夜、庭、羽音の静けさ
結論は出ないまま、母さんもカレンもおばあさまも眠りに就いた。
もっともそれは、誰もはっきりと口にしなかっただけで——母さんはきっと、たとえひとりであっても
そしてもちろん僕らは、たとえであっても、母さんをひとりで行かせはしない。
「だからまあ、結論は出てるんだよね、実際」
「わふっ」
夜半。
僕は庭に出て、ショコラとふたり、ぼんやりと星空を見ていた。
借りた宿はほとんど屋敷で、玄関の前にある庭には花畑に加え、隅にはベンチなんかも置いてあった。腰掛けて物思いに
「うちの庭にも置こうかなあ、ベンチ。……
ひとりごち、応えてくれるはショコラの柔らかな毛並みのみ。
反対側の角にある厩舎にはポチが眠っていて、その
空は晴れていて、星がよく見える。
ただ一方でやっぱり、森の夜とは空気が違う。
——などと、考えていると。
「……人々が寝静まっていても、気配は感じられるものだね。やはり街は息付いている」
「
暗闇の中からふらり、小さな人影が浮かび上がりこちらへと歩んでくる。
「お家の方はいいんですか?」
「もう妻も子供たちも寝てしまったよ。なんとなく、きみはまだ起きてるんじゃないかと思ってね」
「ご明察です」
そう言ってふわりと浮き、ベンチの背もたれに腰掛ける妖精王。背中の羽で飛んだってことはないんだろうけど、重力を無視したようなその仕草と夜に透ける羽の美しさは、とても優雅で穏やかだった。
「……エルフにも、いろいろいるみたいだねえ」
「がっかりしましたか?」
始祖六氏族だけではなく、エルフはみな、
そんな彼らのいざこざを目の当たりにした
「僕らの友人たちか。確かにいた、そのことは思い出している。……でも、エルフたちに彼らの面影を追うような感慨は抱けないな。なにせ、二千年も経ってるからね」
「
「話したよ。感想はぼくとだいたい同じさ」
二千年という時の流れは、途方もなく長く、遠い。
僕の身でたとえるなら西暦が始まってすぐくらいか。そんな過去の人物なんて、たとえご先祖さまであっても共感することすら難しいだろう。
ただ、やっぱり。
エルフという種族は、
なのに、僕らは。
あるいは、そんな人たちと敵対するかもしれなくて——。
考え込む深刻な気配が伝わってしまったのだろうか。
「その様子だと、行くのかい? 空のお城に」
「ええ、たぶん」
「行くのは怖い?」
「怖いです。エルフの上層部が、というより……自分が失望してしまうかもしれないのが」
正直に答えると、
「きみはいい子だね。ぼくらのことを想ってくれてるんだろう?」
「その……」
「気にしなくていい、と言いたいところだけど……そうだね。少し、昔の話をしようか。ぼくらがまだ人間で、戦争をしていた頃の話さ」
苦い経験だ——と。
今度はショコラの頭を軽くひと撫でし、言う。
「転移して、国に所属して、戦力として重宝されて……そんな中でぼくらは、政治闘争もたくさん見てきた。施政者たちのいろんなやり口に乗せられて、踊らされて、してやられてきた。もちろん世界の改変で記憶は失われて、具体的な事例なんかは覚えていないし、ほとんどは虫食いで
「痛い思いをしてきたことで培われたもの……ですか?」
「ああ。騙されたからこそ身に染みて、忘れなかったんだろうね」
そうして、自嘲気味に微笑んだ後。
「きみたちが稚拙だと呆れていた、エルフのやり方についてだ。ぼくは正直なところ、ちょっと違う感想を持った。狡猾だな、と思ったんだ」
「え……?」
僕にとって——きっと母さんやカレンにとっても、意外なことを。
「どうしてですか? だって、
「『呼びつけたい』。その一点のみを見るのであれば、
「あ」
思わず息を呑む。
指摘されてみれば、確かにそうだ。
経緯はどうあれ、母さんは行かざるを得なくなった。そして母さんが行くのなら、僕らも同行しなきゃならないと思う。
「ぼくの見立てでは、この絵を描いた者はかなりのやり手だよ。政治が上手い、とでもいうのかな。ただ、やり手であると同時に、きみたちにはかなり親切だ」
「親切、ですか?」
「ああ。まずは、カレンちゃんの婚約者を用意してる、という件。これはきみたちの道とは相容れないものだけど、わざわざそんな命令をしてきたってことは、古い血を絶やしたくない純血主義——それを最優先にしている奴らがいることの証左だ。しかも、一定以上の権力を有してね」
「カレンやドルチェさんを城に戻したいっていうのは……国としての要求ではあっても長老会の総意ではない、ってことですか?」
「呑み込みが早い。ぼくにはそう思えた」
「じゃあ次の、僕に依頼があるっていうのは……」
「冒険者ギルドを通さず直接言ってきてることから、きみは罠を疑ったね。でも、もし罠じゃないとしたらどうだろう? わざわざお父さんの名前まで出して、きみを指名した理由があるとしたら?」
「僕にしか解決できない問題が、
父さんや僕のような、強い闇属性の魔導が不可欠ななにかが……。
「そう。だけど、カレンちゃんたちを国に戻そうとする勢力は強く、彼らは己の意見を主張する。戻るように伝えろと言って聞かない。その要求を伝えると、スイくんが絶対に来てくれなくなるのにもかかわらず——だ。愚かな派閥を内に抱え込む中、その人は考えた。国内の状況を上手いこと伝えた上で、それでもスイくんに来てもらう方法はないか、と」
「それで、カレンの両親の話を出した?」
エミシ=アクアノ。
「おそらく、自分の娘をメッセンジャーに指名したのは、きみたちを……ヴィオレさんを信頼してのことだろう。カレンのことで怒っても使者を害しはしない、と」
「彼女は、任務にとても忠実に見えました。私情を一切挟まなかった。ただ一方で、その私情については、カレンに同情的だったんじゃないかと思う」
「ますます適任だ。感情や偏見抜きで言葉を正しく伝え、かつ、きみたちを怒らせすぎない。……仮にぼくの推測が当たっていたとして、エミシという人は、己の意図を読まれても読まれなくてもどっちでもよかったんだろうね」
「カレンやドルチェさんを狙うやつがいると知らせる。その上で、僕らが
厄介な勢力がいると警戒はしてもらいたい。
そしてその上でなお、来てほしい——。
「ひとつひとつの要求がバラバラで、ただ好き勝手なことを突き付けてきてるだけかと思ってた」
「実際、そうではあるんだろうね。かの国の政治体制……長老会は、一枚岩ではないのだろう」
「でも、そのことを逆手にとって、僕らが適切な対応を取るよう仕向けた」
「ああ、見事な手腕だ。使者の選定も含めて、実に狡猾で抜け目ない。……もっとも、ぼくの推察が当たっていればの話だけどね。実際はきみたちの考える通り、ただの稚拙な振る舞いかもしれない」
「いえ、信じますよ」
僕はベンチから立ち上がり、改めて空を見上げた。
夜、星の瞬き、はるか南。
遠くに浮かんでいるであろうエルフの城。
そしてその城で、僕らを待つ人がいる。
「どちらにせよ、行くしかない。一緒に来てくれますか? 妖精王さま」
「ああ、もちろんだよ。きみたちが妻の涙とともにある限り、ぼくはきみたちの傍にいる。それに、アクアノ……
僕は
「わうっ!」
ぼくもいるよ、と。
隣のショコラが頼もしげに、短く吠えてくれた。
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