初めての年が終わる

 晩餐は、大盛況だった。


スイふひこれ美味しいほへほひいいいつものひふほほ唐揚ははあげもいいけどへほひひへほ……ごくん。香辛料がすごくいい香り。辛いのにもっと食べたくなる」

 フライドチキンへ豪快にかぶりつきながら頬を緩めるカレン。


「うーっ、このおにく、やらかい! みんとすき!」

 おばあさまにスプーンでカルタニスを食べさせてもらいながら、ミントがはしゃぐ。


「パンと一緒だと食べ応えがありますね。ソースも味が深いわ」

 おばあさまはカルタニスとパン、それに野菜とドレッシングで自作サンドイッチを作り、それを楽しんでいる。


「この海鮮料理、美味しいわねえ。ワインにすごく合うわ」

 母さんはほろ酔いでブイヤベースに夢中だ。


「わうわう! はぐっ」

「きゅるるっ」

 ショコラとポチもそれぞれの食事を喜んでくれていた。


「カレン、肉ばっかりじゃダメだよ。サラダも食べて。あと、ザワークラウトも付け合わせになるから」

「ん。この酸っぱいの、スイがずっと作ってたやつ? 口の中がすっきりする」


 恋人の幸せそうな顔を見ると、僕も同じ気持ちになる。


「ミントはカブのポタージュもどう? ミルク粥もあるからね」

「それもすき! そっちのもすきっ! おいしい!」


 うきうきと身体を揺らす小さな身体は、喜びに満ちていた。


「おばあさま、そっちのソテーもたぶんパンに合いますよ」

「まあ、ありがとう。きのことかぼちゃがいい色合いですね」


 料理を褒めてくれるその声は、どこまでも優しい。


「母さん、今日は特別だよ? でもお酒ばっかりじゃなくてちゃんと食べてね」

「もちろんよ。スイくんの料理をお母さんが食べ逃すものですか」


 匙を進める手には気合が込められていて、酔っ払う気はなさそうだ。


「ショコラもポチも、おかわりあるからな」

「わふっ!」

「きゅうっ」


 のっそりとテラスに寝そべる巨体とその横で肉塊にがっつく二頭ふたりも、穏やかにリラックスしていた。


 そんなふうに食事風景を見ていると、みんながふとこっちを向いた。

 向いて——、


「ん。スイもフライドチキン、食べて。あーん」

「すい、このおかゆ、いっしょにたべよ? みんとのわけたあげるねっ」

「ほら、パンに具材を挟んであげますから、好きな組み合わせをおっしゃいなさい」

「スイくん、お母さんが海老の殻を剥いてあげましょうか?」


「待って。いきなり全部は無理だから!」


 次々と差し出されてくるお皿に、僕はあたふたする。

 そんな僕を見てみんなが笑い、僕もまた笑みで返し。


 肉を、魚を、野菜を、スープを、次々に味わいながら、それぞれと顔を見合わせる。


 小さな口でもぐもぐと、しかしいつの間にか手に届く範囲の品が消えていくカレンと。

 ほっぺたについた汚れをおばあさまに拭ってもらいながら苺セーキの入ったコップを傾けるミントと。

 僕らのことを愛おしそうに、本当に嬉しそうに見詰めてくれるおばあさまと。

 ほろ酔いの中でにこにこと幸せの表情で、僕に頷いてくる母さんと。


「わふっ……わうっ!」

「きゅるう」


 お皿を空にしたショコラがおかわりを催促し、ポチが嘴の周りについた塩を舌で舐め取る。


 辺りが暗くなる中、森の夜が始まっていく中。

 家族とともに、今年最後の晩餐は続いていく。



※※※



 そして——余るだろうなってくらいの量を用意したはずの料理は、そのほとんどがなくなった。残すはサラダの欠片とか、付け合わせとか、食後にゆっくりつまんでいるデザートとかだけ。


