カレン=トトリア=クィーオーユ。

 齢、二十。性別、女。種族、エルフ。


 エルフ始祖六氏族がひとつクィーオーユ家、唯一の生き残り。

 ミドルネームの『トトリア』とはエルフ族の古語で『トリ後継者在る』を意味する。外にある——ハタノ家の一員である——氏族の後継者、ということだ。


 嬰児えいじの頃に実の両親と死別した彼女は、以降、カズテル=ハタノとヴィオレ=ミュカレの手で育てられ、ふたりが結婚するにあたり実質的な養女となる。幼少時よりその養母——『天鈴てんれいの魔女』たるヴィオレ=エラ=ミュカレ=ハタノに魔導の教えを受け、やがて自身も『魔女』の称号を得るほどの存在になるが、一方でその実力、底に関して知る者は少ない。


 たとえそれがごく親しい相手——恋人であっても。



※※※



「私がやる。……『終夜』と『天鈴』の義娘むすめを舐めるな、けだもの」


 キマイラと対峙したカレンはそう言い放ち、一歩を前に出る。

 荒れ狂う嵐とそれに付随する乱雑な魔力の中にあって、彼女の気配は、魔力は、魔導は、澄んでいて穏やかで、静かに凪いでいて、まるでそこだけ時が止まったようだった。


 雷とひょうの混じった暴風がカレンへ殺到する。

 同時に双頭は炎までもを吐いてきた。


「っ……」


 結界に意識を集中する。

 僕らはもちろん、先頭に立つカレンに、それらの攻撃が決して届かないように。キマイラの魔術が、爪が、牙が、カレンを傷付ける未来などないように。その可能性を因果ごと遠くへ消し飛ばすべく。


 カレンの魔力が静けさを増し、やがて唇から言葉が紡がれた。



波濤はとうを研げ。颶風のわきに抱け。そらへ座せ。夜と沈め」



 言語圧縮による高速詠唱ではない、十全の魔力を込めた完全詠唱。


 時間はかかるがその分、強い——カレンが僕の結界を信頼しているからこそ行う、入念に丁寧に紡ぐ、強力な魔術だ。


「意識。季節にあがなうその二律にりつ。無識。色彩に立ち止まるその四衢しく


 詠唱とともに、周囲に湿気が満ちていく。

 キマイラの放つ嵐でではない。もっとじんわりとした、温かな、それでいて冷たい、すべてを包み込んで甘やかすような、静かな湿度。


 湿度は飽和し、すぐに雨へと変わる。集落ごとを覆う天候変化。雲もない虚空から湧き、燦々と注ぎゆく魔導のシャワー。触れれば消えるほどに儚く、絹糸のように綺麗な細雨さいうだ。


「選んで、春。とこしえに若く揺籃ゆりかごは、微睡まどろめ、安らげ、眠れ、死ね」


 細雨は徐々に、密度を高めていく。

 結界を避けてはいるもののそれ以外の一帯にしとしとと降り、隙間なくひしめき、やがて——濃密な、一寸先も見えないほどの霧雨となる。


 そして、視界が白に染まると同時。

 視界だけではなく音も、消えた。


 あれほど煩かった風が。

 びりびりと鼓膜を震わせていた雷が。

 ばしばしと結界を打ち続けていた雹が。

 ごうごうと盛っていた炎が、


 今は、


「定めて、なぎ幽世かくりよはざまに羽根の音を、撫でよ、叩け、切り裂け、殺せ」


 無に溶けて——なぎを、



「——『白玉楼霧はくぎょくろうむ春凪はるなぎうつす』」



 ぐ。


 しぃん——と。

 一閃、霧が


 あれほど荒れ狂っていたキマイラの魔力が。

 嵐となり炎となり氷となり雷となった魔術が。

 僕の結界をも浸食しようとしていた禍々しい、乱雑めちゃくちゃ無秩序ぐちゃぐちゃな魔導が。

 圧縮した霧により圧壊されて静寂の虚空へと消し去られる。


 つまりは、魔術無効化マジックキャンセル

 キマイラは肉体以外の武器を奪われ、丸裸となった。


 ならばあとはこちらのターン。

 攻撃を担うのは、もちろん——、


「ショコラ」

「わん!」


 凪の中、カレンの号令とともに光が奔った。


 身構えていたショコラが地面を駆けながら加速、魔力を纏いながら突進。

 なにが起きているのかわからず棒立ちとなっているキマイラへと詰め寄ると、腹の下に潜り込み、一条の彗星となって貫通する。


「うおんっ!」


 腹部を穿うがっただけでは終わらない。

 上方へ飛び出てから鋭角の放物線を描いて下降し、キマイラの首へと。獅子のたてがみを噛み分け、山羊の首を切り裂き、双頭が立て続けにごろりと地面へ転がる。


「がうっ!!」


 そして最後は念入りに、蛇の頭をつけた尾を食いちぎり——完膚なきまでにその生命を終わらせた後、ショコラはしゅたっとカレンの元に戻ってくる。


「くぅーん……」

「よしよし。えらいえらい」


 はっはっはっはっと舌を出し尻尾をぶんぶん振りまくるショコラをわっしゃわしゃに撫で回した後、カレンは振り返り——呆然とする僕へと歩み寄って、ひょこっと頭を差し出した。


「ん」

「え?」

「ん!」

「あ、はい」


 ようやくその仕草が求めるものに気付いた僕は、カレンの頭をよしよしと、さっき彼女自身がショコラにしたみたいに撫でる。


 撫でながら、思い出した。

 以前、母さんに興味本位でいたことを。



※※※



 ——ねえ母さん。カレンって、どのくらい強いの?


 母さんは「そうねえ」と。

 リビングで洗濯物を畳みながら少し考え込み、どこか愉快げに言った。


「お母さんとあの子が本気で戦ったとしたら、十回のうち十回とも……あの子はお母さんに勝てないでしょうね」


 けれど母さんは、こう続けたのだ。

「でもね、スイくん」と。


「十回のうち七回……いえ、八回は、お母さんもあの子に勝てないわ」



※※※



 カレンは母さんに勝てないけど、母さんもカレンになかなか勝てない。

 当時はよくわからなかったあの評は、つまりか。


 魔力を消去し、魔導を壅蔽ようへいし、魔術を封印する。

 この世界の戦いにおいて、圧倒的優位アドを取れる能力だ。


「スイ、私えらい?」

「ああ、うん……えらいというか、すごい」

「ふふん」


 得意げにドヤ顔で僕を覗き込むその両目は、春の新緑からこぼれる日差しのようなみどり



 名を『春凪の魔眼』。

 僕が幼い頃、属性相剋そうこくを治した後に目覚めさせ、母さんが手塩にかけて育てたその魔導は——十三年の時を経ていま、変異種どころか『天鈴の魔女』をも封じ込め得る、無窮むきゅうの境地へと至っていた。





——————————————————

 ちなみにノアは初登場時にカレンのことを『トトリア嬢』と呼んでいましたが、これは『(クィーオーユ家の)跡取りさん』みたいなニュアンスです。始祖六氏族は他国から王侯貴族と同等の扱いを受けており、そのまま名前で呼んでは失礼、という配慮なのでした。

 ただノアくんも面倒なしがらみから解放されたことなので、この先じわじわ名前で呼ぶ機会も増えていくでしょう。

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