目にはさやかに、風の音に

しばらくはのんびりと

 それから、夜中まで騒いだ。


 途中からはベルデさんたちのことを知らされたシュナイさんとトモエさんも合流してきて、結局はみんなでの宴会となり——宿に帰ったのはもう夜明け頃で、僕らはろくに眠れないまま、迎えに来てくれたジ・リズの背中に乗る。


 母さんのお小言に出迎えられて、疲れ果てたまま一日を過ごし、そうして我が家のベッドでぐっすり眠ってようやくリフレッシュ。

 森での生活に、戻ったのだった。



※※※



 シデラの街では人の生活を目の当たりにするし、僕ら自身も具体的な用事を抱えているから、流れる時間が早い気がする。というより、森の中——家での暮らしが、ゆったりしているというべきか。


「といっても、あんまりのんびりもしてられないんだけどね」

「わふっ」


 僕はショコラと縁側でだらだらしていた。

 昼下がり、畑仕事の休憩中である。


「ぼやぼやしてるとあっという間に冬が来ちゃうみたいだし」

「くぅーん」


 冬籠りの準備は、今のところ順調だ。

 厩舎の横にできた氷室ひむろには着々と冷凍肉が積まれている。もうそろそろ、ひと冬を過ごすのに充分な量が確保できそう。


 畑には白菜とか大根とかほうれん草とか、冬野菜を植え始めている。肉だけじゃなくて野菜もちゃんと摂らなきゃね。そういえば日本にいた頃、畑の白菜にむしゃぶりつく犬の動画を見たことがあったけどうちのショコラは大丈夫だろうな……。


「わう?」

「なんでもないよ」


 当のショコラは、縁側に腰掛けた僕の横でうろうろしている。立てかけた鍬についた土のにおいをくんくん嗅いだり、落ち着きなく歩き回ったりしていた。


 カレンと母さんとミントは、森へキノコ狩りへ出ている。

 なので家には僕とポチしかおらず、ショコラも暇そうなのだ。


 そういえばエジェティアの双子からの依頼も、正式に時期が決まった。

 ひと月後だ。


 森の中層部にあるアテナク氏族の集落、その調査——メンバーはリックさんとノエミさんに加えてベルデさんとシュナイさん、それから僕とカレンとショコラ。中層部のやや深めな場所にあるらしく、少数精鋭で向かうことになっている。


「シデラから出発して、三日かけて集落まで行って、戻って……だいたい一週間から十日くらいか。母さんたちにはやっぱり、竜族ドラゴンの里に行っててもらおうかな」

「わうっ」


 ミントとポチの世話よりもむしろ、母さんのご飯が問題だ。

 母さん、料理ほとんどできないから……。


妖精境域ティル・ナ・ノーグ』に厄介になるという手も実はあるのだが、パンと果物とお酒だけで十日を過ごすのはさすがに不健康すぎる。竜族ドラゴンの里で肉とか魚とか野菜を食べさせてもらおう。


「わふしゅんっ! ふすっ」


 などと考えていると、テラスのあちこちを嗅ぎ回っていたショコラがくしゃみをした。変なものを吸い込んだらしい。


「……、お前、暇なのか?」

「わう……」


 キノコ狩りの方についていけばよかったのに……僕をひとりにすると寂しがると思ってくれたのかな。


「少し遊ぶか」

「きゅう? ……わんっ!」


 立ち上がって倉庫へ向かい、ボールを取ってくる。

 夏に砂浜で遊んだ時に使ったやつだ。


「わうわうわうわう!」

「現金なやつ」


 ボールを見るや急にテンションをあげてはしゃぎ、僕の周囲をくるくるするショコラをあしらいながら牧場へ行く。のんびりしていたポチがちらりとこっちを見て「きゅるっ」と鳴き、また牧草に視線を戻した。こっちはマイペースである。


「よし、じゃあ少しずついくぞ」

「わおんっ!」


 少し離れてお互いに向き合い、まずは軽くボールを放る。


「わふっ!」

「いいぞ。そら」

 

