さあ、おうちへかえろう

 ミントたちだけでこしらえた雪だるまは、最初のものに負けず劣らず傑作だった。大きな雪だるまと小さな雪だるま、ふたつ並んでいるとまるで親子みたいだと密かに思う。


 午後の時間はあっという間に過ぎていく。

 特にミントはフルスロットルだ。雪だるまを前にはしゃぎ、かまくらに出たり入ったりして遊び、それから再び、ショコラにそりを繋いで走り——付き合う僕らはもちろん、見守る母さんたちもその元気にあてられて笑顔が増えるほど。


 そしてやがて、陽が傾き始める。

 一日が終わろうとしていた。


「……この空模様だと、今晩はさすがに降らないだろうな」

「ん、晴れてるし、気温も高い」


 あけあおの入り混じった雲ひとつない空を見上げながら、僕とカレンはぼんやりと話す。


「明日には、ぐずぐずになってるかもなあ」


 二日にわたって遊び回ったせいで、牧場の雪はもう広範囲で土混じり。残っている部分も、すぐに水っぽい氷と化すだろう。


 そんな話をしていると。

 ミントが、僕らのそばに来て——問うてくる。


「……ゆき、なくなるの?」

「そうだね。明日はもう、今日みたいには遊べないかな」

「こんなにたくさんあるのに……?」

「雪は元々、雨の仲間なんだ。だから溶けて、水になっちゃうんだよ」

「かまくらも、ゆきだるまも?」


 純朴な声。

 妖精たちが、子ドラゴンたちが、母さんたちが——言葉を止めて、ミントを見る。


 僕はそれでも、正直に答えた。


「そうだね。かまくらも雪だるまも、明日か明後日には、溶けて崩れる」


 するとミントは一瞬だけ、すごく悲しそうな顔をして。

 直後、ぱっと顔を輝かせて、言う。


「いいことおもいついたよっ!」


 ああ——。

 思った。

 やっぱり、と。


「あのね、すい。すいのまじつで、のこしておくの! ゆきも、かまくらも、ゆきだるまも! そしたらずっと、ずーっと、あそべるよっ!」


 やっぱり——そう、考えちゃうよね。


「スイくん」

「いいよ、母さん。僕が言う」


 を買って出ようとしてくれた母さんを制する。

 たぶんこれは母さんより、僕の方がいい。


 だって、もしミントの思い付きを実行に移すとして、実際にそれをやるのは僕なんだから。


 それを——のは、僕なんだから。


 ミントの前にしゃがむ。

 視線を合わせ、頭を撫でる。


「うん。それはすごく素敵な考えだね。雪がずっと消えなかったら、いつまでも遊べる。かまくらも雪だるまも、せっかく作ったもんね」

「うー!」

「でもね、ミント。雪遊びは今日で終わりにしよう」

「え……」


 心が痛い。

 ミントの笑顔を曇らせてしまうのが、つらい。


 だけどこれは、予想していたことであり、家族で話し合って決めていたことなんだ。

 昨日の夜——ミントならそう言うかもしれない、って。

 そして、もし言ってきたらどうするか、って。


「ねえミント。もし雪がずっと残ってたら、この牧場はどうなるかな? ポチのご飯は元気に生えてくるかな?」

「あ……」


 はっとするミント。

 ああ、賢いなあ。すぐに察して、理解する。

 僕とは——子供の頃の僕とは、大違いだ。


「でも……でも! みんとが、まじつ、つかえば……ぽちのごはんは」

「そうだね。雪が積もってても牧草を生やすことはできる。ミントには、僕らにはそれだけの力がある。……でも、考えてみて」


 頭を撫でながら、続ける。


「この雪は、溶けたら水になる。水になって、地面に染み込んでいく。染み込んでも、消えてなくなるんじゃないよ? 湧き水になったり、川になったり、また地面から蒸発して空にのぼっていったりして……そうして世界を旅していく。ミントなら、わかるよね? 知ってるよね?」


 血妖花アルラウネは植物の魔物だ。

 だから自然の仕組み——水の循環についても、本能で理解している。


 雨を浴びて喜ぶこの子は、その雨がどんなに大切か、どこから来てどこへ行くのか、どこに戻ってくるのかを、ちゃんとわかっているんだ。


 ただ。


「でも……」


 その本能とは裏腹に。

 心が、知性が、思い出が、


「でも。みんと、たのしかったよ。すごく、たのしかった。ずっとたのしくしたい。だから……ゆき、なくならなかったら。あしたも、あさっても、ずっと、たのしいって、おもって……!」


 後ろ髪を引き、わがままを言わせるんだ。


「ミント。……きみが生まれてから、雨季が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来た。季節は変わっていったけど、どの季節も楽しかったよね?」


