家族のことを想っているなら

 ノアくんの顔は、晴れやかだった。


 王族として振る舞うのはその奥にあるを通すため。

 我を通しているのだから、後顧こうこはない——。


 なるほど確かに、上手いやり方なんだろうなと思う。少なくとも王家の——ノアくんの足を引っ張ろうとしてくる奴らに、対抗はできているのだから。


 だけどそれを聞かされた僕の心は晴れない。


「……と、いう訳だ。面倒な事情を抱えている身で申し訳なく思う。お主に迷惑はかけないと断言できないのもつらいところだ。だが少なくとも、お主が自分から、王家と政治のあれこれにつっこんでいく必要はない。そういうものなのだと思っておいてくれれば、向こうも手出しはしてこないだろう」


 ——そうじゃない、違う。


「僕のことは関係ないよ。ノアくん、きみのことだ。……これは、?」


「俺のことを案じてくれているのか? 嬉しく思う。が……なに、。ただ態度と口調をつくろいさえすれば向こうも口が出せなくなるのだ、安いものさ。それにこの程度のこと、誰しもやっているだろう? 人はみな、仮面をかぶって生きるものだからな」


 世の中を上手く渡る、そのために体裁を繕う。仮面をかぶって自分を偽る。


 なるほど真理だろう。人間社会においては大なり小なり必要な技術だ。僕もこっちへ来る前は、当たり前のようにやっていた。


 だけどやっぱり、ノアくんのそれには違和感があった。

 言っていることは正論だけど、論点をずらされている——そう感じた。


 たとえば僕の知るところだと、トモエさん。

雲雀亭ひばりてい』の看板娘である彼女は、普段はお嬢さま然とした上品な言葉遣いをするが、地の性格はまったく反対で、口も悪ければ品もよろしくない。彼女は気の許せる仲間の前以外では、ずっと仮面をかぶって生きている。


 だけどトモエさんのあれと、ノアくんのこれは、決して同じものではない。


 考え込む。すっかりぬるくなったワインがテーブルの上で揺らめくのを見詰めながら、違和感の正体を探り、考えて。


「そうか」


 僕はようやく、違和感の正体に気付いた。


「ノアくん。今から失礼なことを言う」

「なんだ、どうした? 別になにを言ってくれても構わんが、お手柔らかに……」



「きみが外面そとづらを繕っているのは、からだろ?」



 ノアくんの——動きと表情が、固まった。


「なん、だ。それは、どういう」

「気ままに生きたい。王宮に囚われたくない。自由に生きていたい。……それはきっときみの本心で、やりたいことだ。だけど一方で、きみの心は王宮を向いてる。王宮の中……家族のことを、なによりも案じている」


 気付いたのは、似ていたからだ。

 彼の目が——ついこの前までの、母さんの目と。


『母親』であろうと努力し、その奥にある不安に押し潰されそうになりながら、それでも僕らのために笑っていた母さん。

『好きに生きている』と胸を張り、だけど一方で家族のため、両親のために体裁を繕っているノアくん。


「王さまと王妃さま……きみの父さんと母さんはきっと、きみのことを笑って送り出したと思う。話を聞くだけで、いいご両親だってわかる。でもきみは、それに負い目があった。ご両親が王族としての責務を果たしているのに……めんどくさい連中の矢面に立たされてるのに、自分ひとりだけ出奔しゅっぽんしたことに罪悪感があった。だからせめて自分を偽ることで、王族らしく振る舞うことで、家を出た責任を取ろうとしてる」


 こんな暴言を吐く僕に、ノアくんは怒るかもしれない。

 嫌われるかもしれないし、傷付けてしまうかもしれない。


 だけど、我慢ができなかった。

 だってきっと、この人たちは、この家族は。

 本当はごく普通の、当たり前の——どこにでもいるありふれた、幸せになってもいい人たちなのに。


「ご両親と同じ苦労を背負い込んだからって、それが胸を張って笑える理由になるの? 足を引っ張ってくる奴らを介して絆を繋ぐなんて、しんどいだけじゃないのか」


 ノアくんはうつむいた。

 拳を握り、震わせる。床を睨みながら、血を吐くようにつぶやく。


「お前の……言う通りだ。胸を張れるはずもない、しんどいに決まっている。だが、仕方ないだろう? 俺には立場がある。王家に生まれた定めがある。そこからは逃げられない。俺は俺である以前に、王族なんだ!」


「仮面をかぶることで上手く世の中をわたるのは、確かにみんながやってることだよ。でもきみは、自分のことをあくまで王族として語る。鏡を見る時でさえ仮面をかぶったままだ」


「それのなにが悪い!」


 そしてとうとう——激昂した。

 立ち上がったノアくんはテーブル越しに僕へ詰め寄ると、胸倉を掴んで睨みつける。


 それは怒りによるものだろう。けれど同時に、どこか縋るようで。


「父上も母上も……戦っている。くだらない理不尽に耐えている。出来損ないの俺が弱みになっているのに、庇ってくれている」


「きみのご両親が戦っている理不尽は、避けられないことなんだろうね。でもきみは……戦ってるってよりも、折り合おうとしてるように思う。きみ自身が、きみの心を諦めてるように見える」


