見知らぬ人が店にいて
市場をあちこち見て歩いているうち、ミントが眠そうにし始めた。
肩車からおんぶに切り替えると、ほどなく口数がどんどん減っていき——すぐにすうすうと寝息をたてる。
「あらまあ、人混みで気疲れしてしまったのかしら」
「そうかも。なにせ、初めて街に出たから」
「あなたたちは用事があるのでしょう? 私が支部で預かっておきますよ」
「いいの? おばあさま」
「是非、させてください。幼子のお守りをするのなんて、いつぶりかしら」
セーラリンデおばあさまがあまりにも優しい笑みを浮かべるものだから、申し出に甘えることにした。おばあさまは僕の背中から受け取ったミントを抱っこすると、愛おしそうにそっと両手で包む。
「むふー……すー……」
「ばあばと一緒にお昼寝しましょうね」
幸せな顔で
「スイ、また近いうちに、おばあさまに遊びに来てもらおう」
「そうだね。冬になる前に」
「わふっ!」
カレンとショコラと連れ立って、僕らはノビィウームさんの店へ行く。
大通りから横道へ入って、裏通りへ。場所そのものが薄暗い一画な上に吊っている看板も小さく、相変わらず商売をやる気が感じられないお店である。
カレンが小首を傾げて言った。
「前々から思ってたけど、ここ、いつ来てもお客さんがいない」
「僕としては、なんかイメージ通りなんだよね……
『偏屈なドワーフが裏通りにひっそり構える、知る人ぞ知る店』だよ?
正直、初めて話を聞いた時はめちゃくちゃテンションが上がった。
「スイの持ってるイメージがどんななのかわからないけど、私としてはノビィウームさんがちゃんと食べていけてるのか謎」
「まあ、この前、僕が大枚はたいて包丁買ったし……」
今も剣と並んで僕の腰にあるこれ、日本円に換算するとおよそ二千万円。
……いやでも、材料費とかもかなりかかってるだろうから、純利益としてはどのくらいなんだろう。そもそも僕が二千万円を払う前からノビィウームさんってここで鍛冶屋をやってたわけだし、どうやって生計を立てていたのか、言われてみれば確かに気になってくる。
「腕は確かだと思うんだよねえ」
「それはそう。『鉄』の称号を持っててもおかしくない」
鍛冶師には、その腕と実績に応じて
「まあ、人のことをあれこれ詮索するのもよくないか」
「ん」
「ショコラ、少しここで待っててくれるか」
「わうっ!」
下世話な会話を打ち切りつつ、扉を開く。
「こんにちは……あれ」
申し訳程度に付けられたドアベルが鳴らす、ちりりんという音とともに店に入る。
するとカウンターの向こうにいたのは、見慣れない人だった。
女性だ。
小柄で、幼い女の子かと一瞬だけ思ったが、そうではない。
全体的なサイズはともかく、身体付きは大人の女性と同じで、胸元を強調して腰を絞ったワンピースはどう見ても成人の服装。だけどそれに比して縮尺は子供と——いや、ノビィウームさんと同じくらいの背丈で。
「いらっしゃい。一見さんかい? それとも馴染み?」
頬杖をつきながらぶっきらぼうに発した声は、やっぱり大人のものだった。
「スイ……ドワーフ。失礼のないように」
ぼそりと小声で、カレンが教えてくれる。
ありがとう。そうかもなとは思っていたけど、子供扱いしなくてよかった。
「こんにちは。注文していたものを受け取りに伺ったスイ=ハタノといいます。ノビィウームさん以外の店員さんと初めてお会いしたので驚きました」
僕は頭を下げつつ挨拶と要件を伝える。
すると、女性はからからと笑った。
「ああ、悪いね。あたしゃ店員じゃないんだ。あのろくでなしの
「え」
嬶……かかあ?
おかあさん? 母親?
