ねえ、覚えてる?
日が沈んだ。
すべてが解決し、家の中は静かだ。
ノア、パルケルさんとセーラリンデおばあさまは、ジ・リズの背に乗って帰っていった。あまりにも慌ただしくなんのおもてなしもできない滞在だったのに、三人は最後まで僕らに気を遣ってくれた。
ミント殿をいたわってやれ、また会おう——と、ノア。
今回は緊急だったけど、次は自力で来てみせるから——と、パルケルさん。
みんな、よく頑張りましたね。誇りに思います——と、おばあさま。
母さんはみんなを送るために同行した。ついでだから王宮にひと晩泊まっていくわ、と言い残して。王さまや王妃さまとゆっくり話をしたいそうだ。
ミントはすっかり
今はいつも通り、庭の隅にある解体場で
ポチが怯えるかもしれないと思ったが、そもそも
そして、僕らは——。
「ショコラ、悪いんだけどさ……今日はポチのところで寝てもらえるか」
「わう?」
居間、ソファーの横でいつもみたいに寝そべっているショコラに、そうお願いする。
「ふたりにしてほしいんだ。いいかな?」
「くぅーん」
快くひと鳴きし、ショコラはすっくと立ち上がる。掃き出し窓を開けてやるとするっと出ていき、庭に出る前に振り返って、
「わうっ!」
挨拶し、去っていった。
居間には僕と、カレンのふたりが残る。
「……ごめんなさい、スイ」
やがて——。
窓を閉めてソファーに戻ってきた僕へ、カレンがぽつりと告げた。
「私、なんの役にも立てなかった。スイもヴィオレさまも、すごく頑張ったのに。ミントをたくさん助けたのに。私は、なにもできなかった」
彼女の元気がないことには、気付いていた。
それは母さんが、僕にミントの治療を頼んだ時から——いや、きっと、ミントに属性
僕は一度目を閉じて、深く息を吐き、吸った後。
カレンに向き直り、問う。
「ねえ、覚えてる? むかし、あの時。僕が熱に浮かされて、きみは泣いていて。ごめんなさい、って何度も謝ってたね」
ごめんなさい。
なにもできなくてごめんなさい。
スイをたすけられなくて、ごめんなさい。
カレンは歯がゆそうにしていた。
僕の手を握り、どうしてなの、と重ねた。
どうしてわたしは、まじゅつがつかえないの。
まじゅつがつかえたら、スイをたすけられるかもしれないのに。
スイのつらいのを、かるくできるかもしれないのに——。
「僕は、きみが悲しんでるのが嫌だった。どうにかしてあげたいと思った。そしたら、闇属性の魔術が発動しちゃって……でもね、カレン。あれがなかったら、あの経験がなかったら……僕は、ミントのことを助けてやれなかったかもしれない」
カレンはなにも言わない。
その拳の上に手を重ね、解きほぐすように握った。
「ミントが魔術を使えなくなったとわかった時、きみは真っ先にあの子のところへ行って、気遣ったよね。悟られないよう、明るく自然に振る舞って、休ませた。僕はうろたえるばかりで、母さんに言われたよ……カレンみたいにしゃんとしなさい、って」
「でもそのあと、私はなんの……」
「きみが前を歩いてくれていたから、僕は進めたんだ」
手を握りながら身体を寄せた。
額を合わせて、言い聞かせるように。
あるいは、囁くように。
「僕が『神の
震える指先。
冷たい額。
へにゃりとしおれる、尖った耳。
「でもね。きみはこの十三年間、誰よりも努力してきた。魔導に
母さんに負けないほど力強く、頼もしく、存在感があって。
優しく穏やかなようでいて、内に揺るがないものを秘めたあの魔力。
それは、彼女がそこまですごい魔導士になったのは——。
きっと
「僕のために強くなってくれてありがとう。この家へ真っ先に駆けつけてくれてありがとう。僕の記憶を思い出させてくれてありがとう。転移してしまってから今までずっと……戻ってくる確証もないのに、信じてくれてありがとう。生きてるか死んでるかもわからない僕をずっと、想い続けてくれてありがとう」
「す、い……」
抱き締める。
細く柔らかい、
あの頃からずっと変わらない、僕の。
「思い出したことがあるんだ」
カレンの瞳を覗き込む。
深く、それでいて淡い、
風と水の混じり合った『
たぶん、僕の名前の由来になった、その目。
「きっと、きみも忘れてることだよ。あの日、僕がどんなふうにきみの属性相剋を治したのか。それを思い出した」
僕はカレンの魔導を調整し、混線を直した。
では、どうやって? 他者の体内にある魔力へ干渉するのは難しいのに。
ミントの魔導を復活させた時は、傷口同士を接触させた。
カレンの時は——ああ。
再会した時に、きみが言ったこと。
あれを今度は、僕がやろう——。
抱き寄せて、頭を撫でて、僕は。
愛しい人に、口付ける。
「好きだよ、カレン。ずっとずっと、子供の頃から、生まれた時から。記憶を失っていた時もきっと、僕のその場所にはきみがいた」
やっと言えた。
ずっとなにかが引っかかってて、言えなかった。
これだったんだ。この記憶だったんだ。
あの最初のキスを、苦い思い出にしたくなくて。
キスするほど好きだった子を、悲しませたままなのが気まずくて。
僕はずっとブレーキをかけていたんだ——。
「わた、しも……わたしも」
カレンが僕の胸に飛び込んでくる。
泣きじゃくりながら、僕の襟元を濡らしながら、回した腕を強くしてくる。
「すき。スイのことが好き。ずっとずっと、だいすき……!」
幼い頃の僕らは、自分たちが相思相愛だと疑いもなく信じていた。
けれど初めてのキスは悲しみと絶望を引き起こし、十三年の別れは僕の気持ちを迷子にさせ、カレンの想いを張り詰めさせた。
けれど今、ようやく。
「おかえり、スイ。私の愛しい人」
「ただいま。戻ってきたよ、カレン。……僕の、大好きな人」
僕らは子供の頃と同じ笑顔で、頬を寄せ合ってお互いを抱きしめ合う。
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