それは少しだけずれた場所

 かくしてリビングは大騒ぎとなった。



「ぎゃーーーーー!」


 そう叫んだのはどの妖精なのか。

 甲高い絶叫とともに、小さな身体たちが制御を失ったように飛び回る。


 ソファーのクッションにつっこみ、テーブルの上を走り回り、掃き出し窓のガラス戸にぶつかり、でも不幸なことに窓は閉まっていた。


「本当に、いたのね……」

 母さんは目を見開きながら、狼狽ろうばいと感慨の入り混じった顔をする。


「わふっ。くぅーん」

 ショコラはあまり動じておらず、けれど妖精たちの動きを目で追っている。……口に入れちゃだめだからね?


「わ。ちょっ、服の中に……やめ」

 カレンが身悶えしている。ひとりが誤って胸元に飛び込んでしまい、出てこられなくなってもがいているようだ。


「スイ、取って!」

「えっ僕が!? いやそこに手を突っ込むのはさすがに……!」


「すごい! かあいいのが、ひゅんひゅんとんでる!」


 そしてそんな僕らを他所に、無邪気にきゃっきゃとはしゃぐミント。


「いったいどういう原理で見えなかった……いえ、見えるようになったのかしら。魔術? その気配はなかったはず。でも、今は妖精たちの魔力を感じる……どういうこと?」

「ちょっと母さん、戻ってきて?」

「わふっ……?」

「ショコラ待ちなさい。間違っても食べようとしちゃダメだからね?」

「わあ! おはねのいろがちがう! あっちはみどり、あっちはあか!」

「うん、そうだねミント。でもいまは落ち着かせないと」

「早く、スイ。もぞもぞする!」

「いやほんとそれハードル高いんだって!」


 ——いったいこれ、どう収拾つければいいんだ。

 僕は頭を抱えながら溜息をく。


 とりあえず大騒ぎする妖精たちをなんとかしたい……のだけど、どうやって?

 僕が声をかけたりしたところでどうにもならない感じだし、魔術で動きを止めるのもさすがにかわいそうな気がする。見た感じ、邪悪な存在じゃなさそうなんだよね。少なくともこっちを害そうとする意思はないようだし。


 そんなことを考えていた時だった。





 子供のような、けれど一方でおごそかな、不思議な声がリビングに響く。


 掃き出し窓にぶつかって頭を押さえていた子が、ソファーのクッションに頭だけを突っ込んでいた子が、キッチンの隅に隠れようとしていた子が、テーブルの上であたふたしていた子が、カレンの胸元に飛び込んでいた子が——一斉いっせいにぴたっと止まり、同じ方向へ顔を向けた。


 それは——発された言葉の主は。


 テーブルの前、ソファーの空いた席へまるで煙が立ち上るようにふわりと形を成し、行儀良く腰掛けて、にこりと微笑む。


 少年——十一、二歳ほどの背格好をした子供だった。

 とはいえ、妖精たちがどれも手のひらサイズなのに比べれば随分と大きい。


 白金色の髪はボブカットに整えられ、まとう衣装はかしこまっている。貴族か王族かといった装飾が各部に施されてるんだけど、そのデザインというかシルエットに、何故だろう? どこか懐かしい感じがした。


