すずやかな昼下がりのこと
それは、ミントの食事事情だ。
ミントは日中、僕らと一緒の際は、野菜や果物、スープなど、柔らかいものを中心に食べている。肉や魚はほとんど食べない。
……というよりも『夜に食べている』。
つまり——陽が沈み、庭の解体場で
これは植物の魔物であるミントにとって自然な食事方法であるが、一方でこの先、不安要素が生じるものでもあった。冬の到来により、獲物がいなくなるかもしれないからだ。
もちろん狩りには行くつもりだし、いざとなれば貯蔵している肉を地面に埋めてやればいい話だが、それでもできるだけ懸念は取り除いておきたかった。ミントが無理なくタンパク質を摂取できる方法があれば、それに越したことはないんだよね。
では、どうするか。
実は、解決策はけっこう簡単に思いついた。というより、別口で作ろうとしていた食品が、たまさかミントの事情とシンクロしてくれた。一挙両得というやつだ。
必要な材料はシデラの街と、
なので今日はそれを作ってみることにする。
こっちの世界に来てから食べていなかったもの。
日本が発祥——ではないものの、日本が誇る栄養食品。タンパク質や抗酸化物質を多く含み、柔らかく消化にもいい。様々な調理法があり、普段の食事にも活用できる一品。
豆腐である。
※※※
豆腐作りに必要な材料はシンプルにふたつ。大豆とにがりだ。
大豆はシデラの街に売られている。昔から栽培していたそうで、そのままスープに入れたり肉料理の付け合わせにしたり、ペーストにしたりするそうだ。
にがりに関しては
「だったらください」と言った時のラミアさんたちの顔が忘れられない。いや使い道はちゃんとあるんだ。ゴミをありがたがる異常者じゃないから。本当だよ……。
「じゃあ、昨晩から水に浸けておいたこの大豆をよく潰します。浸けてる水も捨てないで、一緒にぐちゃぐちゃにしてね」
「ん。がんばる」
「ええ、がんばっちゃうわ」
「うー!」
「わうっ!」
なにぶんたいへんな作業なのと、料理をいろいろ試したいからできるだけ大量に欲しいってことで、カレンも母さんもミントもお手伝いである。ショコラは元気よく返事したあと、僕らの足元でうろうろしていた。
「……まあ、お前も豆腐は食べられるもんな。楽しみにしときなさい」
「わんわん、わうっ!」
ミキサーがないので手作業だが、すり鉢とすりこぎ、ポテトマッシャーなどをフル活用してがしがしやっていく。身体強化の魔術はこういう時に強い。
しばらくの後、どろどろというかなめらかというか、粒がなくなりクリームみたいになったそれを、水を沸かした鍋に入れて火にかける。焦げつかないようにかき混ぜながら、沸騰しないように注意しながら、じっくりと。
アクみたいな泡がガンガン出てくるのでそれはおたまで取り除く。しばらく煮ていると、たちのぼる匂いが大豆のものから豆腐の香りになってくる。それが頃あいだ。
「そういえば、豆腐って硬水だと固まりすぎちゃうらしいんだよね」
「硬水……スイが前に行ってた、水に金属が含まれてるって、あれ?」
「うん。王国で大豆が普及してるのに豆腐がないのは、そういうことなんだろうな」
この大陸で飲用されている水は硬水である。対してうちの水道から出てくるものは——因果を歪めて日本のものを引っ張ってきているので——軟水。
硬水で豆腐を作ると、水に含まれるカルシウムが大豆のタンパク質と結合してしまうのだそうだ。これは硬水の方が肉のダシを取りやすいのと同じ理屈なんだろう。
「よし。じゃあこれを布で
漉した先の液体が豆乳。
そして漉した布に残ったかすが卯の花——いわゆる『おから』である。
「おからも美味しいから、今晩はこれも使おうか」
オーソドックスに炒り煮かな。僕にとっては懐かしい味。みんなの口に合うといいけど。
「この豆乳も飲み物になるよ。少しとっておいて、ドリンクにする」
さすがにそのままではクセが強いので、初めて試すにはハードルが高い。そうだな——
一部を別の鍋に移し替え、ペットボトルに入れて冷蔵庫へ。
で、残りは再び温める。といっても七十度から八十度くらいまで。わずかに湯気が立ち始めたくらいで火を止めて、ここでにがりを投入だ。
「その水で、この白いのが固まるの?」