「すごいや。山ほど作ったのになあ」

「ふふ……魔術士は健啖家けんたんかが多いのですよ」

「それでも普段はここまでたくさん食べないのに」

「きっと、いつも以上に楽しい食卓だったんでしょうね」


 膝の上ですやすやするミントの頭を撫でながら、おばあさまが微笑む。

 キッチンからは水の流れる音と、カレンと母さんが談笑する声。ふたりは皿洗いをしてくれていた。


「終わったわよ、スイくん」

「ありがとう」


 戻ってきたふたりはソファーに腰掛ける。

 カレンも母さんも、残っていたデザートにフォークを刺しながら、ゆったりと息を吐いた。


「ミントは疲れちゃったのかしら」

「ん……きっと、お腹いっぱいであったかいから」

「頃合いを見て起こしますよ。ちゃんとお庭で眠らないといけませんからね。でも、もう少しこのままで」

「ポチも眠くなったら無理をするなよ」

「きゅう……」


 テラスに伏せてのんびりしているポチも、そろそろうつらうつらしそうな雰囲気だ。まあ、今日くらいはここで眠らせてもいいけども。


「お前は自由だな、ショコラ」

「くぅーん」


 ショコラは外に飽きたのか家の中に入り、ソファーの上で丸くなっている。こいつがいるせいで僕らはちょっと手狭だ。


「ぎゅう」

「……まあ、いっか」


 手狭なせいで——というか、手狭なことにかこつけて——カレンが僕の隣にくっ付いて腕に抱きついている。よく見ると顔が赤い。酔っちゃってるなあ。


「ほんの少ししかお酒入れてなかったはずなのに」

「ふふーん」

「上機嫌」


 そんな僕らを楽しそうに見ながら、母さんがワイングラスを手に取る。


「あの人がいた頃の年越しを思い出すわ」

「昔も、こんなだったっけ?」


 正直なところ、あまり記憶にない。

 ネルテップの原っぱにこの家があった頃のことを、今ではかなり思い出せているけれど、それでも——年末年始をどう過ごしていたかが、ちょっと曖昧だ。


「今日みたいに、ご馳走を食べたりなんかはしなかったわ。あなたたちも小さかったから、早く寝ちゃうし。そういう意味じゃいつも通りで、スイくんが覚えていないのも無理はないわ。……でもね」


 グラスを傾けて、ワインで喉を湿らせ。

 ふう、と息を吐いて、


「あの人と……お父さんとふたりで、こうやってお酒を飲んでた。家が原っぱにあったから、街の音も聞こえてこなくて、静かで。そうしてね、夜も遅くなって……ふって会話が止まったときに、お父さんがこう言うの」


 僕は。

 続く母さんの言葉に合わせて、言葉を重ねた。


「……「『今年も一年、ありがとう。来年もよろしくな』って」——でしょ?」


「スイくん……」

「同じだよ。同じだった、向こうでも」


 目を見開いた母さんに、僕は笑う。

 それはありふれた——日本じゃありふれて当たり前の、挨拶だ。

 だからきっと父さんは、ただの習慣として続けていたんだろう。


 だけど、その習慣は。

 こっちの世界でも、あっちの世界でも、父さんは変わらず、父さんだったってことを示している。


「母さん」


 背筋を伸ばし、家族を順番に見た。


「カレン、ミント、おばあさま。ショコラ、それにポチも」


「むにゃあ……すい?」


 おばあさまの膝の上でむにゃむにゃとしていたミントが、名前を呼ばれて細目を開けた。ショコラが「わふっ」と身体をよじらせ、ポチも首を小さく傾げる。

 母さんは涙を我慢する顔で僕を見、カレンも身体を離して姿勢をただす。おばあさまはそっとミントの上半身を起こしてやり、その背をさすった。


 あっちでは、日が変わってから言っていたけれど。

 切り出してくる父さんに返事をする形だった僕だけど。


 これからは、代わりに言うよ。



「みんな、今年も一年、ありがとう。来年もよろしくお願いします」



 一年が終わる——僕にとっては激動の一年が。

 そして年が変わり、始まる——僕ら家族にとって、新しい幸せの一年が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る