地には人、見上げるは天

 ——その日は、朝から晴天だった。



※※※



 見渡す限り、紺碧こんぺきに広がる空の下。

 シデラの街、冒険者ギルドの門前広場にはたくさんの人々が集まっていた。


「なあ、森の深奥部ってのは遠いんだろ?」


 誰かが言った。


「ああ、蜥車せきしゃで一週間だか十日だかかかるらしい」

「出てくる魔物を即座に倒し続けながらかあ。普通は無理な芸当だわな」


 誰かが答え、誰かが混ぜ返した。


「そんだけ遠いと、天気も変わるんだろうねえ。こことは違う空模様かもしれない」

「でもよ、見ろよ。今日は雲ひとつねえ。きっと向こうも同じだろうさ」


 そして誰かが嘆息し、誰かが愉快げに諭し、


「……そろそろだ」


 野太い声が広場に響いて、ざわめきが止まった。


 ベルデ=ジャングラーだ。

 冒険者たちのまとめ役にして、シデラの誇る一級冒険者。

 筋骨隆々とした巨躯は、無精髭をたくわえた顎をさすりながら空を見上げる。その隣にはつい最近めとった、ギルド職員の娘——リラ=ジャングラーがにこにこしながら立っている。


 リラは背後の青年に振り返って問うた。


「ねーねー、こっから見えっかな? シュナイならどう?」

「いやいや、俺の視力をなんだと思ってやがんだ。鳥じゃねえんだぞ」

「鼻はいいんですけどね。家に帰るや夕食のおかずを当てるんですのよこいつ。無粋ったらありません」


 青年——シュナイに彼の妻は毒づく。がしかし、淑やかな笑顔のままごく小声であったので誰にも聞き咎められなかった。


「うむ、さすがに打ち上がってもわからんだろうな!」

「魔力も感じ取れないなあ」


 容姿端麗な青年と獣人の娘が北の空を凝視しながら揃って肩をすくめ、


「でも、これだけは立ち会わなきゃ」

「ええ。たとえ見えなくてもね」


 エルフの兄妹が決意の秘めた表情で天を仰ぐ。


「……太陽、眩しいっす。でもなんか、気持ちがいいっすね」


 その横に立つ猫背の少女もまた、もっさりした髪の隙間から伸びる尖った耳を、期待でぴくぴくと震わせていた。


「おう、ワシらの連日の徹夜が報われる時が来たぞ」

「親方、酒瓶片手じゃ威厳がねえっすよ」

「は、鍛冶屋なんて鉄を打ってない時はこのくらいでいいのさ。あんたたちも覚えときな。威張ってる職人なんざ、ろくなもんじゃないからね」


 ドワーフの男が赤ら顔で酒をあおり、その女房がからからと笑い、下っ端の職人たちがこぞって呆れる。


 そして一同の様子を少し離れたところから眺めるのは、疲労困憊こんぱいの証であるしわくまを顔に刻んだ中年男性——ギルドマスター、クリシェ=べリングリィ。


「もう懲り懲りだ。今まで生きてきて最高に忙しかった。二度とごめんだぞこんなのは……」


 ギルド本部の軒先に腰を下ろし、深く溜息をつきながらぼやく。

 ただそれでも瞳だけは達成感と喜びに満ちていた。


 やがて——。

 みなの口数が少なくなり、集った関係者たちの誰もが、緊張した面持ちで空を凝視し始める。


 沈黙の中、ベルデが通信水晶クリスタルを懐から取り出す。表示を確認し——大きく息を吐いてから、一同に宣言した。


「スイから連絡が入った。使い魔の打ち上げ、成功したそうだ」

「……っ、おおお、おおおおおおおおおっ!!」


 数拍の後。

 割れんばかりの歓声が、門前広場に響き渡った。


「見えたか!?」

「いやさすがに全然見えなかった! 視力を全力で強化したんだがなあ」

「まあ見えるわけはねえわな。でも、スイさんが成功したってんならそうだろ」

「いやあ、これで苦労も報われるってもんだ」

「王子と姫、それにエルフの魔女殿! あんたたちは特にお疲れさんだ」

「なにを言う、俺たちも貴殿らも、できることをやったに過ぎん。ここにいるみなが功労者だ」