 泣きそうな目。

 潤んだその瞳をまっすぐに見て、僕は、


「雪が消えたら、悲しいよね。かまくら、せっかく作ったもんね。雪だるま、頑張ったよね。そり、いっぱい走ったよね。……でも、雪が消えたらもう、楽しいのはなくなっちゃう? 雪がなくなったら、僕らは楽しく暮らせなくなるかな? そんなこと、ないよね」


 手を握りながら、ゆっくりと。


「この冬が終われば、また春が来て、次の季節が巡ってくるよ。春にも楽しいことはたくさんある。そしてもう一回、雨季と、夏と、秋を経験したら、次の冬も来るんだ。来年の冬が来たら、溶けた雪はまた、雪になって帰ってきてくれる」


 頬に手を添えながら、言い聞かせる。


「遊び終わったら、おうちに帰らなきゃいけない。だから、さようならしないと。楽しかったね、ありがとうって。また来年もよろしくね、って。そうすれば……そうしないと、次の朝はやってこないんだ。わかるよね、ミント?」


 やがて——。

 唇をぎゅっと結び、ミントは。


 こくりと頷き、ぽろぽろと涙をこぼしながら、それでも笑った。


「わかった。みんと、がまんする……。がまんで、ばいばいっていうよ。ゆきに……また、きてねって、あいさつ、するっ……!」

「うん。偉いね。……ミントは、いい子だね」


「み、ミント……また来年も、雪が降ったら雪だるま、作ろう?」

 ミネ・オルクちゃんがおずおずと、後ろから慰める。


「おれも来年はもっとでかくなってるし、負けないからな! 今度はおれたちの雪玉が胴体になる番だ」

 ジ・ネスくんも元気よく励ます。


「泣かないで、ミント。明日もわたしたち、遊びにくるから」

 花筏ハナイカダが妖精たちを代表して声をかける。


「くぅーん……」

 ショコラがミントに寄り添って、ぺろぺろとほっぺたを舐めた。


「かまくら、あったかかったわねえ。また来年も、お母さんたちのために作ってね」

「ばあばも来ますからね。次はミントにお茶を淹れてもらおうかしら」

 母さんが泣きじゃくるミントを抱きしめ、その頭をおばあさまが撫でる。


「スイ……」

「うん」


 カレンがやってきて、僕の手を握った。

 いつの間にか強張ってしまった指を、ゆっくり解きほぐしてくれる。


「……いつも散々、魔術でをしてるからさ。矛盾してるかもしれないけど」


 普段、生活のためにチートを使っているのは確かだ。


 家財やアクセサリーは壊れないし、畑の作物だって長持ちさせてる。怪我や病気も遠ざけているんだから、雪だるまくらい残しておいてもいいじゃないかという気持ちはあった——ミントの悲しい顔を見て、心は揺らいだ。


 けれど、たとえチートを活用してても、僕の中にラインはあるんだ。


 便利さや楽しさや目先のことを優先するあまり、自然の摂理を大きく曲げた暮らしはしたくない。なによりミントには——なんでも思う通りに、思うようにして、そのことが当たり前に感じるような子には、育ってほしくない。


 世の中の不条理やつらいことにしっかり向き合えるような、上手くいかないことや嫌なことにもちゃんと折り合いをつけられるような、そんな子になってほしい。


 将来、ミントが成長して大人になって。

 そしていつか僕らがいなくなってしまう時。

 僕らは、安心して死んでいきたい。


 ミントは自慢の娘だったよって、あっちで再会した父さんに胸を張りたいんだ。


 ——夕焼けの空に、竜の影がよぎる。

 

 白銀の鱗はミネ・アさん。子ドラゴンたちを迎えにきたのだ。

 お泊まりしていた友達が家に帰ったら、きっとミントは寂しく思うだろう。


 けれど、また今度ねって手を振って、ばいばいって見送って。

 いなくなって悲しい、じゃなくて、次はいつかなってわくわくしながら眠りにつけば——、


「だいじょぶ。ミントは、ちゃんとわかってる。だって、私たちみんなの子供だから」



※※※



 ミネ・アさんが僕らに挨拶をし、子ドラゴンたちがその背に乗る。

 妖精たちが羽ばたきながら『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』へと戻っていく。

 雪だるまとかまくらがどこか寂しげに、その白をほの赤く染める。


 ミントは——。

 涙でぐしゃぐしゃの顔で、ぶんぶんと、その小さな手を振った。



「みんと、たのしかった! すごく、たのしかったから……ばいばい! またきてね! ……ぜったい、きてねっ!!」



 大丈夫だよ。

 今日は終わっても、また明日はすぐ傍にいる。

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