インタールード - 自宅:ガーデン

 夜半で、なんとなくだった。


 ふと目が覚めた。そして寝付けなかった。だから少し外の空気でも吸おうと、玄関から庭に出た。背伸びをしながら初冬の冷たさを肺に入れると、身体の中身が入れ替わっていく気がする。


 カレンは——空を見上げながら、ふう、と息を吐き出した。


 家の灯りはすべて消え、薄曇りで月も隠れている。それでも暗闇の中、風景はぼんやり見える。エルフは他人種よりも夜目よめが利くのだ。


 解体場の横手ではミントがつぼみくるまっていて、気配は静か。

 森の外からはオウルの鳴き声が小さく聞こえてくる。


 と。

 背後からのっそりやってきた気配に振り返り、しゃがんでその頭を撫でた。


「起きてきてくれたの?」

「くぅーん」

「ショコラは、気配に敏感」


 そういえば、ヴィオレもスイも同じ経験をしていたと言っていた。夜中にひとり外へ出た時、ショコラが察して来てくれる——本当に、優しい子。


「よしよし」

「わう……ふすっ」


 けれど、この子の在り方はきっと、ハタノの家風そのものなのだろう。家族になにかあった時、なにかあったのかなと思った時、そっと寄り添ってくる。離れ離れになっていた期間が長かったせいか、自分たちはみな、家族が傍にいることに無条件で安堵し、勇気付けられるのだ。


「すっかり夜も寒くなった。お前はへいき?」

「くぅーん」

「ん、寒さに強い血筋だって言ってたね」


 すっかり冬毛に生え替わった毛並みはふわふわもふもふと温かい。目を細めながらその背中を撫でていると、ふと庭の奥——ガーデンに建つ東屋に気配があった。


 植え込みに囲まれた細道を進んで奥へ入っていく。

 そこに腰掛けていたのは風変わりなドレスを纏う、小柄な少女の姿。


 背中に生えた透かし羽根が夜の闇にうっすらと輝く。尖った両耳はカレンと似ていて、だけどエルフのそれよりほんの少しだけ短い。


「……シキさん」

「こんばんは」


 妖精女王——シキは、カレンと目が合うと穏やかに笑んだ。

 カレンは東屋のテーブルにティーカップがふたつ、乗っていることに気付く。


「私が来ること、わかってたの?」

「あなたかどうかはわからなかったけど、なんだかそんな気がしたのよ。いかが? 妖精境域ティル・ナ・ノーグで採れたハーブよ」

「ん、いただきます」


 頷き、対面に座る。冬の外気に晒されていたはずのティーカップは持ち手まであったまっていて、お茶を飲むと身体の芯まで熱が沁み渡るようだった。


 しばし無言の時が続く。


 カレンは元々、お喋りが盛んな方ではない。シキとも、幾度となく顔を突き合わせてはいても、個人的な親交は深くなかったから尚更だった。


 ただ、それでも先に口を開いたのは、カレンだった。


「あの宝石。……私が持っていても、いいのかな」

「ピアスにしているのよね。さすがに今は着けていないみたいだけど」


 彼女の涙から生まれた『妖精の雫』。

 透明な、それでいて途方もなく得体の知れない魔力を宿した、けれど見ているとどこか安心する——不思議な宝石。


「最初はわたしも、スイさんの好きなようにしてくれればいいわって、そのくらいの気持ちだった。でも、今になるとよくわかる。……スイさん、ショコラちゃん、そして、あなた。あなたも含めて、えにし、だったのね」


 スイから聞いた。

 エルフの血は、遡れば日本に始まりを持つこと。

 そして特に自分——クィーオーユ氏族は、目の前にいる女王の傍系にあたること。


「カレンさん。顔をよく見せてくれる?」


 ふと気付くと、シキはテーブルを挟んだ対面ではなく、自分の横に立っていた。その小さな手がカレンの頬に触れ、そのつぶらな瞳がカレンの目を覗き込む。


「スイさんと魔力を交感しているせいか、わたしも最近は記憶が甦ってきたのよ。やっぱり虫食いではあるのだけど」

「昔のこと、思い出すのは、つらい?」

「確かに、二千年も前のことだから……思い出したところで詮無いものであるのも確かよ。でも、つらくはないし、思い出せてよかったとも感じているわ」


 シキは、微笑む。

 その気配には、慈しみがある。


「——わたしとお兄ちゃんは、あんまり似ていなかった」


 お兄ちゃん。

 シキの、実の兄。

 クィーオーユの祖となったひと。


「大魔術の余波でエルフになった際に、身体の作りも組み換えられている。それに二千年も経っていれば、遺伝子なんてほとんど変わってしまっているはず。だから、あなたがお兄ちゃんに……まして、わたしに似ているなんてこともない」


 遺伝子、という言葉の意味はわからないけれど。

 カレンの金髪が、日本人の髪色でないことはわかる。実の父も母も金髪だったと聞いているし、やっぱり世界の改変とそこから続く二千年の歳月は、いろいろなものを途絶えさせてしまっているのだろう。


 ほんの少しだけ、寂しくなった。

 だけどそう思うカレンとは裏腹に。


「でもね。カレンさん……カレン」


 シキは——妖精の女王は。

 頬に添えた手に熱を込めて、合わせた視線に優しさを込めて。

 遠い遠い自分の血族に、言うのだ。


「それでもあなたには、面影がある。お兄ちゃんとわたしの、面影があるわ。こうしていると伝わってくるのよ。間違いないって確信できるの。あなたはお兄ちゃんの子供の、子供の、そのまた子供の……二千年を繋いできた、その末裔すえなんだって」


 幼い顔だち。

 家族を救うために、人であることも、年齢さえも捨て去ってしまった、その姿。

 彼女の視線を受け止めていると、カレンにもなんとなく、実感がわいてきた。


「ん。私も、わかる気がする。あなたは私のご先祖さま。二千年の昔、あなたが世界を救ったあと、世界に残してきた血が、きっと私には流れている」


 そう言われたから、ではない。

 そうだなと、自分から思えたのだ。


「あなたがここにいてくれて、嬉しいわ。あなたと出会えてよかった。お兄ちゃんのことを思い出せてよかった。もちろんショコラちゃん、あなたと、あなたのご先祖さまのこともよ」

「わうっ!」

「いい子ね。……ああ、もう忘れないわ。あなたと同じ、灰色と白の、綺麗な毛並みだった。かっこよくてかわいくて、頼りになる家族だった」


 妖精女王の目尻に、涙が浮かぶ。

 それはあふれてしずくとなり、こぼれてたまとなり、思わず差し出したカレンの手のひらにぽとりと落ちる。


シキさん……」

「時を経て、あなたたちとわたしたちはまた出会えた。それはたぶん、もう二度と世界がおかしくならないために。あんな悲しい魔王ものがもう二度と暴れないために。今この時、この場所で、わたしたちが共にあることには、きっと意味があるの」


 シキは頷き、すっと身を離した。

 そうして涙の宝石を受け止めたカレンの手のひらを、宝石ごと包み、握らせる。




「これは、あなたのものよ。……わたしが泣いちゃったこと、夫には内緒にしていてね? 約束よ。知ってる? 妖精との約束を守ると、いいことが訪れるの」


 カレンは彼女に頷き返し、微笑んだ。


「ん、だいじょぶ。私は約束を守る。スイと一緒に頑張るって、約束する。魔王が発生しないよう、この森を守ってみせるから」

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