躊躇しているみたいです

 トモエさんには申し訳ないけど、すべてを話した。


 彼女が、シュナイさんとの関係を曖昧な状態だと思っていること。

 それに悩んでいること。

 ひいては、シュナイさんの気持ちがわからず不安になっていること——。


 ちなみに一応、当人の許可は得ている。

 シュナイさん如何いかんによっては自分の考えを聞かせてもいい、と、彼女自身が言ったのだ。


 もちろん、そこには触れずに解決できるのが一番よかったんだけど。ごめんトモエさん。僕には難しかったし、シュナイさんがこっちの予想以上に唐変木だったよ……。


 で、現在。

 トモエさんサイドの心情を知った男ふたりは、酒杯を傾けるのをやめて神妙な顔になっていた。


「そりゃあシュナイ、お前が悪い」

「ああ……こいつは、俺が悪い」


 少し予想外だったのは——ベルデさんがシュナイさんを叱るのみならず、シュナイさん自身もどんよりと落ち込んじゃったことだ。


「わふ? くぅーん……」

「ああ、大丈夫だよ。お前は遠慮せず食べてていいからな」

「わん! ……はぐっ」


 僕らの空気が重いことを気にして、肉のおかわりを前にこっちを伺うショコラ。

 こいつの、機敏な時と空気読まない時の差よ。


 そんなショコラを少し微笑ましげに見て、シュナイさんは語った。


「……俺ぁよ、自分で言うのもなんだが、堅い。堅いし、奥手だ。だからまあ、好いた相手としか寝ねえし、寝たくもねえ。でも……俺はそれが、当たり前だと思っちまったんだ。寝台ベッドを共にしてんだからもうそういうことだろう、ってな。ふたりとも互いの気持ちはわかってるって考えちまってた」

「それだと、トモエさんが軽いように聞こえちゃいますよ。違うでしょ、シュナイさん」

「ああ、そうだなスイ。ぐうの音も出ねえ、お前の言う通りだ」


 私的に返ってきたのは苦笑と、告解。


「俺が胡座あぐらをかいてた、これはつまるところそういう話だ。伝わってるはずだって決めつけて、安心しきって、あいつの気持ちや不安を考えてやれなかった。あいつは……トモエは、なにもかもを察して男の後ろを一歩引いて歩くような、都合のいい女じゃねえんだ。本音でぶつかって探らねえと腹どころかへそも見せちゃくれねえ、そういう厄介な女なんだからよ」


『厄介な女』——ともすれば悪口にも聞こえるシュナイさんの言葉には、紛れもなく想いが込められていた。大切なものを包むような、眩しいものを見るような、そんな。


 だから僕は安堵の溜息とともに言う。

 半分冗談、半分本気で。


「最初は、探るための質問でしたけど……いっそ本当に、結婚を申し込んだらどうですか? シュナイさんだって本気で好きで付き合ってるんでしょ? だったら着地点というか、責任の取り方としては順当なところだと思うんですが」


 よしそうだな。じゃあ腹ぁ括るか! ——みたいな。


 正直、そういう歯切れのいい返事を期待していた。シュナイさんがここまで唐変ぼ……もとい、律儀で一途な人なら、ここで決断してもおかしくないだろうと。


 だけど、


「結婚、か……」


 シュナイさんは眉をしかめて腕を組むと、沈鬱な表情で気配をよどませる。


 嫌がってるってふうじゃない。

 これはむしろ……躊躇ためらっている? どうして?


「お前、なにを気にしてやがる。……もしかして、ケットのことか?」


 僕が困惑していると、ベルデさんが顔を苦くして尋いた。

 ケット、というのは人名だろう。


 だったらこれは、


「ひょっとして、トモエさんのお父さんのことですか?」

「……そうだな」


 シュナイさんはいつものしかめっ面をよりいっそう渋くし、ジョッキの中に入っていた酒をぐいと呷ると、深く息を吐く。


「スイも、ある程度は知ってるみたいだな。あいつの親父さん……ケットさんは、俺が駆け出しの頃、面倒を見てくれてた人でよ。優秀な斥候スカウトだったよ。俺ぁケットさんおやっさんに、冒険者として生きていくための基礎を叩き込んでもらった。ちょうど、今の俺たちと双子の関係に似てるかもしれねえな」


「怪我で引退したって聞いてます」


「ああ。腕は確かだったが、運が悪かった。ただよ……なまじ腕が確かだったばかりに、あの人は、気持ちを切り替えられなかった」


 トモエさんの家はむかし、経済的に困窮こんきゅうしていたという。

 その原因は、お父さんだ。


 冒険者だった父親——シュナイさんの『おやっさん』でもあるケットさんは、怪我で引退するにあたり別の働き口を探したようだ。だけど、冒険者ひと筋でやってきた人が急に職を変えて、それですぐに家族を食わせてやれるようになれるかというと、やっぱり難しい。


