インタールード - 虚の森:表層部

「……止まれ」


 鬱蒼うっそうとした茂みを掻き分けて進む中、不意に後ろから声がかかる。

孕紮おうさつの魔女』——リック=エジェティアとノエミ=エジェティアのきょうだいは、怪訝な顔をして従った。


「そこの葉、泥がついてるのがわかるか?」


 問われて目を凝らす。自分たちの膝ほどの高さまで育った草の葉。注意深く観察してようやく、リックたちにもわかった。

 

「えっと……これか?」

「そうだ。その高さと歩幅を考えると、走禽そうきんたぐい……おそらくは蹴鷲けりわしだろう」


 蹴鷲けりわしとは、長い首と太い脚を備えた鳥の魔物だ。頭部が鷲に似るからその名が付いているが実際はまったくの別種で、亜竜に近い。羽が退化しており飛べない代わりに発達した脚で地面を駆け、鋭い嘴で攻撃してくる。


 討伐等級は四。エルフ国アルフヘイムで読んだ図鑑ではそれなりの腕を持つ者でなければ討伐が難しい、危険な魔物と書かれていた。


 だが、シデラにおいてはいささか話が違ってくる。


。あいつらは群れることがないからな。だが、油断しちゃいけねえ」


 双子の教導役であるその斥候スカウト——シュナイは、世を斜めに見たような視線に、けれど真摯な色をたたえてリックたちに解説する。


「自分が狙われてると察知した蹴鷲けりわしは、跳躍して樹上に身を隠し、空中から襲ってくることがある。葉っぱの泥が急に消えてたらそれだ。今はどうだ?」


「……この先に続いてる、と思う」


 腰を屈めたノエミが茂みを調べながら答える。


「ああ、そうだな。だが、それで安心なわけでもねえ。この辺り一帯は、大獅子ネメアが生息してる。そしてあいつらは、蹴鷲けりわしの肉が大好物だ」


「じゃあ、この先に大獅子ネメアが……?」

「違うな」


 リックの推測にシュナイは首を振り、葉を指差す。


「歩幅の感覚を見ろ、かなり広い。しかも泥の跳ね具合もだいぶ激しい。つまり、大急ぎで走ってたってことだ。でもって…… 蹴鷲けりわしは追われてあっちに逃げてて、


 瞬間。

 ぐがあああああああああああ! と、獣の雄叫びが大気を震わせた。


「……っ!」

「リック、魔力を!」


 こっちの頭をひと口で食いちぎって来そうな獅子が、茂みの中から飛びかかってくる。それは刹那。リックとノエミが慌てて魔導を練るが、遅い。


 鋭い爪と牙がふたりを引き裂こうとする寸前、


「っらぁ!」


 それまで無言で悠然と佇んでいたベルデが、大獅子ネメアの飛びかかりに合わせ、大斧を逆袈裟にかち上げる。同時にシュナイはいつの間にかつがえていた弓を、即座に一射。矢は過たず相手の腹部に突き立つ。