「言ってくれるねえ!」


 先ほどまでとは打って変わり、喧騒の嵐。みなが口々に互いを称え合う。冒険者、職人たち、ギルド職員——肩を組みながら拳を突き合わせながら、計画の成功を祝っていた。


「お前ら、聞け!」


 ぱんぱんと手を叩き一同の耳目を集めるのはクリシェ、そして隣にベルデ。

 クリシェが咳払いし、ベルデが前に出て声を張り上げる。


「まずはお疲れさん。みんな、よくやってくれた。冬籠りや年越しの支度もあったってのに、慌ただしくしちまってすまねえ。だが、特別手当ボーナスもたんまり出る。それで納めてくれ」


 ボーナス、という単語への歓声を手をかざして制止し、


「それから、肝に銘じとけ。今回の事業はあくまで、変異種の更にやべえやつ……稀存きぞんしゅが生まれないようにするためのものだ。別に『うろの森』が安全になったわけじゃねえぞ。相変わらずこの森は魔境で、一歩足を踏み入れれば死と隣り合わせで、いつ変異種と出くわすかわからん場所だ。俺たちはちっぽけでちんけな、生態系の下から数えたほうがはええ、被食者のままだ」


 表情を引き締めて視線を鋭くし、しかし、



「——だが、胸を張れ」



 にやりと不敵に笑って、言う。


「俺たちはシデラの民だ。前線街の住人だ。『神威しんい煮凝にこごり』を前にして、蛮勇で食い下がる、あらくれどもの集まりだ。この国を、いや、大陸を見渡しても……この街ほど血がたぎり心が躍る場所はねえだろう?」


 全員の目が輝いている。

 爛々らんらんと獣のごとく、それでいて燦々さんさんと太陽のごとく。


「森を歩く時、思い出せ。足元には俺たちの誇りが埋まってるってことを。しんどい時、思い出せ。俺たちの頭上には、星の守りがあるってことを。そして家に帰ったら、思い出せ。……深奥部で暮らす、俺たちの仲間のことを」


 黒髪の青年と、その家族たち。

 全員が思い浮かべる、その顔は——。


「あいつの……あいつらのとした笑顔を忘れんな。あいつらがふらっと遊びに来た時、俺たちも笑って出迎えられるようにしよう。誰それが死んじまったなんて報告で、悲しませるんじゃねえぞ。あいつらにとってここは、もうひとつの家で、故郷なんだ。俺たちがみな家族であるように、あいつらも俺たちの家族だ。だから、胸を張れ。シデラの民であることに、胸を張れ!」


「おおおおおおおおっ!!」


 地を震わすような雄叫びが、街に響く。

 森の奥まで届けとばかりに、みなが声を張り上げる。

 冬の紺碧、その空へと——大音声は、溶けていった。



※※※



 高く、高く、遠くへ。

 まるで、星のように。


 使い魔は打ち上がり、やがて指定していた高度まで達すると静止する。

 僕の闇属性魔術で座標を固定させているから、いかなる天候があっても、たとえ隕石が直撃しようとも、そこから動くことはない。もちろん固定といっても天体の自転には連動していて、常に『虚の森』の直上にあり続ける。


 ベルデさんに送った『成功』の通信は、もうあっちに届いているだろうか。


「……稀存種の発生を未然に防げるようになったってだけで、森が危険であることは今までと変わんないんだけどさ」

「わうっ?」


 寄ってきたショコラのほっぺたをぐにぐにしながら、僕は笑った。


「それでも、少しは……みんな、安心できるかな」

「わんっ!」


 おばあさまに抱きついてはしゃぐミント。

 ポチの胴体に寄りかかって空を見上げるカレン。

 手を繋いで微笑み合う四季シキさんたち。

 そして、父さんのお墓を愛おしげにそっと撫でる母さん。



 ——その日は、朝から晴天だった。

 僕は冬の深い青に澄む、冷たい空気を思いきり吸い込む。

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