その9『天空の城、エルフの仔』
春を前にした報せ
寒さのピークも過ぎたらしく
年が明けてから
相変わらず寒さは続くものの底冷えするのは朝晩くらいで、日中はさほどでもない。揺り戻しで急に気温が下がる、なんてこともあるかもしれないけど——今年の寒さはもう峠を越えたと言ってもいいのではないかと思う。
「そうねえ。確かに今年はいつもより暖かい気がするわ」
とは、母さんの談。
「この調子なら、冬籠りしてる獣たちもそろそろ起きてくるかもしれないわね」
「普段だとやっぱりまだ今の時期は、冬の盛りなの?」
「体感だけど今期は、季節が暦より半月くらい先を行ってるみたい。考えてみればこの一年、雨季の上がりも涼しくなるのも早めだったし、そういう年なのかしらね」
「なるほどなあ」
春の訪れ、と言ってしまうのはまだちょっと早計かもしれないけど——確かに、季節が移り変わる予兆を肌身に感じ始めていた。
そしてそれは、森を歩いていても同様で。
「すい、これ、みてっ! かわいい!」
「お、ふきのとうだ」
ミントと一緒にショコラの散歩をしていた時。土の下から顔を出した、こんもり小さな芽を発見する。
川べりの木陰に点在するそれらは、瑞々しい緑色をしていた。
「ふきのとーっていうの?」
「うん。フキの芽なんだ。食べられるよ」
「ええ? ……すこしだけど、どく、あるよ?」
驚いた顔で眉をひそめるミント。
「ああ、確かに。アクって毒だよね」
アルラウネのこの子は、有毒植物をひと目で見分ける能力を持つ。そしてそんなミントにとって、フキのアク——確か肝臓に悪い成分が含まれているはずだ——は『毒』という認識なのだった。
「毒をね、茹でた後で水にさらして取っちゃうんだよ。そうしたら食べられるようになる」
「おいしいの?」
「うーん……美味しいけど、苦味があるからなあ」
「みんと、にがいのすきじゃない……」
「だよね。日本でも、好き嫌いが分かれる食材だった」
僕とミントがそうして話をしている間にも、ショコラは土に鼻を近付け、くんくんとふきのとうの匂いを嗅ぐ。
「こら。食べちゃダメだぞ」
「ふすっ。くぅーん」
「ああ、食べたいわけじゃないのか。……いい匂い、するのか?」
「わふっ」
あ、興味を失った。嗅いでみてただけらしい。
「でも、母さんのおつまみになるかもしれないな。少しだけ採っていこうか」
「おかさん、にがいのすきなの、すごいね」
「大人の味だよねえ。でもミント、緑茶は大丈夫じゃない? あれもちょっと苦いのに」
「でも、あれはちょっとだから……」
「そっか。ちょっとなら美味しく感じられるんだね」
……などと会話していて、思い出した。
そういえば竜の里ではサンマっぽい魚が獲れて、秋口に調理したことがある。その時、ワタも美味しく食べていた僕に対し、母さんとカレンは「魚の内臓なんて食べて大丈夫なの?」と驚いていた。
食べられるよと教えたら試してくれたけど、ふたりとも顔をしかめて脇にどけていたっけ。
「たぶん、慣れの問題なんだろうなあ」
甘味、
「きっとミントもそのうち大丈夫になるよ」
「そっかな……」
「大人になるにつれ、食べられるものは増えていくんだ。嫌いだったものも好きになっていく。それって楽しみだよね」
「そうかも! たのしみ!」
というわけで、まだ小さな、食べるのに良さそうなふきのとうを三つほど採取して帰った。
ちなみにしっかりアク抜きして、おひたしにして食卓に出したが——やっぱりミントは少し食べて顔をしかめたし、カレンも難しい感じに眉を寄せていた。僕も試してみたけど、まだちょっと苦手だったな。
母さんは「美味しいわ。お酒のお伴に良さそうね」と笑っていて、大人だねえと一同で感心したのだった。
※※※
春の訪れをぼんやりと待ちながら、去りゆく冬を見送る。
部屋の暖房も温度が下がり、朝になっても土に霜が降りていない日が増えて。
冬の間はほとんど顔を出さなかった
初めて会った時は幼かった子猫たちは、ほんのちょっと
シデラの街も活気が戻ってきているようだ。
もう冒険者たちは普通に森に入り始めており、狩猟の解禁はなされていないものの、採取活動については行われているそうで。
だったらそろそろ久しぶりに、
「……スイ」
昼食を終え洗い物を済ませ、ソファーに腰掛けてのびをしていた僕のところへカレンが歩いてくる。さっき「庭でショコラと遊んでくる」って言ったばかり……というか、靴を履いて玄関を出た気がしたんだけど。
「どうしたの?」
その表情を見て、居住いをただす。
いつもの気楽な調子ではなく、引き締まった——シリアスな面持ちのカレンは、片手に手に
カレンは口を開く。
続く言葉に、僕の表情もまた、真面目なものへと変わる。
「エジェティアの双子から連絡が来た。これからシデラに戻るって」
冬のあいだ止まっていたものが、動き出そうとしていた。
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第九章の開幕です!
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