インタールード - 新婚夫婦たちの年明け
祝福されて
年が暮れても明けても、シデラの街に浮ついた空気はない。
スイ=ハタノのいた世界では、ひとつの区切りとして祝い事と捉えられているようだったし、大陸内にもそうした風習のある国は存在する。ベルデの故国などがそうだった。
だが王国の庶民——特に『
とはいえ、新婚。
年始とは関係なく、思いもよらぬことが起きもする。
日が暮れてから
「ただいまー! お酒、もらってきちゃった。ウチらの結婚のお祝いだって!」
「おう。……またか? 今度はどこからだ」
「研究局の人たち。なんか、王都から取り寄せてくれたんだってさ」
出迎えたベルデは苦笑する。
「お前はなんつーか、可愛がられてるよな」
「そうかな? だったらありがたいねえ」
はいこれ、と渡された箱。蓋を開けるとおがくずの中に瓶が五本ほど。一本を取り出し、貼られたラベルを見、思わず片眉を上げる。
「こいつぁネルテップの十九年ものじゃねえか。だいぶ値が張るぞ」
「そうなん? ウチも申し訳ないって言ったんだけど、ついでだからだいじょーぶだって、研究局の人が」
「ついで……? ああ、なるほどな」
ネルテップはそののどかな気候からワインが名産になっている土地だが、同時に——今は森の深奥部にあるあの家がかつて存在していた場所でもある。そして十九年といえば、つまり。
「ほんとにこいつはついでだな。研究局も、粋なもんを仕入れてきたもんだ」
「どゆこと?」
「十九年前、ネルテップ。……あいつの生まれた時と場所だ」
「あ。……じゃあこれ、スイっちの!」
手配したのはセーラリンデ老だろうか。それともご機嫌取りを目論んだどこかの貴族だろうか。仮に後者だったとしても、こうして自分たちにお裾分けをしてくれるということは、贈り主の意向など局側で遮断されてしまっているだろう。
「まあ、ついでであっても祝ってくれたことには変わりねえ。五本あるなら分けるか」
「そだね! トモエさんとこと、ノビィウームのおっちゃんとこと、ノアくんのとこと、あとは……」
「エルフの双子は里帰りしちまってるからなあ。取っといてやろう」
「なはは、残り一本になっちったねえ」
「いいじゃねえか。お前と俺、それに親父さんたち。五人で飲めばちょうどいい」
そう言うと、リラは満面の笑みを浮かべ、ぴょん、とベルデの首に飛び付いた。
「ウチ、おっちゃんと結婚してよかったよ」
「おっちゃんはやめろって」
そうして身体を離すと、瓶を一本抱え、家の中へ走っていく。
「おとーさん、おかーさん、おばーちゃん! ワインもらってきたー!」
※※※
当然のことであるが、結婚した夫婦は一緒に住むものである。
ベルデは街を代表する一級冒険者であり、ありていに言えば稼いでいる。平均的な冒険者のような下宿住まいとは違い、土地と一軒家を購入済だ。
彼の性格柄、
一方、これまでリラが住んでいた家は、両親と祖母の四人ではやや手狭な古民家だ。十二になった時、リラの部屋をどうにか作るべく物置を整理しててんやわんやになったのをよく覚えている。
これまで住み慣れた家を離れる。結婚とはそういうものだ。それに広くて綺麗な家に引っ越せるのだから最高じゃないか。自分にそう言い聞かせて、心に抱えた切ないものから目を背けてきた。だけど。
そう、だけど。
ベルデは、夫となる人は、言ってくれたのだ。
「リラ。お前の家族も一緒に、全員でうちに来ねえか。結婚するからって、親御さんや婆さんと離れ離れになることはねえよ」
なので。
リラはいま、家に帰って旦那さまに迎えられ、そうして家の奥、居間に進むと——両親と、それから祖母の笑顔を、見ることができる。
母は夕食の用意をしてくれていた。テーブルには皿が並び、料理には湯気がたっている。こうしてリラの仕事が遅くなった日には家事をしてくれるのが、とてもありがたかった。
「ただいま! ねえ見て、ワインもらっちった。今晩、みんなで飲もう!」
「あらまあ。結婚祝いかい? 高いんじゃないの?」
「うん、けっこういいやつみたい」
「それなら、僕らはいいから夫婦でゆっくり晩酌しなさい」
母が顔を綻ばせ、父が穏やかにそう言ってくる。
祖母はにこにこしながら「よかったねえ」と頷く。
するとそこに追いついてきたベルデが、リラの肩に手を置きながら言った。
「そいつぁ困るぜ、親父さん。さすがにリラとふたりじゃあひと瓶は持て余す。それにせっかくの、
……前に、教えてくれた。
ベルデは王国の遥か西にある、ザザリオ帝国の出身らしい。そこでいろんなことがあって、若い頃に王国までやってきたそうだ。ほとんど亡命に近く、一時的な里帰りも含めて、二度と戻ることはないだろう、と。
両親は健在なのか、そして家族仲はどうだったのか——リラには、聞くことができなかった。
ただ、彼はリラの両親や祖母をとても大切にしてくれる。敬意を払いながら親しみを持って、正面から向き合って接してくれている。それこそ、一家揃ってこの家に引っ越しさせるほどに。
父は嬉しそうに頭を掻いた。
「そう言われちゃあ断れないな。なら、ご相伴にあずかることにするよ」
「ああ、男同士、酌み交わすとしようぜ」
父もリラと同じく冒険者ギルドの職員のため、当然、ベルデとは昔から付き合いがある。夫婦間よりも歳が近いくらいで、ふたりともさほど気を遣わずに暮らせているようだ。
「それにしても、娘は遅くまで働いてるっていうのに、お酒だけ飲んで申し訳ないね。解体場は開店休業ですることがない」
「まあ、獲物を仕入れてくる俺らが休んでんだから仕方ねえよ。それにどっちかというと、妻に働かせてる俺の方が申し訳ねえ」
そんなふうに軽口を言い合う父と夫を見ていると、胸のあたりがこそばゆい。
けれど同時に、あたたかくもある。そわそわしながら、嬉しくなってくる。
「ほら、あんたさっさと着替えてきなさい。すぐご飯にするよ」
「リラ。今日も一日、ご苦労さまだねえ」
結婚前と同じように急かしてくる母と、結婚前よりも優しい顔をしている祖母。
そして父と談笑しながらどっしり構える、旦那さま。
「うん、あんがと! じゃあ、ちょい待っててね!」
リラは家族の声と晩ご飯の匂いを背に、自室へ向かう。
今年は——いや、これからずっとこの毎日が続くんだなと、改めて思いながら。
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