日本からやってきたもの
キッチンの戸棚にあった空き瓶を、ミントに渡した。
ミントは瓶を受け取り、庭の中央にしゃがむと、全身に巡らせた魔力を土へと流し込む。
僕らでさえ——世界最強の『魔女』である母さんでさえ目を
わずか数秒にも感じたし、たっぷり数分は続いたようにも思えた。
やがて莫大な魔力は
「すい、あつめた! むふー」
得意げに嬉しそうに、僕の腰に抱きついてきて頭をぐりぐりさせるミント。
その手に持った瓶には、半ばほどにまで。
薄緑色をした結晶のようなものが——溜まっていた。
※※※
コウジカビは、日本において当たり前のようにいる菌類である。故に古来より、醤油や味噌、日本酒など、発酵食品を作る際に利用されてきた。
それこそご飯とかパンとかを適当に放置しておくだけで発生するし、落ち葉なんかにもくっ付いている。そして——わずかながら土壌にも、含まれている。
僕が起こした境界融蝕現象により、この家とその周辺、つまり塀で囲まれた一帯は、まるごとこちらの世界に転移してきた。
だから後から開拓した場所は別として、庭の土壌を構成しているのは日本の土なのだ。そして日本の土であるからには、コウジカビもいるのが道理。
ならばミントの土属性魔術で抽出できても、決して不自然ではない。
「頭ではわかってるんだけどね……」
日が暮れて、夜。
僕はコウジカビの入った瓶をテーブルに置いて眺めながら、ソファーに腰を下ろしていた。
「わうっ」
「ショコラ。ミント、ちゃんと眠った?」
「わう!」
からからと掃き出し窓を開けてリビングに入ってくるショコラ。庭の解体場で蕾となって休眠するミントに、付き添ってくれていたのだ。
「お前、すっかり器用になったもんだな」
「わふう」
施錠されていなかったとはいえ、あの大きな掃き出し窓を鼻先でついっと引き、頭を割り込ませて開けてしまうとは。……まあ、閉めることまではできないんだけど。
ショコラの背中をわしゃわしゃと撫でつつ立っていって窓を閉めつつ、僕は再び大きく息を吐く。
「それにしても、すごいなあ。うちの子は」
醤油とみりんを見ただけで麹の存在を知覚し、おまけに土壌からそれを抽出する。……どうもこの量を見る限り、抽出した後で培養してもいると思う。
感心しながらコウジカビの入った瓶を揺らしていると、お風呂からあがってきたばかりのカレンが
「正直、私からすればスイの魔導もどっこいどっこい。闇属性は土属性以上に訳がわからない」
「そっかな……いやそうかも……」
確かにまあ、土壌の成分を集めるのと因果を操るの、どっちが意味不明かと言われると。……ミントも僕と同じように「なんとなく」の感覚でできるんだろうな。
「でも、さすがに疲れちゃったみたいね。あれだけの魔力を使えば当然だわ」
母さんがお盆に人数分のお茶を乗せてキッチンから戻ってくる。
「ショコラ、今夜はミントと一緒にいてあげてくれる?」
「わおんっ」
魔術を使ってコウジカビを集めてくれてすぐ、ミントはうつらうつらとし始めた。いつも日が落ちてすぐ眠る彼女だが、今日は特に早かったし、寝床まで行くことも忘れかけていた。なので慌てて連れていき、ちゃんとした眠りに入るのをショコラに見守ってもらったというわけだ。
「ん……少し心配。体調を崩すほど使いすぎてはいないと思うけど」
「そうだね。大事をとって、明日はお手伝いとかさせずにおこう」
まあ、魔力の巡りが淀んだりはしていなかったし、ひと晩ぐっすり眠れば回復するだろう。
「……スイくん、そのカビが『味噌』の元になるの?」
「ざっくり言うとそうなるかな。味噌っていうのは大豆の発酵食品だから。こっちの世界でも、カビを使って発酵させた食品はあるよね」
「ん、青チーズとかがそう。私、あれ好き」
「最終的には、ここから
種麹というと難しそうに見えるが、要は活性を残した状態で乾燥させたコウジカビの胞子を集めたものだ。普通はまずカビを培養するところから始めなければならないが、今回は既にその培養されたものが手元にある。土属性と水属性の魔術を組み合わせつつ、僕の闇属性で補助をすればいけるだろう。
「でもそれとは別に、このカビをそのまま麹にして味噌を試作しようと思う。母さん、手伝ってくれる?」
「ええ、もちろんよ。……なにをすればいいのかわからないけど、お母さんにできることなら」
「温度調節をしてもらいたいんだ。発酵が進むのに適した温度があるから」
母さんの火属性で熱移動を制限すれば、温度を一定に保つことができる。大豆を味噌にする際に最適な温度は、およそ三十度。秋にはなかなか難しいやつだ。
「ふふっ」
僕が説明すると、母さんがふと、嬉しそうな笑みをこぼした。
見ればカレンも——唇を三日月に、ショコラの顎を撫でている。
「……どうしたの?」
「嬉しいのよ。お母さんも、カレンも」
母さんとカレンは、そんなことを言った。
言って——その破顔を、ますます強める。
「味噌、っていうのがどんな味のものなのかはわからないけど、わからない分……未知のものを作る楽しさ。そしてそれを、家族みんなでやれること。それにスイくんが、私たちを頼ってくれること。全部、嬉しいし、楽しみだわ」
「ん。しかも、おじさまの故郷の味。スイが慣れ親しんだ味。口に合うかわからないってスイは言ってたけど、きっとだいじょぶ」
「そっか。……そうだといいな」
僕がこっちの世界で初めて、唐揚げをふたりに食べてもらってから、もうそろそろ半年になる。
あの日、僕は言った。
——本当はね、味噌汁もあると完璧だったんだ。
あの時にもらってきた『大豆っぽい豆』はまさかの大豆そのもので。
だけど味噌作りを試す過程ですべて失敗して、仕入れた分はなくなってしまった。
改めて考えてみれば——あれ以来、今までずっと無意識に、大豆を料理に使うことを避けていたようにも思う。
ミントがこの家に生まれ、あの子のためにタンパク質を手軽に摂取できる手段を考え、大豆に行き当たった。すると他ならないミントのおかげで麹を手に入れることができた。
そして今。あの日の失敗と挫折に、もう一度。
母さんやカレンの手も借りて、僕は挑めるんだ。
唐揚げと、白いご飯と、お味噌汁。
足元にショコラのぬくもりを感じながら、父さんと向かい合って食べたあの味を、今度こそ復活させてやろうじゃないか。
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