期せずしてふたりきり

 年が明けてからおよそ、ひと月。


 冬の寒さは今が盛りといった感じで、屋外では思わずぶるりと身体が震えるほどだ。朝も布団から出て、リビングの暖房をつけるまでがなかなかつらい。


 炊事にお湯を使うことが多くなってきたし、みんなお風呂でじっくりあったまるから、ボイラーで沸かすお湯の量も秋よりずいぶんと増えている。……ほんと、この家がなかったらどうなってたことか。時々、もしショコラとふたりの裸一貫で放り出されてたらと考える。ぞっとしちゃうよね。


 ただそんな寒空の中でも、みんな元気だ。


 ショコラは雪降らずとも庭駆け回り、ミントもむしろ「さむいのすき!」とはしゃいでいる。カレンは逆にリビングの暖房がお気に入りでご機嫌にぬくぬくしており、母さんも「この家に帰ってから冷え性が治った」なんて喜んでいる。いちばん心配だったのがポチだが、厩舎の断熱がうまいこといっており、今のところ寒そうにしている様子もない。


 ともあれ、今のところ予期せぬトラブルが起きることもなく、観測装置がアラートを鳴らすこともなく。僕らハタノ一家は、平和に日々を過ごしている。



 ※※※



「それじゃあ、行ってくるわね。夕方までには戻れると思うわ」

「うん、気を付けてね。ジ・リズ、よろしく」


「おう、任せておけ。……しかし、珍しい組み合わせだな」

「うー!」

「わふっ」


 その日、昼ご飯を食べたあと。

 研究局に用事があるということで、母さんがシデラへ赴くことになった。


 ついていくメンバーは、ジ・リズの言う通り——ミントとショコラだ。

 研究局に行くということでミントがおばあさまに会いたがり、母さんが用事を済ませる間、ミントのお世話係としてショコラが選ばれた。


「ショコラ、ちゃんとミントの傍にいるんだぞ」

「わう!」

「ミント、おばあさまによろしく。おみやげちゃんと渡してね」

「おまかせだよっ!」

 

 包みを両手に抱え、ミントは胸を張る。

 中身は焼き菓子と、それから漬け物だ。


「よし、忘れ物はないな? では発つぞ」

「ええ、お願い」

「行ってらっしゃい」


 なんだかっぽい物言いのジ・リズに心中で苦笑しつつ、僕とカレン、それにポチは、離陸する一同を見送る。


 薄い笑みで上品に手を振る母さん、包みを落とさないようにしっかり抱きつつ身体を揺らしてこっちに合図を送ろうとするミント、そんなミントの横で「わん!」と鳴くショコラ。その姿は見る間に遠く、竜の影は南へと飛び去っていった。


 かくして残されたのは僕とカレン、それにポチである。


「ミント、うきうきしてたね」

「ん。すっかりおばあさまに懐いてる」


 言葉短くそんな会話をした後、ポチが「きゅるるっ」とひと鳴きして庭から牧場へのしのし歩いていき、僕らの会話はふと止まる。

 僕からもカレンからも、特に話題はない——そんな空気。


 でもそれは、心地いい沈黙だった。

 そしてこの沈黙が、僕は好きだ。


 互いに心を許していれば気まずさなんてなく、相手のことを理解しているから考えていることもなんとなくわかる。話題がないのなら、わざわざ言葉を交わす必要もないんだ。共にいるだけで落ち着いた気持ちになれて、相手も同じだという確信があって——。


 どちらからともなく踵を返し、ふたり揃って玄関から家にあがる。カレンはリビングのソファーに身を沈め、僕はキッチンに。お湯を沸かし、ふたり分のお茶を淹れ、テーブルにカップを置いて隣へ腰掛けた。


「はい」

「ん」


 並んでカップを傾けながら、ほとんど同時にほっとひと息。

 カレンがそっと僕へもたれかかってきて、僕はそれをそっと受け止める。


 そうして、五分ほどを無言で過ごしてから。

 僕はふと思い付きで、言った。


「ねえ、カレン」

「ん?」

「おやつ食べる?」


 きょとんとしながらこちらへ視線を向けるカレン。


「お昼ご飯、さっき食べたばかりだけど」

「うん。そうなんだけどさ。そういえば試作してみたいやつがあったなって。今から始めたら、出来上がりはおやつの時間になるんじゃないかな」

「どんなやつ?」

「それは教えません」

「むー」


 冗談めかして返すと、唇を尖らせて僕のほっぺたをつねってくるカレン。


「できあがってからのお楽しみの方がいいでしょ?」

「それはそう。でも、得意気なのがいらっとする」

「じゃあ、一緒に作る?」


「私も一緒に作れるの?」

「そんなに難しいやつじゃないから、大丈夫だよ」

「じゃあ、一緒にやる。どうせ私には、味の予想なんかつかない。だから作るところを見てなくても、一緒に作っても、食べる前のわくわくは同じ」


「よし、だったらやろうか」

「……ふふ」


 立ち上がった僕の隣で、カレンは楽しそうに微笑んだ。

 唇の端がぴくぴくしている——悪戯を考えている時の、無意識の癖だった。


「もしかして、僕になにかしようとしてる?」

「ううん、違う。でも、当たってる。……悪戯みたいって、思った」


 僕の腕に抱きついて、ぎゅっと身体を寄せてきて、


「この前のカレーと同じ。ヴィオレさまにも、ミントにも、ショコラにも内緒の、私とスイだけの共同作業。悪戯みたいで楽しいし、わくわくする」


 そんな可愛いことを言う。

 僕は——、


「共同作業ってなんか、ケーキ入刀みたいだな……」

「? ケーキを作るの?」

「いや、ケーキじゃないよ。ごめん、なんでもない」


 自分で連想したことに頬を熱くして、誤魔化すようにカレンを肩でぐいっと押した。

 カレンは不思議そうな顔をしながらも、僕から離れてキッチンへ向かう。

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