年齢合わなくない? いや、こっちの世界って魔力によって老化の速度に個人差が大きいから、別に不自然ではないのかな。
——などと。
僕の心が右往左往していることに気付いたふうもなく、その女性は続ける。
「悪いね。亭主は
「ていしゅ……亭主?」
ってことは、もしかして。
「あたしの名前はスプルディーア。うちのが世話になってるよ」
「え、じゃあ、奥さん? ノビィウームさんの?」
「そうだけど、どうかしたのかい?」
きょとんとする女性——スプルディーアさん。
僕は唖然として、思わず叫ぶのだった。
「ノビィウームさん、結婚してたんですか?!」
※※※
「ああ、すまん。言っとらんかったわ」
そして、それから十数分ののち——。
外出から帰宅したノビィウームさんは、僕らが驚いたという話をすると、まるでどうでもいいことのようにあっけらかんと言った。
「別におかしなことでもなかろう。ワシもこの歳だ、所帯くらいは持っとる」
「いや、まあそれはそうなのかもしれないんですけど……」
「なに言ってんだいノブ。あたしゃこの子たちの気持ちがわかるよ。あんたみたいな偏屈者、
「……まあ確かに、スフの言うことも一理あるか」
奥さんにつっこまれ、ノビィウームさんはもごもごと所在なさそうに口髭を動かした。
「すまないねえ。こいつの性格だから、師匠の自慢ばっかりで自分のことなんかなーんも喋っちゃいないんだろう? あんたたちも、いちいち詮索をするような
「いえ、独身だと思い込んでたのは事実ですし。失礼な反応をしてすみません」
僕らも恐縮することしきりである。
ちなみにスプルディーアさんからお茶をいただいたのだが、カウンター越しにほいと湯呑みを出されて立ったままの茶飲み話に突入しており、なんだかよくわからない状況となっている。大雑把というか、豪快な人なんだな……。
「槌を持ってない時のこいつは、不器用でねえ。おまけに頑固で
腕組みをして夫への文句を口にするスプルディーアさん。
でもその顔と声音は、まるで正反対だった。
楽しそうに、嬉しそうに、誇らしげに——夫のことを、自慢している。
そして続く言葉に、スプルディーアさんの
「それが……風向きがどう変わったのか、ついこの前さ。その『鉄』を受け取ることにした、なんて言い始めてねえ。スイさん、どうもあんたのお陰のようだ」
「え……?」
情報量の多さに戸惑ってしまう。
『鉄』の称号を打診されてた、というのがまず初耳だし、それを受け取ることにした? しかも、僕のお陰?
肩をすくめるスプルディーアさんの
「……『
「あ……」
それで僕は、すべてを察する。
「並んだ、って、確信が持てたんですね」
この人の——ノビィウームさんの鍛治の腕はきっと、僕と出会う以前から超一流だったのだろう。だから最高位の称号『鉄』を、ギルドは授与しようとしていた。
けれど彼は、それを固辞した。
理由はお師匠さまだ。
父さんの魔剣『リディル』を打った
彼は、否、と結論付けた。客観的にどうあれ、少なくとも自分が納得していない。だから受け取る訳にはいかないと決めた。
そして、その頑固さを
九つの姿を内包し、僕の魔力に応じて変形する包丁。僕が調理において全幅の信頼を置く愛刀。ノビィウームさん本人が、
「ありがとうよ、スイ」
ノビィウームさんはカウンターから手を伸ばし、僕の身体を引き寄せてがっしと抱き締めてくれた。
「お前さんのお陰だ。ワシはようやく、お師さまの隣に並べた。……並ぶ覚悟ができた。ここから先は、お師さまも含めた偉大な先人たちと競うことになる。途方もない道だが……お前さんに打った刃がきっと、ワシの拠り所になるさ」
だから僕も、万感を込めて彼を——その筋骨隆々とした、火の粉で傷だらけになった、小さな背中を抱き返す。
「僕も、あなたの名に恥じない料理を作ります。世間に名前は轟かないかもしれないけど……家族に胸を張れるようなものを」
そんな男ふたりの横で、スプルディーアさんとカレンがぼそぼそと会話していた。
「やれやれ。うちの人もあんたの人も、商品の受け渡しを忘れちまってる。
「そんなことない。私は、こんなふうにはしゃぐスイを見るのが好き。あなたもでは?」
「長く夫婦やってるとね、言い方ってもんができちまうのさ。あんたもいずれ、亭主にくだを巻くようになるよ」
僕は聞こえないふりをした。
ここで反論すると、スプルディーアさんの声が潤んでることまでつっこまなきゃいけなくなるからね。
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ちなみに奥さん(スプルディーアさん)は、ノビィウームさんのお師匠さまの孫娘です。
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