自然の摂理が澱んだ末に

 やがて辿り着いたそこは、湿地帯だった。

 

 地面はぬかるみ、歩くたびわずかにブーツが沈み、草の隙間からじっとりと水が滲む。耐水加工をしていなかったら中がずくずくになっていたところだ。


 がまみたいな葉の植物が生い茂っていて、その中に身を隠すことが一応はできるが、同時に視界もすこぶる悪い。僕とショコラは草をかき分けながら前に進んだ。


 やや開けた場所に浅い沼があって——あの澱んだ重苦しい空気、つまりは魔力坩堝るつぼになったそこに、化け物が一頭。

 水面から頭部を出し、静かに身体を丸めている。


 わにだ。


 背中にはびっしりとハリネズミみたいな棘が生えていて、頭部には牛のような角。尻尾はまるごとが坩堝水晶クリスタルに覆われていて、けっこうな気味の悪さ。体高は低いものの体長は大きく、尻尾と口を除いた部分だけでももう、うちのポチくらいはありそうだった。


 そいつは僕らに気付くが、わずかに視線を向けてきただけで動こうとはしない。もはやその気力もないほどに弱っていた。


 変異種の寿命は、短い。


 元々、魔力坩堝に晒されたことで生物として異常を来しているのが変異種だ。


 体組織の各所に他の生物の形質が顕れている部分は、シデラでの研究によると、悪性腫瘍——癌のようなものらしい。


 属性が乱雑になった魔力も当然ながら身体を蝕む。魔力が制御できないものだから余剰分が坩堝水晶クリスタルと化し身体に固着する。坩堝水晶クリスタルは健康な体組織に食い込んで増殖していき、やがて体内を食い荒らし、生命維持もできなくなっていく。


 身体の形質変化と暴走する魔力は一時的に強大な力を与えるが、それは寿命をたきぎに生命をしているのと同じ。


 シデラでは、万が一変異種と出くわした時、とにかく逃走しその場から離れるべしと徹底させている。そうして発見区域をしばらく禁足地に定め、相手の寿命が尽きるのを待つ。


 ——つまりこいつらは、ただ生きるだけで急速に、死へ向かっているんだ。


 哀れだと思う気持ちはある。

 だけど、同情はしない。


 この鰐だって、出会うのがあと数日でも早ければ、問答無用で僕らに襲いかかってきていた。理性などとうに失われていて、凶暴性と食欲が支配する、孤独な生物の成れの果て——そうなってしまったものはもう、なるようにしかならないんだ。


 五分、十分、十五分。

 僕とショコラの見守る中、鰐の変異種はつい、と視線を背ける。なにを考えているのかはわからない。なにも考えていないのかもしれない。ただ、その生命は終わり際であろうとも燃え尽きる速度を緩めることなく。通常の生物が数日をかけて行うであろう臨終を、たったの三十分ほどで済ませた。


 すう、と。

 変異種の鼓動が止み、絶速した直後。


 じじじ——尻尾を覆っていた坩堝水晶クリスタルが光を放つ。弱々しい、それでいて毒々しい属性の氾濫。


 爆発そのものは、さっきの蛇とほとんど変わらない勢いで起きた。


「っ……」


 光、音、風、衝撃、破壊。ショコラを抱きつつ結界で受け流す。ただやはり違和感があった。確かに爆発は起き、死体は四散し、周囲は派手に破壊されているが、そこに魔力が乗っていない。


 物理的には爆発しているが、魔導的には爆縮——属性の氾濫が内向きに起きている。つまり、魔力坩堝を吹き飛ばすのではなく、方向に。


「ぐるる……ぐるるるっ」


 ショコラが唸る。爆発は既に終わっているというのに、辺りは静かだというのに、鰐がまだ生きている時などよりよほど感情を荒げ、警戒の牙を剥く。


「これはひどいな。死ぬ前の三倍……五倍くらいか?」

「ぐるるる……!」


 そこにあるのは、ひたすらに濃く渦巻く、まるで質量を持ったかのような沈殿。汚泥というよりは底なし沼と形容した方がいい、魔力の坩堝だった。


 たぶん、放っておいてもじきに消えはする。魔力とは本来、濃度を高くすればするほど維持するのが難しくなるものだ。


 だけどここは『神威しんい煮凝にこごり』であり、魔力坩堝が発生しやすく消えにくい場所。こうした濃度の魔力坩堝が運悪く残ってしまう可能性は、他の地よりも遥かに高い。


「これが残り続けて、また新しい魔物がここをねぐらにする……」


 すると魔物は時をさほど待たず、変異種へと変わる。


「その変異種がまた、誰にも狩られず寿命まで生きる」


 寿命で死んだ変異種の魔力は、さっきのように重なり、より澱み、より沈む。


「繰り返しだ。滅多に起きない、奇跡的な繰り返し。変異種が自然死することで魔力坩堝が重なって、大きく重くなっていって、連結して……それがつまり、『帝江ていこう』」


「がうっ!」


 目の前の澱みが気持ち悪かったのだろう。

 ショコラが大きく吠えると身体に光を纏い、爆発跡へつっこんだ。一条のレーザーが雲を貫くように、魔力坩堝は散らされて消えていく。


 しゅたっ、と戻ってきたショコラを撫でながら、僕は思い出していた。

 つい昨夜に見た、今のところ最後の夢。

 

 四季シキさんたちが魔王城へと攻め入った時の、その結末を。



※※※



 一箇所に集められ、拘束されていた変異種たち。


 仲間の誰かが言った——「全部殺そう」と。

 だけど他の誰かが言った——「できない」と。

 同情だったのか、単純に嫌悪感だったのか、それはわからない。

 

 結局、後者が選ばれた。

 誰かが言った——「どのみちこいつらはすぐに死ぬ、俺たちが手を下すまでもないさ」と。

 無知によるものだった。彼らはこの時まだ、魔王の製造工程を知らなかった。

 たぶん、変異種をただ飼っているだけだと思ったのだろう。


 彼らは撤収しようとした。

 施設はほぼ破壊済、いまさら変異種を見逃したとして、もはやここは用を為さないだろう。だから充分だ、任務は達成した。そんなことを口々に言い合いながら。


 だけど、城の正門を出た、まさにその時。


 さっきまで彼らのいた大広間が、天を焦がすような光の柱をたてながら大爆発する。

 澱んで濁って吹き溜まって、極限まで圧縮され


 魔王城は目的を達し、四季シキさんたちは任務を失敗した。

 瓦礫の底から出てきた魔王が、禍々しい雄叫びをあげて——。



 その後、国がひとつ滅び、四季シキさんたちの仲間がふたり死に、ようやくその魔王はたおされたのだった。

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