ひとりじゃないよ

 僕らがキマイラを倒したと聞いたことで驚き怯え、ドルチェさんは再び心を閉ざしかけたのだが、デザートとして残していたシュトレンを食べさせたらまた開いた。


美味しいっすほひひいっふこれほへ……んぐ。もうないんすか……?」


 いや案外図太いなこの子?

 まあ、喜んでくれてるならよかった。


「どっしりしてるから、食べすぎると弱った胃腸にあまりよくないと思う。もうひと切れだけで我慢してくれる?」

「ああああああやった! ありがとうございますっ! 甘いの……お砂糖なんて、おじいちゃんとおばあちゃんが生きてた頃以来っす!」

「レビューが重い」


 さらっと言うが、聞いているこっちの胸が痛む。本当、どんな扱いを受けてきたんだ。……むしろある程度の図太さがないと、やっていけなかったのかもしれない。


「ふわあ……お腹いっぱいっす。ありがとうございます、こんなに美味しいもの初めて食べたし、お腹がいっぱいになったのも久しぶりっす」


 やがてドルチェさんは満足そうにそう言うと、ショコラに寄りかかってぐでーっとする。あっ……ショコラが「こいつもういいかな」みたいな感じの目になってるぞ。


「もう少し甘えさせてやってくれ、な?」

「わふっ」


 短く鳴いて床に伏せ、ドルチェさんを寛大に受け止めてやるショコラ。

 リックさんがそれを微笑ましげに見た後、表情を引き締めて言った。


「ドルチェさん、食事の直後ですまない。これからのことを話したい」

「これから……っすか?」

「ああ。アテナクの集落はもう『うろの森』にはないんだよな? ここ以外の場所にもって意味だ」


 当然のことだが——お腹を空かせていた子がいたので存分に美味しいものを食べてもらいました、めでたしめでたし——にはならない。


 問題は山積みで、しかもひとつひとつがだいぶこんがらがっている。未だに謎めいたことも多い。むしろ本番はこれからなのだ。


「別の場所……たぶん、と思うっす」


 まずひとつめ、アテナクの集落について。

 これはドルチェさんがあっさりと答えた。


「元々、集落って呼べるようなのはここだけっす。『坩堝るつぼくだき』をして回るのに必要だから、あちこちに小さい拠点は作ってたはずっすけど、そこにいた連中も含めて一斉に撤収したんじゃないかなあ。あの人ら、仲間意識は強かったから」


 一方で、ドルチェさんはその『仲間意識』の外に追いやられていたってわけか。

 まるで他人事ひとごとみたいな物言いをすること自体が彼女の扱いを示唆していて、正直きつい。だけど今は、そのひとつひとつを気にかけても仕方ない。


「つまり氏族ぐるみで、その『責務』を放棄して逃げたってことか。この際、是非は置いておこう。西の山脈を越えていったんなら、シデラに移住なんてこともなさそうだな……」


 リックさんがつぶやくのへ、僕は言葉を重ねた。


「暮らしぶりとかを見るに、シデラには定期的に物資を仕入れに行ってたと思う。エルフのことは滅多に見かけないって聞いたけど……」

「ん、言っても私たちは、ただ耳が長いだけの種族。ドワーフみたいに背丈や身体つきに特徴があるわけじゃない。耳さえ隠せば誰も気付かない」

「ええ、シデラは行商人とか流れ者とか、人の出入りがそこそこ多いものね」


 カレンとノエミさんもそれに続く。

 そしてリックさんが僕らの会話に頷き、再びドルチェさんに向き直った。


「あなたには選択肢がある」

「選択肢……?」

「このままここで暮らすか、それとも僕らと来るか、だ」


 身体を低くし目線を合わせ、まっすぐに彼女を見、


「……およそ一年近く、この集落で身を潜めていたんだよな? だったら一応は食べていけてたってことだし、このままここで暮らしていたいというなら僕らはその意見を尊重する。あの化け物……『稀存種きぞんしゅ』だったか。あれももういない。だからそうそう怯えることもないだろう」