 爪も牙も大斧に阻まれ、やじりに込められた火属性の魔術により内腑ないふは煮え立ち、獅子が苦悶の声とともにもんどりうった。


「ぼさっとするな!」


 ベルデの一喝はリックとノエミに向けられていた。


「お前らが止めを刺せ!」

「は、……はいっ」


 双子は並び、魔導を練る。兄の左目と妹の右目、ふたりでひと組の『孕紮おうさつの魔眼』が深い紺色に輝いた。


 現出するのは、糸。

 水属性を基礎ベースに、わずかな土属性を混ぜて創造した粘着質のそれは、蜘蛛糸よりも強く鋼線よりも鋭い。


 糸は見る間に編まれ網を成すと、大獅子ネメアの頭部をすっぽりと包んだ。


「『たていとふくらみ』……」

「……『よこいとからげる』っ!」


 魔術の銘をふたりが叫ぶと同時。

 その糸は風属性を纏って鋭い刃となり、大獅子ネメアの頭部を賽子さいころ状に斬り刻む——。


 どしゃん。

 頭部を失った獅子の巨体は、そのたてがみを羽毛のように散らしながら、四人の眼前にたおれた。


 ふう、と。

 リックとノエミが吐きかけた安堵はしかし、険しい声に阻まれる。


「残心しろ! 一番危ないのは、獲物を仕留めたその瞬間だ」

「……っ!」


 大斧を構えたままのベルデと、神経質そうに周囲を見回すシュナイ。

 ふたりは辺りに気配がないのを確認すると、リックたちに告げた。


「さっさとこの場から離れるぞ。油断するな」

「こいつの雄は単独で狩りをするが、辺りに家族がいるかもしれん」



※※※



 そして、日が暮れて——夜。

 開けた草原の隅に野営地を定めた四人はそこに天幕を設置し、焚き火を囲んで食事を摂っていた。


 鍋に煮えるシチューを受け取りながら、ベルデとシュナイの評価を聞く。

 つまりは反省会である。


「すげえ魔導だ。さすが『魔女』だけある」

「ああ、一撃でやったのはさすがってなもんだよ。だが、もし余裕があるなら頭を無傷なまま仕留めた方が望ましかったな。大獅子ネメアの鬣は高く売れる」

「シュナイ、そこまで求めるのは酷だろうよ。それにこいつらの目的は素材を仕入れることじゃねえ。森で生き延びる方法を学ぶことだろう」

「……まあ、そりゃあそうか」


「いや、ありがたい指摘だ」

「ええ、そういうのは、もっと言って欲しいわ」


 リックは静かに首を振った。隣のノエミも兄に追従する。


「この数日で痛感した。僕らは弱い」

「そしてあなたたちは……強い」


 言葉は沈痛だったが、声には力があった。


「クィーオーユの子が……カレンが、僕らを叱った理由がよくわかった」

「あなたたちを嘲った私たちに、あの闇属性の子がひどく怒った理由も、ね」


 エルフの双子は微笑んでいた。

 抱くのは、ふたりの一級冒険者に対する賞賛だ。


「シュナイさん。あなたは森にある痕跡をなにひとつとして見逃さない。どんな些細な、さりげないものも目敏く発見し、その上で万事を想定する。その注意力と、森に対する深い知識には感嘆する他ない」

「ベルデさんは、そんなシュナイさんのすべてを信じてるわ。その上で有事には、言葉も交わさずに呼応する。きっとあなたが後ろに控えているから、シュナイさんは安心して斥候に集中できるのでしょうね」


「おい、こいつは……」

「ああ、さすがになんつーか、面映おもはゆいな」


 むくつけきふたりの男は顔を見合わせ、居心地が悪そうに頭を掻く。


 リックはシチューの入った椀を両手で包み、その熱で指先を暖めながら、視線を上へ向けた。


「あなたたちも知っている通り、僕らの祖国……エルフ国アルフヘイムは、


 大陸の一部と認識されてはいるが、エルフの国は特異だ。

 リックの言うように——のである。


 ゆっくりと、大陸の上空を回遊する小島がある。

 小島の上に建つ天空の城がある。

 太古の大魔術により今なお浮遊し続ける、世界最古の国家がある。

 それが、エルフ国アルフヘイムだ。


 だが、かの国の立地的特異性は閉塞を生み、エルフという種族の価値観を歪めた。

 空から地上を見下ろす暮らしを続けたことで、彼らは——カレンいわく『種族全体が引きこもり体質』となった。

 

「エルフの悪いところは、島に引きこもって地上を俯瞰するばかりで、世界をすべてわかった気になってることよ。まさに私たちが、あなたたちにそう接したように。……バカよね。空高くから見下ろしてても、茂みの葉っぱに泥がついていることなんてわかりっこないのに」


 もちろん、国交がないわけではない。


 彼らは大陸を回遊するがてら、定期的に地上の国家と貿易をする。国際法も遵守している。職業組合ギルドの支部もあり、たまにリックたちのような『魔女』が空にいながらに認定されもする。だから決して、孤立はしていない。


 ただ、大陸にあるすべての国と交流がある一方で、ことさらに親しい国もなし。地上の喧騒をぼんやりと眺めながら、空に引きこもっている世間知らず——エルフとは基本的に、そんな種族なのだ。


「アテナクの集落の調査が終わったら、しばらくここに滞在しようと思う」

「ええ。冒険者として、森で活計たつきを立ててみようと思うの」


 だが『そんなエルフ』の典型であるエジェティアの双子に、変化が訪れていた。


 地上に降り、同胞であるはずのカレンから叱責されて。

 彼女の連れの少年に、自分たちなどよりも遥かに深く強大な魔力をぶつけられて。

 そしてベルデとシュナイ——彼らの高い実力を、目の当たりにして。


「あんたたちの強さを、学びたい。世界の広さと恐ろしさを知りたい」

「……それがきっと、私たちをより、はぐくんでくれると思うから」


 双子の態度と言葉にはもう、初対面の頃にあった尊大さは微塵もない。

 それどころか幼い子供のように、まだ見ぬ明日に目を輝かせている。


「そうか」

 だからベルデは鷹揚おうように頷いて、笑う。


「だったら、まずは冷めないうちに食え。そのシチューは美味えぞ。なんたって、隠し味が効いてるからな」


 コンソメをベースにミルクで煮込んだシチューは、エルフたちの知らない深い味がした。





——————————————————

 ベルデさんとシュナイさんはめちゃくちゃ優秀で、調査隊を率いた時のメンバー死亡率0%は伊達ではありません。冒険者としては国内トップクラスです。

 以前二角獣バイコーンの群れに囲まれたのは、救援のために無茶をしなければならなかったのと、変異種のせいです。変異種は生態や習性がめちゃくちゃになっており、シュナイさんの知識が通用しません。こわい。

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