どっちでもいいんだよ

 顆粒かりゅうコンソメを発案した時、実感したことがある。

 


 コンソメの原材料となる肉、野菜、香辛料などの調達や生産。

 製造設備の建設から製品の流通に至るまで、関わる人たちに発生する報酬。

 そして製品を利用し、味わい、楽しむ人々による消費行動。


 すべては経済であり、経済が回ればたくさんの人たちが潤う。得をする人が増える。もちろんここに不当な搾取さくしゅがあれば途端にきな臭くなってしまうけれど、真面目に働いた人に正当な報酬が支払われてさえいれば、基本的には誰もが幸せになれるのだ。


 では、それを王族が、王家の名のもとに行えばどうだろう。

 それは即ち国民のための施策であり、統治するものによる善政となり、王家の成し遂げた功績になるのではないか。

 ノアくんの——第三王子殿下の、王家の一員たるに相応しい偉業となるのではないか。


 あくる日。

 僕らは、市場いちばに出た。


 必要なものを片っ端から買い込んでいく。僕は一部の店で「たまにふらっと現れては変なものを大量に買っていくやつ」としてすっかり顔馴染みになったが、今回はそこまで妙な品を求めていない。ありふれた——少なくとも王都周辺の人たちが普段、口にしているようなものが中心だ。


 買い物を終え、屋敷に戻る。

 厨房を借りて、さっそく試作の開始だ。


「……正直、半信半疑だ」


 厨房に入る直前、ノアくんが眉根を寄せて言う。


「お主の言うような料理は、確かに聞いたことがない。王都にも存在しないだろう。だが、本当に名物となるようなものなのか?」


 僕がなにを作ろうとしているのか、それがどんなものなのかは、既に他のみんなへ説明してある。事前に確認をしたけれど、誰もが『聞いたことがない』『似たようなものもないはずだ』と言っていた。


「あたしも、受けるとは思えないよ」


 パルケルさんが追従する。


「王都は、胡麻ごまの一大生産地なんだよ? そこで育まれた王都風の料理は、洗練されてる。なのにきみのアイデアは……悪いけど、話を聞く限りなんの工夫も感じられなかった。誰も考えついたことがないっていうより、誰もやらなかっただけに思えるよ」


「心配いらない」


 僕の隣にいるカレンが、自信満々に胸を張った。


「スイが言うんだったら間違いなく美味しい。私もどんな味なのかよくわからないけど……スイの作った料理が美味しくなかったことなんて、今までないから」


「そう持ち上げられるとやりにくいなあ……」


 僕は苦笑した。

 だけど心の中に、不安はあまりなかった。


 確かに、メインディッシュを張れるようなものではないし、斬新な調理法でもない。説明されてピンと来ないのも納得できる。


 だけどそれゆえに、受け入れられるんじゃないかと思うのだ。


「ショコラにはミルクあげるから、少しの間、待っててくれな」

「わうっ!」


 存分にやっておいで、とばかりに元気よく吠えるショコラへ手を振って、厨房へ入る。


 よし——じゃあ、始めるか。



※※※



 最初の工程は、出汁だしだ。

 まずここで、絶対に王国にはないであろう材料を使う。

 乾燥昆布である。


「スイはその海藻、なんで持ってるの? 市場には売ってなかったよね」

「こんなこともあろうかと荷物の中に入れておいたんだ」

「そう……スイがそれでいいなら私はもうなにも言わない……」


 カレンが何故か冷めた目をしている。いやだって料理するかもしれないじゃん。実際にすることになったじゃん。こんなこともあったからいいんだよ。


「昆布は沸騰する直前で取り出す。ここが難しいなら水出しでもいい。ひと晩くらい水につけておけばOKだよ」


 昆布出汁を使ったのは旨味を補強するためと、王国内に需要を生むためだ。聞けば、この手の海藻はごく一部の地域を除き食用にすることはなく、むしろ網にかかる邪魔物扱いされているという。


「続いて練り胡麻にこれを合わせる」


 練り胡麻は、昨夜のうちに下準備を済ませてある。

 水に浸けてふやかしておいた胡麻の水気をよく切り、とにかくる。原型がなくなってもひたすらすりこぎ棒を回し続けるとやがてどろどろのペースト状になってくるので、出汁を少しずつ入れて伸ばしていく。


