさんの存在が心強い。もし『帝江ていこう』発生の予兆があれば、すぐ急行してもらう手筈になっているのだ。


「行ってらっしゃいねー! 権力なんかに負けちゃダメだよ、カレンちゃむ」

「ドルチェは結婚とかはよくわかんないっすけど……空の城とかちょっと行きたくないし、カレンさんが上手くやってくれたら嬉しいっす」

「共和国の方では『人の恋に横槍を入れる者は甲亜竜タラスクに突き殺されても文句は言えない』ということわざがあるそうですよ。ふんじばって持ち帰って、ポチちゃんの前に並べるといいですわ」

「むう……あたしも暴れたかったなあ。ま、こっちは任せときなよ」


 カレンを囲む女子たちは鼻息荒く物騒だ。どうも『勝手に婚約話を進めてる』というやつに怒り心頭らしい。まあ僕も腹が立ったけど、それとはまた違うような。

 ……というかトモエさん? うちのポチはそんな野蛮なのじゃないからね?


 他にも、僕らが身に付けている装備を眺めながらどこか満足げなノビィウームさんと、その様子を呆れ気味の笑顔で見るスプルディーアさんもいて。


 大袈裟にされると緊張が増しちゃうじゃないかとちょっとだけ思いつつ——やっぱりそれ以上に、こんなにも多くの人に応援されているのはありがたくて、嬉しくて。


「僕らは恵まれてるな」

「わふっ」


 機嫌良さそうに尻尾を振るショコラの背を、そっと撫でた。


「よし。じゃあジ・リズも待ってるし、そろそろ行こうか」


 ——やがて、気持ちも落ち着いて。

 原っぱにお腹を下ろすジ・リズを背に、僕らはみんなに向き直る。


 おばあさまに抱っこされるミント。

 その横でマイペースに佇むポチ。

 そしてその周囲に並ぶ、大切な仲間たち。


 手を振る人、声を張り上げる人、腕組みで頷く人、不適な笑みで視線をくれる人。反応は様々だけど誰の顔にも不安はなく、それはきっと僕らへの信頼の証だ。


 ジ・リズの背に乗るのは、僕とカレン、母さん、ショコラ。

 こちらもみんなに手を振りながら——竜の巨体はふわりと浮き上がり。


「できるだけ早く、帰るからー!」


 僕の叫びと同時に、翼は大きくはためいて。

 シデラの街はぐんぐんと、遠くなっていった。



※※※



 目指す方角は南西。

 獣人領の北部、ヘルヘイム渓谷にほど近い空域だ。

 当然ながら僕はまだ行ったことがなく、だからジ・リズの背から見下ろす景色も新鮮なものだった。


「人の街ってやっぱりまばらなんだな」

「スイくんのいた世界では違ったの?」

「場所にもよるけど、見渡す限り建物が密集してる、みたいなところもあったよ」

「ここ一帯は辺鄙へんぴ。王都は規模がすごくて、近隣にもたくさんの街がある」

「まあ、いずれ行くこともあるかもしれないわね。……スイくん、緊張してるの?」

「そりゃあね……」


 僕の表情を見て、母さんが察したようだ。


「気にすることないのよ。そんなたいした場所じゃないわ」

「ヴィオレさまの言う通り。城は小っちゃいし、城下町の広さもシデラと同じくらい。その分、建物は密集してるけど、それだけ」

「にしたってさあ。天空の城なんて物語の中でしか見たことないやつだし、なにより……僕、本当にの?」


「もちろんよ。昨日も言ったでしょう? 今回はね、お母さんやカレンじゃなくてスイくんが主役なの。そうじゃなきゃダメなの」

「ん。私はスイのかっこいいところが見たい」

「そんなこと言うからまた!」


 実際、母さんに指摘した通り、僕はいまけっこうガチガチである。

 みんなに見送られるまではまだよかったんだけど、飛び立っていよいよとなってくると、不安が押し寄せてきて動悸がすごい。


 それには理由がある。

 見知らぬ土地に行くとか一国に乗り込むとか、ただでさえ緊張するような体験なのに、昨夜、母さんに言われたのだ。

 向こうについたらこう振る舞いなさい、という——心構えというか、演技を。


 要は、初見で舐められないようなムーブをしろってことだ。

 ただそれは、これまでのほほんと生きてきた僕にはちょっと荷が重くて……。


「大丈夫よ。ほら、ショコラを見習いなさい。あんなにのんびりしてる」

「くぁ……ふすぅ」

「大物だよなあ、お前は……」


 気楽なもんだ、と。

 丸くなってあくびをするショコラに、僕は唇を尖らせる。


「くくっ……」


 すると、前方から。

 野太い含み笑いが聞こえてきた。


「なに笑ってんのさ、ジ・リズ」

「すまんすまん。いやな、敵地かもしれん場所にこれから乗り込むってのに、ぬしらがあまりにもだったもんだから。……スイ、ぬし、緊張しているなどと言っとるが、わしからしたらそうは見えんぞ」

「緊張してるって。喋ってるのは、誤魔化そうとしてるだけで」

「ふ、真に恐れを抱くと、誤魔化しすらままならんものよ」


 つっこみに、僕は反論できなかった。


 それを楽しむかのように、竜の牙から更なる笑みが洩れる。

 口の端が歪み、それでも視線は飛ぶ先に据えたまま、ジ・リズは言う。


「ぬしら家族は本当に、退屈せん。羽ばたく背にも力が入るってものよ」


 竜の翔ける速度が一段階、上がった。

 遥か先、空の彼方、まだ城は見えてこない。

 僕の緊張はまったくしずまらないし、むしろ手汗まで出てきた。


 だけど、それでも——座った鱗の堅さと、僕を見る家族の顔に、安堵を覚える。


 フライトは、およそ四時間の長丁場。

 それまでにせいぜい、覚悟を決めておこうかな。

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