 でも、と。

 一拍の間を置いて、リックさんは続ける。


「でも、もしきみにその意思があるなら、僕らと来てもいい。シデラで暮らすんだ。アテナクの責務とか、エルフ国アルフヘイムがなにを考えているのかとか、様々な問題はあるだろうけど……そういうのはひとまず、置いといてね」


「いやあ、いいっすよそんな。ドルチェみたいなの連れていっても迷惑になるだけっすから」

「え……」


 だけど返ってきた言葉は、あっけなくそっけない謝絶で。

 リックさんはショックを受けたように固まってしまう。


 かく言う僕もちょっと唖然としてしまった。まさかここで断りが来るとは。どうするつもりなんだこの子。


 ……いや、なんてこと、そもそも考えていないのかもしれない。これまでもひとりでやってきた、だからこの先もひとりでやっていく、ただそれだけ——現状を不幸と認識できていないからこそ、現状維持を選んでしまっている?


 気まずい沈黙が流れる。

 そんな中、口を開いたのはエジェティアの片割れ——ノエミさんだった。


「……もう。違うでしょ? 兄さん」


 盛大な溜息とともに兄の肩へ手を置き、軽く押し退けて。

 ドルチェさんの前へしゃがみ、彼女に毅然と告げる。


「悪いけど、さっき兄が言ったのは嘘よ。本当はあなたに選択肢なんてない。

「はい? いや、でもっすね……」

「でもじゃないのよ……あのね、あなたをこんなところにひとりで置いていくなんてこと、できないの。したくないの。これは、アテナクの責務だのエルフ国アルフヘイムの意向だのとは、一切関係ないのよ」

「ドルチェに、そんな価値はないっすよ?」

「価値なんて関係ない。そういう話をしてるんじゃないのよ、私たちは」


 頑ななドルチェさんに、しかし。

 ノエミさんは呆れもせず怒りもせず、ただ穏やかに笑う。


 笑って、言うのだ。


「私たちがあなたを、ここに置いたままじゃ帰りたくないの。スイさんの作ったものを食べて、美味しいって泣くような子を……犬のぬくもりにそんな嬉しそうな顔をする子を、ひとりにしておけないわ。私たちも、スイさんたちも。外にいる師匠……シュナイさんたちも」


 手を伸ばし、埃と土と皮脂で汚れたドルチェさんの頭を撫でる。

 構わずにくしゃくしゃと、優しく。

 

「私たちがここから帰った後も、あなたはお腹が空くでしょう? 夜は寒くなって、あたたかさが欲しくなるでしょう? また美味しいご飯を食べたいとか、あったかくして眠りたいとか、少しでも思うなら、私たちと来なさい」

「すまない。僕も言葉選びを間違った。おおむね、妹の言う通りだ。安心してくれ、僕らはあなたの味方だ。アテナクの子、我らが同胞よ」


 ノエミさんの隣でリックさんも、同じように微笑む。

 双子らしいよく似た顔で、優しく。


「………………も、………すか?」


 ——やがて。

 ドルチェさんは、ぼそりと。

 そのまるい目を少し伏せ、申し訳なさそうに、それでいて縋るように、問うた。



「ついていっても、いいんすか? ドルチェ……ひとりで暮らさなくても、いいんすか?」



 ノエミさんは、その言葉に。

 布団から引っ張り出すようにドルチェさんを抱き寄せて、背を撫でた。


「もちろんよ。あなたはもうひとりじゃない。ひとりになんて、させないわ」



※※※



 ノエミさんの胸に顔を埋めて嗚咽し始めたドルチェさんと、そんな彼女をあやすノエミさん。そしてそれを見守るリックさんを見ながら、僕はちょっとだけ驚いていた。


 初対面の時は高飛車で高圧的で高慢ちきな『高』の字ばっかりの人らだなとか思っちゃったけど。

 根っこは素直だし、優しいし、こういう顔もできるんだな。


「ん、元々、悪い子たちじゃなかった」

「そっか」


 なぜか得意げなカレンに苦笑しながら、立ち上がる。


「よし。じゃあ帰りは予定変更して、ジ・リズに頼むことにしよう」


 ドルチェさんのお腹がまた減る前に。

 今度は野営のポトフじゃなくてもっと手の込んだものを——トモエさんのケーキなんかを、食べてもらいたいからね。

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