「で、これを布です」


 胡麻の殻が取り除かれて不純物の一切ない液体になったら、


「濾したものを鍋に移して、片栗粉と塩、砂糖。それからほんの少しの白ワインを入れて混ぜる」


 ここの工程は少しだけ、元来のものと違う。


 本来なら葛粉くずこを使うところだが、葛粉があるかどうか定かではないので片栗粉。同じ澱粉質でんぷんしつだから大きな問題はないはず。また日本の料理酒もないため白ワインで代用。

 

 こちらの世界の胡麻は地球のものと風味がやや違っておりわずかな辛みもあるから、味の調整は慎重にする。

 自分の舌で確かめつつ、できるだけニュートラルな感じになるよう注意して、


「火にかける。じっくり弱火で、じわじわと煮詰めていくと、やがてこんなふうにどろどろしてくる。ヘラで絶えずかき混ぜるのを忘れずに、パンケーキの生地みたいになったら、器に入れて冷やす」


 今回はカップに入れて小分けに。

 この世界の胡麻はあっちの黒胡麻に輪をかけた、深い黒色こくしょくをしている。きっと薬味やくみの色が映えて視覚的にもいい感じの料理になるだろう。


 魔術で作ってもらった氷で充分に冷えたら、ひとまずの完成だ。

 僕は一同に振り返り、並んだカップに視線を促しながら告げる。


「これが、僕の暮らしてた国の、胡麻を使った伝統料理。……胡麻豆腐ごまどうふだ」



※※※



 胡麻豆腐。

 名前とは裏腹、正確には豆腐ではないことで有名なやつだ。


 外見が豆腐によく似ていて、だから便宜上そう呼ばれているだけだが、実際は練り胡麻を澱粉で固めたもの。ねっとりとした食感と濃厚な胡麻の風味を楽しむそれは、酢味噌や醤油で食べるのが一般的だが、現在においては様々なアレンジレシピが考案されている。 


「とはいえ、まずは素材の味を確かめて欲しい。そのまま食べてみて」


 カップを渡す。各々が匙ですくって口に入れる。


「なんとも不思議な食感だ。車厘ゼリー蒸し卵プリンのようでいてまったく違う。なんというか……」

「ねっとり? 口の中に貼り付くみたいで、でも嫌な感じはしないね」

「うむ。胡麻以外の味はしないようではあるが、なにか奥深いな」

「ん。ノアップ殿下の感じたそれは、旨味っていう。海藻が出した味」


 カレンがものすごいドヤ顔で解説していた。

 いやまあ、いいけど……。


「じゃあ次は、味付けをしたやつを。コースの前菜、もしくは家庭料理の副菜だと思って食べてみて」


 今度は三種類ある。

 刻んだチーズを振りかけたもの、バジルソースを絡めたもの、コンソメのジュレを乗せたもの。


「……っ! これは」

「ほわあ……」

「……美味しい」


 その反応に、こっそりとガッツポーズを取る。


「複雑な味が口の中に広がっていくな。しかも後を引く」

「ねっとりと舌にまとわりつくから、長く風味が残るんだね。食感が面白い。噛んでるうちにいつの間にか溶けていく。これ、前菜にしたら食欲が増すよ」

「酒のともにもよさそうだ。濃厚な味に杯が進む」

「ん。すごくすごい。さすがスイ」


 最近わかってきたことがある。

 うちのカレン、味レポあまり上手くないね……?

 まあ喜んでくれてるの、顔でわかるからいっか。


「そしたらこっち。デザートとして作ってあるから、印象を一度まっさらにしてから食べてみてくれると嬉しい」


 最後に二種。

 クリームチーズに砂糖を混ぜて練ったソースを乗せたものと、カラメルソースをかけたものだ。


「んん〜〜〜〜〜っ!」


 真っ先に口に入れたパルケルさんが、悶絶しながら足をじたばたさせた。


「これは……なんとも。素晴らしいな」

「いい。すごくいい」


 続いてノアくんも、カレンも、顔を綻ばせる。


「甘味を添えると、先の品とがらりと印象が変わるな。確かに胡麻自体、どのようにも使われる食材であるが……品そのものが前菜にもなり肴にもなり、デザートにもなるとは」


「デザートに使うなら本当は、昆布出汁を抜いた方がいい。今回はそのまま使ったけど、より上を求めるなら昆布のわずかな香りが邪魔をすると思う。もっとも、白ワインでだいぶ消せてはいるね」


