繋がる世界に明ける夜

 十三年前。

 僕が『神の寵愛ちょうあい』を受け、死の床にあった時。


 父さんの思いが魔術を意図せず暴発させ、境界融蝕ゆうしょく現象を起こした。そしてこの家と、僕と父さん、ショコラは日本に転移してしまった。

 

 ——と、ビデオメッセージで父さんがそう語っていた、あれは。

 あの話は、嘘だったんだ。


 真実は違う。

 境界融蝕現象を起こしたのは、父さんじゃなくて……、


「……僕が、父さんとショコラを、あっちに連れていったんだね」


 気付いたきっかけは、シキさんを外に出す方法を探した時だ。

 擬似的な異世界である『妖精境域ティル・ナ・ノーグ』を現世うつしよに繋ぎ止めるため、世界に新しいいかりを打ち込む必要があるとわかり——辿り着いたのは、だった。


 ああ、これは父さんがやったやつだ。最初はそう思った。

 僕が日本に行くことになったあれと、理屈は同じなんだなって。


 だけど手法を突き詰めていく過程で、違和感が生まれた。

 正確には、既視感デジャヴだ。


 僕はこれを知っている気がする。

 頭にはおぼろげでも、身体が覚えていた。

 そして疑念が生まれた。


 僕はこの魔術を、以前、使ったことがあるんじゃないか——。


 実際にシキさんを外に出してからずっと、ガーデニングしたり石窯いしがまを作ったりパーティーしたり、目の前のやることに集中してできるだけ考えまいと内心に留めていたけれど。

  

 妖精たちの過去を夢で見たせいだろうか。

 ついに、溢れてしまった。


「くぅーん」


 ショコラが心配そうに僕を見ている。

 こいつだって、自分の身になにが起きたのかを知っていたはずなんだ。ともすれば、誰が魔術を使ったのかも。


 けれどショコラは僕を責めない。ずっと、責めたりしなかった。

 そしてそれは、ショコラだけじゃない。


 母さんも、カレンも——父さんも。


「あっちにいた頃、ずっと。父さんは僕を大事にしてくれたね。『僕のせいで』なんてこと……いや、発想すらしなかったんだろうな」


 しかも最後には嘘をいてまで、僕が気に病まないようしてくれた。

 家族と離れ離れになった責任を、自分ひとりで背負ってあっちに持っていったんだ。


「母さんもカレンも、きっと知ってる。十三年前から知ってたんだろうな」


 母さんからはなにも察せられなかった。さすがだよね。

 カレンは——ああ、時々、すごく心配そうな顔をしてた。あの子は母さんみたいに、毅然とはできないから。


 ただ、ふたりはそれでも、僕を愛してくれている。


 母さんの僕へ向ける視線がかげったことは一度もない。

 僕の手を握ってくるカレンの指が、躊躇ためらったことも一度もない。


「みんな、ずるいや。……これじゃ、僕は」


 父さんのお墓の前。

 項垂れて、思わず笑いながら、



「……自分を、責められないじゃないか」



 視界が——滲んだ。

 みんなの気持ちがわかる。わかってしまう。


 父さんはビデオメッセージで言っていた。僕が『神の寵愛』を受けたのは両親である自分たちのせいだ、と。そして、後悔はない、とも。

 あれは僕の後ろめたさを和らげるためもあったんだろうけど、間違いなく本心だ。


 母さんも、父さんと同じように考えてくれていた。起きた結果に後悔はなく、僕との再会をなによりも喜んでいた。最初に言われたんだ。ごめんね、と。生き別れてから十三年間、一緒にいられなかったことに対して——母さんは、謝ったんだ。


 カレンもそうだ。あの子はむしろ、ずっと責任を感じていた。罪悪感を持っていた。僕の受けた『神の寵愛』が重くなったのは、カレンの属性相剋そうこくを治したことがきっかけだったから。


 誰も、僕を責めたりなんかしない。


 むしろ、自分の無力さに歯を喰いしばり、僕を取り戻すために全力を尽くした。父さんを失ってもその悲しみをみんなで分かち合いながら、未来に幸せがあると信じて。


 わかるんだ。

 家族だから、みんなのことくらい、わかる。

 僕だって、同じ立場なら絶対に、同じことを思うから。


 だけど、それでも。


 考えてしまう——僕が融蝕現象を起こさなかったら。

 寄り添って一生を共に過ごす、仲睦まじい夫婦がいたんじゃないかって。


 想像してしまう——僕があの時、運命のままに死んでいたら。

 息子を喪った悲しみを乗り越えて、それでも幸せを掴んだ家族の姿があったんじゃないかって。


 夢見てしまう——僕が病にかからなかったら。

 家族みんなが平穏無事に暮らした『もしも』があったんじゃないかって。


「きゅー? くぅーん……」

「ショコラ……」


 ああ、なのに。

 考えて、想像して、夢見て、なのに。


 頬の涙を舐めてくるショコラのことを愛おしいと思う。

 抱きしめた毛並みと伝わってくる鼓動に、あたたかさを思う。


 生きててよかったって、思うんだ。

 今が幸せだって、思うんだ——。



※※※



 ——どれくらいの間、そうしていただろう。


 夜が白み、東の空がほのかに明るく染まろうとしていることに気付き、僕は顔を上げた。


 もう、涙はない。

 父さんの石碑を前に、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで、語りかける。

 

「ふたりの前じゃ、とても言えない。母さんにもカレンにも失礼だもんね。だから、ここに置いていくよ。聞いてくれる? 父さん」


 いいよね?

 だってあなたはずっと——僕の人生を、見守ってきてくれた人だから。


 楽しいことも、悲しいことも、つらいことも。話せるようなことも話したくないことも。いいことも悪いことも全部。

 僕を、育ててくれた人だから。


「ごめん、父さん。家族を離れ離れにさせちゃって。ごめんな、ショコラ。寂しい思いをさせて。ごめん……本当に、ごめんなさい」


 石碑を撫でる。

 その下に眠っているだろう魂と、僕の中に宿ってるだろう想いと、そして託された家族への愛を、すべてひとつに繋げて、どうか届きますようにと。


「でもね。どんなに迷惑をかけたって、どんなに申し訳なくたって、それでも……僕は、あなたの息子に生まれてきてよかった」


 花が揺れる。秋がそよぐ。夜が明ける。


「……よし。朝ご飯、作んなきゃね」

「わうっ!」


 父さんの代わりに返事をしてくれたショコラをわしゃわしゃと撫で、僕はきびすを返した。

 そうだな、早起きになっちゃったし——ここはひとつ石窯で、ホットケーキでも焼いてみようか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る