世界が始まる前の歌と

 そして——その夜。

 僕は、夢を見た。



※※※



 断片的で、とりとめがないものだった。

 視点はまるでカメラみたい。つまり誰かの目を通してではなく、映画でも見ているかのように、光景が流れて切り替わっていく。止めることもできない代わりに、目を逸らすこともできない。すごく不思議な夢——そう、僕は最初から、これは夢だと自覚できていた。いわゆる明晰夢めいせきむというやつ。


 最初の光景は、一緒に歩くふたりの子供だ。


 幼い男女。手を繋いで仲の良さそうに、小学校から帰宅している。

 どこかの地方都市、住宅街の道を、ランドセルを背負って。

 やがて行く先から、子犬を連れた大人の女性がやってくる。シベリアンハスキーの子犬だ。男女のうち男の子の方が、ぶんぶんと繋いでない方の腕を振った。


「お▇さん、▇▇▇▇!」



※※※



 次の光景は、部屋の中だ。


 少年と少女がベッドに腰掛けてゲームをしていた。ふたりの距離は近い。それは幼い子供の頃と似ているようで違っていた。初々しく、微笑ましく、優しかった。

 わおん、と。

 部屋の外から犬の鳴き声がする。


「あら、どうしたの? ▇▇▇▇」


 少女が立ち上がり、扉を開けると、そこには成犬になったシベリアンハスキーが尻尾を振っていた。



※※※



 男女の集団が、戸惑っていた。

 合計で十二人。中学生くらい。みな、詰め襟とセーラー服を着ている。

 その中には、さっきまでゲームをしていたあのふたりもいた。


「なに……どこなの? ここは」


 そこは草原だった。

 遠くには城と街が見える。古代中国みたいな様式の、いかめしい建物だ。そして空には、蜥蜴とかげに似た鳥——トゥリヘンドが舞っていた。


 少女は不安げに、足元の犬をぎゅっと抱き締める。

 シベリアンハスキーは、鼻を鳴らして彼女の頬を舐めた。



※※※



 結婚式が行われていた。

 今の僕くらいまで成長した、あの少年と、あの少女だ。

 草原で彼らと一緒にいた男女も、全員が式に出席していた。中でもひとりの男性は涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。彼は、花嫁の少女にどこか雰囲気が似ていた。


 幸せそうに微笑むふたりの足元で、人間ではない家族たちも一緒だった。

 犬が五匹と、アルラウネの子供たち。


 シベリアンハスキーと白い狼の夫婦は、五匹のかわいらしい子犬を連れていた。揃って父親——シベリアンハスキーにそっくりだ。

 五歳児ほどの大きさをしたアルラウネは三体の姉妹。にこにこ満面の笑みで並んでいた。



※※※



「どうしてもやるのか?」

「うん、方法が見付からないの。それにもうこれ以上は、病気の進行が…… ▇▇が、耐えられそうにない」

「正直、止めたい。世界の改変は危険すぎるし……お前らはたぶん、子供も含めて、▇じゃなくなるぞ」

「すべて承知の上よ。▇くんとも話し合って決めたの」


「……わかった。だったら条件がある。俺たちにも協力させろ」

「そんな! これ以上、迷惑はかけられない」

「術式を外から支える者が必要だ。その方が成功率は上がる。……どうせやるなら、とことんやれ。俺だって▇▇たちのことは、自分の子供みたいに思ってるんだ」


「ありがとう……お兄ちゃん。わたしたち、最後に大罪人になっちゃうね」

「構わんさ。この▇▇に来て十五年、俺たちはいまや英雄だ。何度▇▇を救ったかわからん。最後くらい自分たちの好きにやったって、許されるだろ」



※※※



 やがて、夢の終わりに——。

 ひと組の夫婦が、六人の仲間たちと向かい合っていた。


 そう、六人だ。

 かつて十二人だった彼らは、四人も数を減らしていた。結婚式から今に至るまでの間に、なにが起きたのかはわからないけれど。


 表情はみな、覚悟を込めた悲壮。


 夫婦のうち、夫の青年が前に出た。

 ひとりひとりに呼びかけていく。


阿形あがた白河しらかわ。感謝してる。こんな▇▇に転移してきて不安だったけど……きみたちが一緒で、本当に良かった」


 阿形と呼ばれた痩せぎすの男性は、舌打ちをするとそっぽを向く。

 一方、白河という名の大男は体格に似合わずおんおんと滂沱ぼうだしていた。その足を阿形が無言で蹴飛ばす——悲しみを、誤魔化すように。

 

