森、夏、そして幼馴染

みんなでわいわいやるのもいいな

 口外無用ということで、秘密を守れそうな人たちにも味を見てもらった。


 今回は一枚噛めそうにないな、と悔しそうにするクリシェさん。

 酒が進むんじゃねえかこれは、とはベルデさんとノビィウームさん。

 歯が悪いおばあちゃんに食べさせていい? と尋いてきたリラさん。

 どんな甘味をかけるのがいいかを議論し始めたのは、シュナイさんとトモエさん。

 そして嬉しそうに、僕とノアの頭を撫でてきた——セーラリンデおばあさま。


 身内贔屓びいきしてくれている可能性はあるが、ともあれ評判は上々だ。


「実はね、カレン。この胡麻豆腐ごまどうふ……魚醤ぎょしょうもいいけど、醤油が最高に合うんだ」

「っ、スイ、それは……!」

「帰ったらまた作ろうね。母さんにも食べてもらいたいし」

「ん。楽しみ。すごくすごく楽しみ」


 ……とこっそりカレンにだけ教えたら、明らかにテンションが上がっていた。


 家では白ワインじゃなくて料理酒を使い、より日本のものに近い味を再現しようと思う。個人的に胡麻豆腐といえば辛子味噌なので、こっちの世界に味噌がないのが残念だ。父さん、棚に入れておくの完全に忘れてたんだろうな……。


 ともあれ、試食会であったり細々こまごまとした話し合いだったりで、二日めの午後はあっという間に過ぎる。というか胡麻豆腐作ってたら一日が終わったぞ。これでいいのかお泊まり会。


 まあ、みんな楽しそうだし、いいよね。


 試食会をもよおした流れのまま、夕食はみんな一緒に、酒場で宴会となった。

 ノアはそれまでの、どこか肩肘を張った立ちいをやめていた。


 それは一人称の違いというわかりやすい部分だけではなく、もっと根幹、彼の心に根差したものだ。ベルデさんやシュナイさんは「お前、雰囲気が柔らかくなったな」「スイに影響されたか?」と彼の肩を叩いていた。


 食事を囲み、杯を交わし、わいわいと会話を弾ませ、楽しい時間はあっという間に過ぎる。夜が更けてお開きになる頃には、カレンはもちろんトモエさんも酔い潰れてしまっていて——僕はカレンをおんぶしてノアの家まで歩きながら、こういうのもたまにはいいなって思った。



※※※



 屋敷に戻ってカレンを寝室へ放り投げてから、僕は客間でひと息つく。


「ショコラもお疲れさま」

「わう」

「お酒のにおいが強くてごめんな」

「くぅーん」


 ショコラもミルクやら肉やらのご馳走にたくさんありつけたから、嬉しそうだった。でも酔ったカレンからはすーっと逃げて、僕の足元に隠れたりしていた。


「僕もそのうち、お酒をがぶがぶ飲む日が来るのかな」

「わん!」

「わかってるよ、お前の嫌がることはしない」


 僕は素面しらふだ。こっちの世界にアルコールの摂取を年齢制限する法律はなく、だから別に飲んでもよかったとは思うんだけど。なんとなく、二十歳はたちになるまではやめておこうと決めている。


 あのまま大学生になってたら、なあなあでビールとか飲まされてたのかな。本当は飲みたくないものを、破りたくないルールを、人付き合いという名の仮面をかぶって。


「まだ寝ていなかったのか」


 などと、考えていると。

 グラスを片手に、ノアが客間へと入ってくる。


「トトリア嬢は酒癖が悪いな。お前にだけ絡んでいたからわざとかもしれんが」

「あした問い詰めても、覚えてないって言うに決まってる。……まだ飲むの?」

「一杯だけだ」


 グラスの中身は琥珀色の液体だった。いや、酒場でドワーフのノビィウームさんと何度も乾杯していた気がするんだけど……。


 しばらく、無言の時間が流れた。


 僕はソファーに身体を投げ出したまま天井を眺め。

 ノアはゆったり優雅にグラスを傾ける。


 黙ってると爽やか系のイケメンだから、こういう仕草がめちゃくちゃ絵になるなこいつ。なんか腹立つ……。


「今も、監視されてるのかな」

「されているだろうな。だが、もうどうでもいい」


 夕方のうちに、ノアは王家へ手紙を送った。

 胡麻豆腐の詳細なレシピに、どう売り出すかのアイデアを書き連ねたものを添えて。なんでも王族しか解読できない暗号で記した上で封蝋シーリングしたから、僕らの計画が露見することはないそうだ。