「この舌触りは癖になるよ。そっか、クリームチーズに似てるのか……一緒に食べると混じり合って、とても芳醇ほうじゅんだよ」

「ね、スイ。これ、食べさせてくれたもの以外にも、いろんな料理に使えるんじゃないの?」


 カレンの言葉は当を得ていた。


「うん。僕が作ったものはあくまでサンプルだよ。たとえばこれ単体じゃなくてサラダに混ぜてもいいし、汁物スープに浮かべてもいい。煮浸しにえるのもありだ。そうすると、胡麻油を使うのとはまた違って、胡麻の風味を食材と分離させることができる。全体が胡麻に染まるんじゃなくて、アクセントになる」


「最初に説明を受けたのと随分、印象が変わった……この料理には、可能性があるな」


 しみじみとしたつぶやきに、僕は頷く。


「ノアくん。は、料理の主役にはあまり向かない。でも、味付け次第でどんな場所にも納まるし、一品足すことでコースが、食卓が豊かになる」


 昨夜、胡麻豆腐はどうだろう、と閃いたのはきっと、僕が日本人として育ったことだけが理由ではない。


 ノアくんの話を聞いた。

 彼が自分のことをどんなふうに考えているのかを察した。

 家族に対してどんな想いを抱いているのかを知った。


「これは、どんなアレンジをしてもいいんだ。前菜としてでも、サラダとしてでも、箸休めとしてでも、デザートしてでも、酒の肴としても。んだ」


 ノアくんが、はっとする。

 目を見開いて、僕を見ている。

 だから僕は、その視線を受け止めながら言う。


「だけど、どんなソースがかかってても、だ。バジルソースをかけたって、肉の味に浸したって、カラメルで甘くしたって。濃厚な胡麻の風味をダイレクトに舌に伝える……その


「スイ、それは俺の……」

「ノアくん……ノア。こいつをきみの名前と一緒に発表しよう」


 僕は、友達の名を、呼んだ。


「きみがいなきゃ、僕はこいつを作ろうと思わなかった。そしてこいつはいずれきっと、王都の食卓に並ぶことになる。きみの名前を前に、いろんな人たちが頭をひねる。どんな味付けにしようか、どんなソースが合うかって。そしてきみは、自分で名乗る必要もなく、みんなに呼ばれるはずだ。お酒を片手に、こいつをさかなに飲んでいる人たちに……『ノアップ殿下に乾杯』って」


 その言葉を聞いて。

 ノアの瞳に、火が灯る。


 にやりと不敵に笑むその仕草に、虚勢はない。かといって無防備でもない。


 第三王子としての威厳と、歳相応の男の子としての稚気ちきを絶妙に混じらせた——これまでのすべてを否定せずに受け入れた、理不尽に挑む少年の顔で、彼は言う。


「俺と同じで地味なのは否めんから、根回しが要るぞ。まずは王都に馴染みの料理店レストランがあるから、そこから広めていく」

「もちろん、それだけじゃないんでしょ?」

「無論だ。俺を監視している貴族に、敢えて利権を渡してやる。確か、領地で堅香子かたくりの生産をやっていたはずだからな。海辺の領地を持つ貴族もいるから、海藻の買い付けをやらせればいい。彼奴らは選ぶことになるだろうさ。……俺をおとしめて利権を失うか、側室を送り込むのを諦めるか」

「面白いね、そういうやり方」


 じわじわと悪い顔になっていくノア。


「だが、最終的にレシピは大々的に発表し、民草が家庭でも作れるようにする。計画的にやらねばならん。王家のみなにも助力を乞おう。くく……面白くなってきた」


 ノアは拳を握り、昨夜みたいに僕の胸に、がっしと押し付ける。

 けれど昨夜とは違い——そこから伝わってくるのは、あたたかさではなく熱さ。





「父上と母上を驚かせてやる。協力してくれるよな、スイ」

「ああ、もちろん。僕らの……この戦いで、きみは家族を幸せにするんだ」

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