 それをショコラが鼻先で軽くレシーブし、僕へ跳ね返してくる。

 なので僕は再びそれを、今度は足で蹴ってショコラの方へ。


「わふっ」

「ほい」

「わふっ」

「それ」

「わふっ!」


 やることはシンプル、パスの応酬だ。

 もちろん身体強化がかかった状態で、ただし僕らはボールの扱いに習熟しているわけではない。


 故に、


「少し高く行くぞ。そらっ」

「……わふっ!」

「うお、ずれたな……ほい!」

「……わおんっ!」


 パスを繰り返すごとにボールは高く打ち上がり、しかもコントロールが雑なせいで落下地点もずれていく。身体強化をかけてそこまで走り、追いついてはレシーブし、また更に高く、変なところへ。


 僕は手や足、頭をフルに使って頑張っているが、ショコラは悠々と鼻先ひとつだ。……むしろ主人より飼い犬の方が上手くない? これ。


 たぶん、日本のものより球体の精度が低いことも相まっているのだろう。やがてパスリレーは牧場をフルに使ってのけっこう激しめな運動へ変わっていき、それに伴いボールの対空時間もどんどん長く——つまり、放物線の高度がどんどん上がっていく。


「牧場の外に出ちゃう前に一回やめるよ、ショコラ!」

「きゅーん……」


 ボールが点となった空を見上げながら声をかけた、その時だった。


「あ」

「……わおん! わううっ!」


 その点に、横から、ひゅう、と。

 流れるような軌道で接近してくる大きな影があった。


 それは空を横切り、後ろ脚でボールを掴み、さらって——そのままどこか彼方へと飛んでいく。


「うわ、やられた! ワイバーンだ!」

「わん! わんわんっ」


 宙を舞うボールが獲物に見えたのかもしれない。というか思ってもみなかった事態だ。完全に油断していた。さすがにあんな高くに打ち上がったボールにまでは僕の結界も作用しない。


「どうする……追いかけるか?」

「ぐるる……くぅーん」

「だよな、難しいか」


 唸っていたショコラもしかし、空の彼方を見て項垂うなだれ、鼻を鳴らす。

 ワイバーンの姿はもはや影も形もない。地上からでは木々も邪魔して飛んでいった先がわからず、巣がどこにあるのかも定かではない。


「仕方ない、諦めよう。みんなに謝らなきゃなあ」


 夏に砂浜で使ったきりとはいえ、遊び道具をひとつ失くしてしまった。買ってきてくれた母さんに申し訳ないし、ミントもがっかりするだろう。妖精さんたちにも使ってほしかった。


「きゅー……」

「お前のせいじゃないよ」


 またシデラで仕入れるしかないか。


 牧草に腰を下ろすと、ショコラが近寄ってきて申し訳なさそうに僕の指を舐めてくる。わしゃわしゃと撫でながら、僕は苦笑した。


「そういえばワイバーンを見たの、久しぶりだな。転移した初日以来か?」

「わう」

「あの時と違って、今回は僕らの負けだ」

「わふっ」


 ワイバーンくらい大きな図体の魔物となると、森の中でもそうそう出くわすものではない。縄張りが広くて個体数も少ないからだ。


「でも今頃、悔しがってるかもな。ボールは食べられるわけじゃないし」

「わう」

「ワイバーンの肉、人の舌には合わないらしい。っていったギリくまにとってはご馳走だったのかもだけど」

「わんっ!」

「お前は試食してみたかったか。まあ、そのうちいつかまた遭遇するだろ」


 仰向けとなって四肢を地面に投げだすと、ショコラがお腹の上に乗ってきた。

 その喉をうりうりとしながら、薄く棚引く巻雲すじぐもを眺める。


 森を切り拓いて、ジ・リズの背に乗って翔けてはいても、やっぱり僕らはちっぽけな存在で。こうしてやり込められちゃうこともあるんだな。


 ——そんなふうに改めて思う、秋晴れの空だった。

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