 ただやはりそれよりも目に付くのは——妖精たちと同じ、二対四枚の羽。それぞれが桃、緑、赤、白に染まり、透き通るような薄さで背中から伸びている。


 それは、言う。


「やあ。うちの子たちがお騒がせしてしまい、すまない。そしてお邪魔しているよ」


 冷静に考えると不法侵入なんだけど、にこやかな表情には屈託がなく、結界に弾かれていないということから害もないはずだ。

 その笑みの中にあるのは、少しだけ申し訳なさそうな気配。

 けれどそれ以上に感じるのは、とてもな——。


「ぼくの名は、四季シキ。そこに在る妖精たちの主にして、幽世かくりよに棲まう『もの』…… 妖精境域ティル・ナ・ノーグオベロンだよ」


 そして、妖精王は自己紹介をして。

 こうなってしまった経緯を、語り始めた。



※※※



「じゃあそもそも妖精は、遥かな昔から実在していた、ということ?」

「そうさ。ただ、きみたちには見えもしないし聞こえもしない、触れもしない存在だった。ぼくらは幽世に棲まうものだからね」


 四季シキさんの説明は端的でわかりやすく、けれど途方もなかった。

 だから僕らは次々と、彼(そもそも性別があるんだろうか?)に質問を投げかける。


「幽世、というと……あの世ってこと? あなたたちは幽霊なんですか?」

「スイ、たぶん違う。今ここにいる彼らには肉体があるし、魔力も流れてる。お伽話の中から出てきたみたいな姿をしているって点を除けば、ごくごく普通の生命体」

「カレンの言う通りよ。おそらくはこの世界に重なる、に存在の基点がある。……魔導器官と似たようなものじゃないかしら?」


 魔導器官。

 見えも触れもしないけれど僕らの体内に確かにある、魔力を制御するための臓器。


 なるほど、そう考えるとしっくり来る。


「うん、きみたちの解釈で合っている」


 妖精王——四季シキさんはこくこくと頷き、更に解説を加える。


「で、そんな存在であるぼくらをきみたちが認識するには『意思なきもの』である必要があるんだが……なるほど、その板か。映像を投影する異世界の道具とは、まったく恐れ入った。確かにそれは『意思なきもの』だ」


 僕らが妖精たちを認識できないのは、意思を持っている生き物だから。

 でも、スマホのカメラみたいな光学装置は違う。

 電子機器による——それは僕らが知覚できなかった妖精たちの姿を、問答無用で捉えてしまったのだ。


「あなたたちの存在そのものが、私たちの知覚からすり抜けてしまっているのね。だけどスマートフォンみたいな機械にはそのすり抜けが効かなかった。そして……いったんあなたたちを認識してしまうと、すり抜けが起きなくなる?」

「その通りだよ。きみたちはその写真を見た瞬間、ぼくらが見えるようになってしまっていたんだ」


「結果、うちに侵入してきてたこの子たちと鉢合わせた、ってことか」


 僕は五人——『人』でカウントしていいのかな——の妖精たちを眺める。


「あなたの頭のお花、それって飾ってるの? 直接生えてるの?」

「みんとのすみれ? これも、みんとだよ?」

 ミントと話し込んでいる子は『花筏ハナイカダ』。


「うわあ、ふっかふかだ! あったかいなあ」

「わふっ」

 ショコラの背中に身体を埋めているのが『夜焚ヨダキ』。


「あ、あのっ……さっきは本当にごめんなさいっ」

「だいじょぶ。あなたは怪我とかしてない?」

 さっきカレンの胸の谷間に潜り込んでいたのは『孔雀クジャク』。


「なるほど……この設備は興味深い。異世界のものとはね」

 キッチンのIHコンロをしげしげと観察するのが『カササギ』。


「……なによ。じろじろ見ないでくれる?」

 そして——四季シキさんの肩にひっついて離れないのが『霧雨キリサメ』。


「いい子たちだろう?」


 僕の視線に気付いた四季シキさんの眼が、優しくなる。


「悪戯好きな子もいれば、好奇心旺盛な子もいる。気弱な子もいれば、優しい子もいて、素直になれない子もいる。……ぼくらの可愛い子供たちさ」


 声音には、既視感があった。

 性別も年齢も違うけれど、この喋り方は——ああ、そうだ。

 母さんや、ミネ・アさん、それにジ・リズや父さん。


 子を思い遣る時に見せる、親の——。


 そんなことを思っていると、母さんが少し目を細め、問うた。


「『ぼくら』と言ったかしら。あなたたちの他にもまだ、妖精がいるの?」

「ああ。そもそもぼくはその話をしに、ここへお邪魔したんだ」


 四季シキさんは思い出したように頷き、今度はさっきの僕みたいに——こちらを順番に見て、


「ヴィオレ殿、スイ殿、カレン殿、ショコラ殿、ミント殿。それと、あっちにいるポチ殿。……この奇縁は、ぼくらにとって得難く、待ち望んだ、またとないものだ」


 ——驚くようなことを、言う。






「どうだろう? よければきみたち一家を、妖精境域ティル・ナ・ノーグ……ぼくらの家たる『常若とこわかの城』に招待したいんだが」

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