「うん、そのはず。僕に変な見落としがなければ、だけど」
にがりの主成分は塩化マグネシウムだ。
海水に含まれる塩——つまり結晶化した塩化ナトリウムを取り除いた後、残った水にはまだ塩化マグネシウムが溶けている。この塩化マグネシウムが大豆のタンパク質と結合し、凝固するのだ。
この理屈は地球でも異世界でも変わらないはず。こっちの世界の海水には塩化ナトリウムが溶けていないなんてこと、さすがにないと思いたい。
にがりをヘラに伝わらせながら回し入れ、軽く掻き混ぜる。時計回りに二回、反時計回りに一回。混ぜすぎてはいけない。
そのまま数分ほど見守っていると、固形物が上澄みと分かれ始めた。
つまり、
「成功だ」
この固形物が——豆腐である。
あとはもう少し待ってからおたまですくい、布を敷いたざるに入れていく。
「このざる、この前シデラへ行った時に買ってたやつ?」
「うん。実はあの時から、豆腐を作るつもりだったんだよね」
竹で編まれた深めのざるは、日本でも売られてそうな品だ。僕はテンションが上がってけっこう大量に——十個ばかり購入し、カレンに呆れられていた。
「豆腐以外にもいろいろ使えるし、便利だよこれ」
「でもやっぱり十個も要らなかった気はする……」
「まあ、いいんじゃない? 役に立ってるみたいだし」
難しい顔をするカレンと、それをたしなめる母さん。
「ヴィオレさま、甘い。いくらお金がたくさんあっても無駄遣いはよくない」
「あら、しっかりしてる。お財布をカレンが握っておけば今後も安心ね」
「母さんはどっちの味方なの?」
母さんは、うふふふ、と穏やかに微笑むばかりである。
深めのざるに豆腐を詰め、その上から重しを置く。あとは水を切ればできあがり。ひと晩くらい置けば締まって固まり、食いごたえのあるやつになる。ただ半分は夕方まででざるから出して今夜のおかずにする予定。もう半分は明日のお楽しみだ。
「すい、まだなべのなか、すこしのこってるよ?」
「うん。このまま食べてもいいんだ。寄せ豆腐っていってね。出来栄えを見たいから誰かに味見してもらいたいな……どうしようかなあ」
「……! みんと、あじみしてあげてもいいよ?」
「えっ、味見してくれるの?」
「うーっ! でも、みんとだけじゃなくて、みんなでする!」
「そっか。ありがとう。ミントはえらいなあ」
待ちきれないとばかりに身体をゆらゆらさせるミントの頭を撫でて、寄せ豆腐をお皿に移す。全員に取り分けたら、スプーンで三口ずつくらいか。
塩胡椒を振りつつ、お好みで醤油も。ショコラにはそのまま。
リビングへ移動してからみんなでお皿を手にして、一斉に口に入れた。
広がっていく濃厚な風味。塩によってひきたつ、深い旨味とコク。
「よかった、上手くできてる。ああ、懐かしいや」
いやこれ、日本のスーパーで売ってるやつより美味しい。
できたてだからか、大豆の品種によるものなのか、それとも天然のにがりを使っているからか。豆腐の風味が強く、大豆の甘みさえある。にがりによるかすかな苦味もアクセントになってくれている。
「不思議な味。優しくて落ち着く」
「ええ。明確な味が付いてるわけじゃないのに、満足感があるわ」
「うー! みんと、これすき! なんかおいしい!」
「はぐっ。わおんっ!」
「よかった。気に入ってくれたんなら嬉しいよ」
ショコラも満足そうだ。向こうではたまに食べさせてたから、こいつにとっても懐かしい味なのかもしれない。
「ん。ノアップ殿下のために作ったあれと似てる」
「胡麻豆腐も製法は違うけど、風味と食感を楽しむって点じゃ同じようなものかな。あれを『豆腐』っていうのは、この料理に似てるからなんだ」
「じゃあこれも、いろんなお料理に使えるのね?」
「夕食はちょっと工夫してみるつもりだから、楽しみにしててよ。もちろん、ミントが食べられるようなやつも作るからね」
「うー! たのしみっ」
突進するように抱きついてきて、頭をぐりぐりさせるミント。
その背中を撫でながら、リビングに差し込んでくる西日に目を細める。
——大豆、山ほど注文しとこうかな。
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