「速達を使ったから、五日のうちには王都に届く。俺がここで羽目を外しても、母上たちに迷惑がかかることはあるまいよ」

「そっか、なら安心だ」


 からり、と。ノアのグラスから氷の転がる音がした。


「……そういえば、森に行きそびれちゃったね」


 パルケルさんが、僕の魔導を見たがっていたのだ。だったら森に入って冒険者の真似事をしようと予定を立てていたのが、胡麻豆腐のせいで流れてしまった。


「ああ、構わんさ。スイたちにとっては表層部の魔物など腕試しにもならんだろうしな。ただ、共に狩りをするのは楽しそうだ」

「僕も一応、冒険者登録してるしね」

「お前の魔導を見られなかったのはまあ、俺も残念ではある」


「そういえば聞いてもいい? ノアとパルケルさんの魔導って、どんななの? ……こういう質問って失礼に当たるのかな」

「固有魔術の詮索は血縁などでもない限り、不躾ぶしつけとされているぞ。ただ、属性程度なら問題ない。俺たちは魔眼を持っていて、称号もあるからな」


 固有魔術って、魔眼の名前が入ってるやつ——僕の『閉塞へいそくは、可惜夜あたらよわらう』とかかな。


「確かふたりとも、称号を持ってるんだったよね。ええと……パルケルさんの『恋路こいじ』っていうのが変わってるからよく覚えてるんだけど」

「『恋路』は『小泥こいじ』に通じる。水に土からなる、泥の属性だ。俺は水に火で『白灼はくしゃく』——熱湯だよ」

「いいね。有用そう」


 言うと、ノアは愉快げに頬を緩めた。


「やはり王都の貴族ども、魔導士もどきとは格が違うな。奴らは『熱湯』と聞くとあざけりの顔で『お気の毒に』などとのたまう」

「いやいや、強いでしょ、普通に」


 大概の生物は、熱湯を浴びせれば火傷を負う。

 甲殻などで守られていても体内や粘膜を狙えばいいし、なにより外見が水と変わりないのが厄介だ。たとえば突っ込んでくる獣の前に熱湯の壁を作ったりすれば、ダメージはとんでもない。


「だが昔は、水を熱することが上手くできなくてな。業腹ごうはらだが、奴らの言う通りな有様だった。…… 風呂桶を満たすしか用を成さない出来損ないと後ろ指を差されていた俺に、道を示してくださったのは『天鈴てんれい』さまだ」


「熱量の移動だね。火で水を温めるんじゃない。水に熱を与えるイメージだ」

「ほう、わかるのか。さすがご子息なだけある……いや、もしや逆か? 異界の知識か?」

「うん。母さんも、父さんから聞いて知ってたはず」


 魔術なんて原理不明な途方もないもののように思えるけど、地球の科学知識は意外と応用できるみたいだ。


「ただ母さんも父さんに教わるよりも前に、直感で熱量移動それをやってたみたいだよ。だからきみも、自分で気付けた可能性はあるさ。同じ属性相剋そうこくなんだし」


 何気なくそう言うと、ノアはきょとんとする。


「ん? 俺は属性相剋ではないぞ」

「え、そうなの?」

「なんだ、御母堂ごぼどうからは聞かされていなかったのか?」

「聞かされて……いや、言われてみれば」


 記憶を探り、はっとした。


 ——『私みたいに相剋はしていなかったけれど』


 そうだ、確かそんなふうに言っていた。


「ごめん、誤解してた。というか、魔術が上手く使えなかったってところだけしか覚えてなかった。『魔術が上手く使えないのが属性相剋』って思い込んでたのかも。……ごめん」

「ふ、やはり面白いなお前は。俺の魔導を正当に評価してくれたかと思えば、そんな初歩的な勘違いをする」

「こっちに戻ってきて日が浅いからね。魔導の教養が足りてないんだよ」


 ノアは笑って許してくれた。

 けれど——続く彼の言葉に、今度は僕がきょとんとする。


、俺ではなくだろ」

「……え?」


 トトリア嬢。

 つまり、


「カレンが? ……属性相剋?」

「なんだ、知らなかったのか? いや、幼馴染とはいえわざわざ言うことでもないのかもしれんな。すまん、本人から知らされていないのであれば俺が言うべきではなかったな……忘れてくれ」

 

 きっと母さんがなんとかしたんだろう。経験者だし、ノアくんにコツを教えた時と同じような感じで。ただ、もし本人がその過去を気にしてるとかならノアの言う通り、忘れた方がいいか。


「ああ、うん。まあ今は違うんだし、もう終わったことなんでしょ?」


 僕はノアに肩をすくめてみせる。


 だけど、彼にそんな反応をしながら。

 僕の胸、かすみがかった奥の方に、澱むものがある。

 喉に絡むような、ぬかるみに足がはまったような、違和感がある。


 思い返してみれば——。

 カレンが自分からそのことを話題に出したことがあっただろうか。

 母さんが昔話で属性相剋の説明をしてくれた時も、彼女のことにはまったく触れなかった。それは、不自然なほどに。


 なにより。

 どうして僕が——子供の頃から一緒だった僕が、このことを知らないんだろう?

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