「ならば! どうしろというのだ!?」


 テーブルが揺れ、ワインが倒れた。

 僕に詰め寄ったノアくんは、感情を剥き出しにして叫ぶ。


「俺には、力がない! お前のように誰しもを黙らせられるような……森の奥、誰も手を出せない場所で生きられるような、圧倒的な強さが!」


「力で解決できることなの? だったら何故、僕に『手伝って』と言わないの? 僕は国も手を出せない『天鈴てんれい』の息子だ。なんなら、今すぐ外に出て、きみを監視してる奴を黙らせてこようか。……ショコラ」

「わうっ!」


 僕の呼びかけに応じ、ショコラはたんっ、と起きあがってひと吠えした。

 いつでもいいよ、とばかりに、窓の外へ牙を剥き、頭を沈めて身構える。


「きみが頼むなら、やってもいい。取っ捕まえて拷問して、命令してるのが誰かを吐かせて、母さんとおばあさまに頼んで潰してもらおうか」


 もちろん、はったりだ。

 僕に拷問をする度胸はないし、なにより貴族に手を出して国の政治に加担するなんて、そんな柄じゃない。


 僕のそのブラフを聞いて。

 ノアくんは血相を変えて、叫んだ。

 

「なにを言う……お前を巻き込むわけにはいかんだろう!」


 さっきの激昂とは打って変わって、どこか泣きそうな顔で。

 真摯な——僕のことをただ案じる、そんな顔で。


「俺がお前に会いに来たのは、お前にそんなことをさせたいからではない……。ただ、顔が見てみたかったのだ。会って、話がしてみたかったのだ」

「それは、どうして?」

「尊敬する人の息子だったというのもある。『天鈴』さまを寿ことほぎたいという思いもあった。だがなにより……お前は。母上から聞かされたお前は、俺の目に、ただただ偉大だった」


 王妃さまからの手紙。

 そこに書かれていたのは、僕の——。


「母上は書いていた。『天鈴』さまのご子息は、この世界に帰還してまず、コンソメ……優れた携行調味料を発案した、と。その魔導で地位や権力を求めるのではなく、お前はなによりも先に、民の暮らしをよくすることを望んだのだ。冒険者のみなが、人々が、手軽に美味いものを食べられるようにと」


 ノアくんは微笑む。

 胸倉を掴む手は、いつの間にか拳になっていた。

 なにかを託すように、それを僕の胸に当てて。


「そのありふれた思いを、尊いと思った。民を笑顔にする——俺たち王家がまず最初に為さねばならないことだ。それをあっさりとやってのけたお前が、羨ましかった。顔も性格も知らんのに、尊敬した。だから……会いたいと思った」


「……そっか」


 ノアくんの拳から伝わってくる熱に、心があたたかくなる。

 

「そんなふうに思ってくれていたんだ。僕のしたことを……僕がやりたかったことを、そんなふうに。ありがとう」


 父さんがかつて成し遂げた功績を知り、その大きな背中を知り、悩んだ。

 僕はなにをしたいのか、なにができるのか。

 悩んで、迷って、自分の思いと向き合って——辿り着いた僕の答え。


 それを、その思いと答えを。

 この人は、ちゃんと見てくれたんだ。


「でも、ノアくん。だったらなおさらきみは、僕を巻き込む勇気を持たなきゃいけない。僕のことをそんなにも理解してくれてたんだったら。僕のやったことを尊敬してくれるって言うなら。僕に頼ってほしい。手伝ってくれって言ってほしい」


「なにを……? それは、どういう」


「さっきのは嘘だよ。僕に拷問なんてできない。暴力や権力を笠に着て大暴れする気概もない。僕にあるのは、家族を大切に思う気持ちと……みんなに美味しいものを食べてほしいっていう願いだけだ」


 ノアくんの肩に手を乗せる。

 力を込めて握り、不敵に笑んでみせる。


「要はきみが、王族として有能であることを示せばいいんでしょ? 国に多大な貢献をすればいいんでしょ? 王家の邪魔をする人たち、きみの足を引っ張ってくる奴らもまとめて、ぐうの音も出ないほど、笑顔にすればいいんだ」


 夕ご飯をご馳走になった時にはもう、僕の頭の中にはあった。

 その時は漠然としたアイデアだった。


 けれどノアくんの話を聞いて、彼の抱えているものを知って、彼に対する僕の思いを知って。

 だったらが使えるんじゃないかと、閃いたんだ。






「スイ。お前、なにを考えている? なにをするつもりなのだ」

「きみと僕とで、王都の新しい名物料理を作ろう。かつて転移者が発案したっていうハルヴァみたいな……新しい伝統になるようなやつを」

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