輪島わじま中野なかの。悪いけど、▇▇▇▇たちを頼む。あっちには連れていけないみたいだし……なにより▇▇▇▇にはもう、家族がいるもんな」


 輪島と中野、ふたりの男性の横にシベリアンハスキーの一家と、アルラウネたちが控えていた。彼らは主人との別れを自覚しているのかいないのか、全員がおとなしく吠えも鳴きも泣きもせず、夫婦をじっと見ている。


綿貫わたぬき……」

「▇▇▇っ!」


 その女性の名を、夫が口にした瞬間。

 妻の方が、耐えきれなくなったように彼女へ駆け寄った。

 ふたりは互いを抱き締め合い、嗚咽おえつする。ごめんね、許してね、なに言ってんのさ、いいのよ。そんな言葉を交わしながら。


 彼女たちを横目に、夫の青年は最後のひとりに向き合う。


義兄にいさん……うえ


 それは彼の親友の名であり、妻の旧姓でもあった。


「ごめん……▇▇、▇▇▇▇▇▇。▇▇▇▇▇▇、▇▇▇▇▇▇▇」

「▇▇▇▇▇▇。▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇、▇▇▇▇▇▇」


 だけど彼らの会話はもう、僕には聞こえない。

 ふたりがどんな表情をしているのかもわからなくなっていく。

 景色は薄れ、色は褪せ、音は消え、僕は鳥みたいにどんどん上空に、遠くへと引き離されていって——。


 最後の最後に、ただ。

 涙だけが、残った。



※※※



 目が醒めて、僕はベッドの上で半身を起こす。

 心臓の鼓動は落ち着いていた。頭もやけにすっきりしていた。

 それでも目から溢れていた涙は、暗闇を滲ませる。


「あれは……四季シキさんたちの……」


 今しがたまで見ていた夢のことを考えながら、ベッドから降りた。

 空気の静けさからして、夜半をすぎて朝にはまだ早い頃だろう。寝間着の上にウインドブレーカーを羽織り、廊下へ出る。母さんもカレンもぐっすり眠っているらしく、気付かれるような気配はない。


 そのまま階段を下りて、玄関を開け、外へ。


 秋も少しずつ深まってきて、もう残暑らしさは欠片もない。むしろ涼しいのを通り越して、少し肌寒いくらいだ。


 それでも僕は、庭に出て——その隅、花に囲まれた石碑の前に、腰を下ろす。


 普段お墓と呼んでいるけれど、埋まっているのはおこつではなく遺髪だ。そして石碑にも名前は刻んでいない。石の形は楕円形で、少しだけ形を整えはしたけれど、野にあるような自然なもの。


 大層なものは要らないと思ったから、そうしている。


 死者をまつりたいんじゃない。

 ここにいる、僕らを見守ってくれている、そう感じられるものが欲しかったんだ。


 しばらくの間、石碑の前に座っていた。

 庭に吹く風に身を任せ、暗闇の中で揺れる花の香りを吸い込む。

 薄曇りの空に、月は出ていない。だから暗くて、本当に暗くて。


「くぅーん」

「……ショコラ」


 僕が外にいることに、気付いたんだろう。

 厩舎でポチと一緒に寝ていたはずのショコラが、いつの間にか横にいた。


「きゅー……わふっ」


 どうしたの、と身体をすり寄せてくる。

 その胴に手を回し抱き寄せながら、


「ねえ、ショコラ。それに、父さん」

「くぅー……?」


 頭の中ではもう、理解していること。

 既にはっきりと自覚していること。


 なのに、言葉にするのに、すごく大きな勇気が必要な——その告解を。

 口にした。






「……僕が、父さんとショコラを、んだね」

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