 怪我の後遺症もあっただろうし、適材となる適所も見付からなかったのだろう。ともあれ、子だくさんだったのも手伝って余裕はなくなっていき、ケットさんもだんだん、お酒の量が増えていった。


 シュナイさんのこの表情、口調からすると、おそらくもう……。


「最期は、あっけないもんだった。身体を壊してぽっくりだ。……元々すぐに酔い潰れちまうような人だったから、酒が祟るのも早かった。ただ問題は、遺された方だよ。借金こそこしらえちゃいなかったが、少ない稼ぎで酒を浴びてちゃ金が貯まるはずもねえ。おっかさんに魔導の腕がなかったこともあって、爪に火をともすような暮らしだ」


「もしかして、シュナイさん……」

「ああ。俺は、怖えのさ」


 そう言って。

 彼は掌を開き、じっと眺める。


「おやっさんはな、冒険者だった頃はそりゃあ立派なお人だったぜ。俺は尊敬してたし、憧れてた。今でもそれは変わらねえ。けどよ、父親としてはどうだ? 一家を支える男としてはどうだ? 酒で荒れて、家族にあんな苦労をさせて……トモエも、トモエのきょうだい連中も、あんなに苦労したんだ」


 その掌でなにが掴めるのかと、迷うように。

 その掌でなにかを掴んでいいのかと、なやむように。


「だから、考えちまう。トモエには、違う道があるんじゃねえかってな。俺みたいな野郎より、もっとまっとうな……真面目で堅実なやつと所帯を持った方がいいんじゃねえか? 冒険者なんてやくざな稼業の男よりも、トモエを幸せにできる奴は他にもたくさんいるんじゃねえか? あいつはもてるから、余計にな……考えちまうんだ」


 僕は——気休めも、おためごかしも言えない。


 シュナイさんの煮えきれなさはきっと、長年をトモエさんと一緒に過ごしてきたからこそのものだ。彼女に対する曖昧な距離感は、想いの強さによるものだ。


 外野からはなんとでも言える。


 だったら最初から付き合わなければいいのに。そう思うならさっさと手を引けばいいのに。諦めきれないなら腹を括ればいいのに。いっそ冒険者を辞めてしまえばいいのに。こういうことこそ本人と相談すればいいのに……などなど。

 きっと、話を聞いた人の数だけ意見が出るのだろう。


 でもシュナイさんはもう、そのすべてについて考えている。

 考えて、悩んで、迷って、苦しんだ。

 その上でいま、立ち止まっているんだ。


 トモエさんのことが好きだという気持ち。手放したくないという想い。叶うなら一緒に幸せになりたいに決まってる。冒険者を辞めることも視野に入れただろう。けど、シュナイさんは大陸でも最高峰の一級冒険者で、ベルデさんが信頼する無二の相棒だ。辞めたところでどうする? 稼ぎが悪くなるだけじゃなくて、もし未練に苦しんだりしたら、それこそケットさんの二の舞じゃないか?


 ——しばし、沈黙があった。


 酒場の喧騒は黙っていると余計に騒々しく、周囲のどうでもいい会話が耳に入ってくる。ただそれらは僕らの間に流れる気まずさを助長するばかりだ。


 やがて——喧騒すら耳に遠くなっていき、重い気配を察したショコラが顔をあげ、膝に前脚を乗せてきて。


「くぅーん?」

「ごめん、心配させたか?」


 その頭を、背中を撫でる。

 撫でた先、くるりとした尻尾が目に入る。


 その綺麗に丸まった尻尾は、灰銀色をした背中の毛並みが隠れ、真っ白なふわふわの——まるで砂糖を振りかけたみたいな……、


「砂糖、か」


 不意に頭の中に、が浮かんだ瞬間。

 僕は、僕にできること——僕にしかできないことを、思い付いた。


 感謝を込めながらショコラの背中をわしゃわしゃし、顔をあげる。

 難しい顔をしているベルデさんに軽く頷き、ジョッキの縁を指で叩いているシュナイさんへ向き直る。


 向き直って、言った。


「シュナイさん。僕にとってあなたもトモエさんも、大切な友達で、尊敬すべき人だ。笑っていてほしいと思うし、幸せになってもらいたいと思う」


 もちろん劇的な解決策ってわけじゃない。

 思い付いたを作ることでふたりの仲が進展するかどうかなんて、わからない。


 ただ、糸口にはなる気がするんだ。


 堅実で、優秀な冒険者で、不器用で、甘いものが好きなシュナイさん。

 外面がよくお金にがめつくて、そのくせ家族想いで優しいトモエさん。


 ふたりをより強く、より確かに繋ぐ、糸になるかもしれないんだ——。


 だから僕は、提案した。



「……ふたりに、お節介ケーキを焼かせてください」

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