写真ってまだないんだ

 蜥車せきしゃでの旅は順調に進んだ。


 ミントがいるため、これまでのように夜をてっして進んだりはしていない。野営はしっかり夜に行い、日の出とともに出発する——それでも夜半くらいまで、つまり一日の四分の三は歩き続けているのだから、ポチは本当にすごい。


 なお、本人はまだまだ元気がありあまっているようで、手綱を引っぱると「えっもう休むの?」みたいな反応をされる。


「たぶん、『うろの森』の濃い魔力の影響を受けているんだと思うわ」


 ……とは母さんの談。


「通常の甲亜竜タラスクよりも、基礎体力なんかが上がっているはずよ。光属性は、身体強化の魔力効率が高い傾向にあるし」

「確かにショコラもこっち来てから、今までより元気だもんな」

「わうっ!」


 カレンの狩りについていくし、牧場を終日ひねもす駆け回ってるし、なんならその上で散歩にも行きたがる。竜族ドラゴンの里はうちよりも広いから、存分に遊ばせてやろう。


 ただ休憩が多めになったとはいえ、大まかな地形がすでにわかっている分、前回よりもしっかりルート構築できている。この分だと、三日ほどで着けそうだ。


 蜥車せきしゃ御者台ぎょしゃだいに腰掛けたカレンが言う。


「冬になる前にもう少し頻繁に行き来して、道を作っておくといいかも」

「そうだね……冬って、雪は積もるの?」

「ん、たぶん積もる。そんなに深くはならないと思うけど……」

「雪かきしなきゃなあ」


「ゆき、ってなに?」


 僕らの会話を聞き、ミントが頭上から問うてくる。

 今日の居場所はほろの上だ。ポチにまたがりショコラと歩きをて、今は空を眺めながらの移動が楽しいらしい。


「雪は、白い綿わたみたいな冷たい雨だよ。すごく綺麗だけどすごく冷たいんだ」

「みんと、つめたいのもすきだよ?」

「アルラウネって、冬は平気なのかな……その時になってみないとわからないけど、無理しないようにね」

「うー!」


 元気よく声をあげながら、同時に聞こえてくるのは『ぱしゃり』という音。


「なに撮ってるの?」

「おそら! き! あと、おはな!」

「あとで私にも見せてね、ミント」

「じゃあいっぱいとる! むふー」


 ミントが操っているのは僕のスマホで、起動しているのはカメラである。

 退屈そうにしていたので、手慰てなぐさみに貸してあげたのだ。


「ミントは物覚えがいいわね。お母さんはそのスマホ、まだよくわからないわ」

「大人は常識が邪魔するからね。あっちでも、子供は直感ですぐ操作を覚える、ってよく言われてた」


 とはいえ扱えるのはカメラだけで、他のアプリについてはさっぱりだろうけど——なにより、電波の通じないこの世界では使えない機能の方が多い。


「写真……理屈がわかれば、魔術で再現できるのかしら」

「こっちの世界にはないんだよね、カメラも写真も」


 カメラ、ひいては写真というのは、かなりな代物だ。


 地球で写真が生まれたのはだいたい二百年前で、そこから百年ほどをかけ発展、普及し、文化として広まっていった。一般庶民が気軽に撮影できるようになったのは戦後から、つまり八十年ほどしか経っていない。……まあ、書斎にあった本の受け売りなんだけども。


 地球で暮らしていた頃、僕には写真を撮る習慣があまりなかった。友達なんかはなんでもすぐ撮ってはインスタに載せたりしていたけど、よくやるなあ、みたいに一歩引いた気持ちだったのをよく覚えている。


 それはここに来てからも変わらない。家族の日常をカメラで記録しておこうとか、そういう気持ちには不思議とならなかった。今も——ミントにカメラを渡したのも、ただの思い付きである。


「母さんは、カメラ、欲しいと思う? 家族の写真、残しておきたい?」

「そうねえ。技術に興味はあるし、お父さんが持ち込んでくれたアルバムはすごく嬉しかったわ」


 感慨深げに口にする母さん。


「私たちの見ることができなかった、スイくんの成長の様子。そして、お父さんがどんなふうにスイくんを育てていたのか。あの一枚一枚がスイくんの記録であり、お父さんの……あの人の生きた証だった。それに触れられたのはお母さんにとって幸せなことだし、アルバムは宝物よ」


 でも、そうね——と。

 母さんは言葉を区切って、微笑む。


「今は、自分の目で見ることができているわ。スイくんの頼もしさも、カレンが女の子として綺麗になっていくのも、ミントの成長も、元気なショコラも、張り切って車をいてくれるポチも。カメラで撮影するのに夢中になっていると、それを見逃してしまいそうな気がする」


「……そっか」


「だから、誰かが留守の間にどうしても見せたいことが起きたとか、そういう時だけでいいかなって思うわ」


 たぶん地球で暮らしていれば、母さんもまた違った意見になったのかもしれない。向こうではスマホのシャッターボタンを押すのがあまりにも普通のことで、みんなカメラを操作しながらでも、ちゃんと思い出を大切にできるから。


 でもこっちで暮らす人たちは、カメラという道具にも、写真という文化にも馴染みがない。写真を撮ってもシェアする場所もない。シェアすることで思い出を記憶する、そういう土壌ももちろんない。


 だったら、無理に活用する必要はないだろう。


 あれはミントの遊び道具でいい。僕はこの世界に——母さんやカレンに合わせて、自分の目と記憶、心に、日々の思い出を刻み込んでいけばいいのだ。


 それに僕の魔術も、電子機器にどこまで作用するかまだちょっとわからないしね。


 今のところ僕のスマホも父さんのノートパソコンも、動作がおかしくなったりバッテリーがへたったりした様子はない。それに、少なくともハード面は『不滅』の特性付与で保証されている。ハンマーで殴っても傷ひとつ付かないだろう。


 ただ、じゃあ永遠に大丈夫なのかと言われると、やっぱりよくはわからないのだ。


「すい! すまほ、くらくなった。どうして?」

「見せてくれる? ああ……充電切れちゃってるね」

「じゅーでん?」

「一応モバイルバッテリーがあるけど、そっちの充電もなくなったらおしまいだし……今日はこのくらいにしとこうか」

「わかった! しゃしん、あとでみてね!」

「うん、みんなで一緒に見ようか」


 こういうやりとりをして笑い合った——その事実が、あたたかさが、大切な思い出として積み重なっていく。


 ミントが幌から飛び降りてきて、手綱を引くカレンの隣に腰掛けた。

 ずしんという軽いショックを、サスペンションが吸収する。


 そういえばこの車軸、父さんが開発した機構だったっけ。

 ミントは気付いていないだろうな——自分が、父親に受け止めてもらったってことを。


「そろそろ晩ご飯を調達してくるよ。ショコラ、行こうか」

「わおんっ!」


 僕はワゴンから出て、並走するショコラの横に着地する。

 まだひとりでは獲物を見付けられないので、そこはショコラ任せだ。

 だけどそれなりには、僕も成長してるんだよ。


 がらがらと回る蜥車せきしゃの車輪を一瞥して、僕らは森の中へ入っていった。

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