ようこそ、大伯母さま
庭の隅、ジ・リズの背から降り立ったその姿に、僕は一瞬ぽかんとした。
七十歳を越えた方だと聞いていた。だからまあ、失礼ながら、それなりのおばあちゃんを想像していたのだ。
なのに——若い。いや若いとかそういうレベルじゃない。母さんより歳下、どうかすると僕と同年代にすら見えた。
深窓のお嬢さま、みたいな風情の漂う人だった。
立ち姿はしなやかで背筋が伸びていて、どことなく気品が漂う。貴族っぽさ、という形容はたぶん合っているんだろうな。侯爵家に生まれ育った人なんだから。
セーラリンデさんはまず、ジ・リズに頭を下げてお礼を言う。ジ・リズは鷹揚に頷き、僕らに「あとは水入らずで過ごすがいいよ」とひと声かけると、早々に飛び去っていってしまった。なんだか気を遣わせちゃったな……。
母さんに促され、セーラリンデさんが歩いてくる。
綺麗な人だと思う。でもやっぱりドキドキしたりなどは全然なかった。逆に——懐かしさにも似た「ああこの人は僕の親戚なんだな」という、しみじみとした感情が胸に湧いた。
僕とカレンの前で立ち止まる。
挨拶をしようと口を開くより前に、自分の胸に手を置き、膝を曲げ、目を伏せて頭の位置を下げた。カーテシーにも似た、たぶんこっちの世界における礼だ。
セーラリンデさんは、言う。
「スイ、カレン。……こんなに大きくなるまで顔を見せもしなかったこと、お詫びしてもしきれません。つまらない負い目が、長いこと私を
「顔をあげてください。ええと……大伯母さま、とお呼びしてもいいですか?」
「そう呼んでもらえる資格が、私にまだあるのなら」
「いやそんな、資格だなんて……」
困ったな。
そんなに
ちらりと横のカレンを見れば、完全に置物と化していた。僕の視線に気付いてシリアス顔でこくりと頷く。こいつ——全部を丸投げする気だ……!
母さんもなにを言ったものかちょっと困っているようだ。どうしよう、僕としてはごく普通に、親戚として接して欲しかったんだけど……いやよく考えると僕も親戚付き合いなんて一切したことなかった。ダメじゃん。
「すい、このひと、おともだち?」
ミントである。
彼女は無垢な瞳できょとんとしながら、僕とセーラリンデさんを順番に見、こてりんと首を傾げる。かわいい。そしてそのかわいいに、僕は勝機を見た。
「ミント、この人はね、僕らの親戚のセーラリンデさん。ヴィオレ母さんの伯母さんで、僕らの大伯母さんにあたる人だよ」
「おばさん? おーばさん?」
「血縁とかまだわかんないか。ええとね……」
少し考え、僕はミントにこう説明した。
「僕らの大事な人だよ。……ご挨拶できるかな?」
「だいじ……みんなの、だいじ? だったら、みんとの、だいじ!」
ミントはセーラリンデさんのところへ歩く。そうして緑色の
「せらりんで。こんにちは、みんとだよ!」
セーラリンデさんは、目を丸くする。
だけどすぐにその目は細められていく。青く透き通った瞳に切なげな色が満ちる。幼子を前にして、どこか遠くのなにかを想っているような、そんな顔になり——。
しゃがみ、ミントの頭を撫でながら、彼女は笑った。
「はじめまして、ミントちゃん。私はセーラリンデ。そうね……ヴィオレお母さんの伯母さんだから、おばあちゃん、って呼んでくれると嬉しいわ」
「おば、ちゃん? ばあば?」
「ふふ、そうよ。ばあば」
「ばあば! ばあば!」
ぎゅっと抱きついてくるミントを、セーラリンデさんは優しく抱き締め返す。
その瞳にはわずかに、涙のようなものが浮かんでいた。
※※※
ミントのおかげで、セーラリンデさんはどこか吹っ切れたようだった。
僕らにも「私のことはお婆ちゃんと呼んでください」と笑み、順番に僕と、それからカレンを抱擁する。腕に込められたか弱くもしっかりした力には万感が乗せられているようだった。
それからショコラとポチにも丁寧に挨拶をしたのち、セーラリンデさん——おばあさまは、庭の隅、花畑の方へと歩んでいく。
そこに建てられた石碑。ミントに加工してもらい、最初のものよりもお墓らしい姿になったそれの前で、おばあさまは
「……長い間、不義理をしました」
声にあるのは悔恨と謝罪、なによりも真摯な色。
「今更か、とあなたは笑うかもしれません。ですがどうか言わせてください。カズテル……あなたとヴィオレの結婚を、心から祝福します」
「……っ」
母さんが息を呑んだ。
込み上げてきたのだろう感情を、無理矢理に笑みの形にする。
「ありがとう、私の愛しい姪を幸せにしてくれて。ありがとう、ヴィオレたちを守ってくれて。ありがとう、目の曇っていた私に……こんな未来を見せてくれて」
——母さんから聞いた。
おばあさまは昔、結婚していて、旦那さんと息子さんがいたそうだ。
幸せな家庭だったらしい。
なのに旦那さんは事故で、息子さんは病気で、この世を去ってしまう。彼女はひとり遺されて、その喪失を抱えたまま長い時間を生きてきたという。
僕らは父さんの死に際し、悲しみを分け合うことで乗り切れた。だけどこの人は、たったひとりで家族の想いを、無念を背負わなきゃならなかったんだ。
「あっちでも、僕にはお前がいたもんな」
「くぅーん」
傍らでおすわりをするショコラに視線をやると、頷くように喉を鳴らす。
あの時、僕は自分が天涯孤独になったと思った。ただ正確には孤独じゃなかった。だって、
あの時の僕が、ショコラなしに父さんの死を受け入れられたかと言われたら、絶対にできなかった。
セーラリンデさんはどんな気持ちだったのだろう。どれほどの痛みだったのだろう——。
長い黙祷を終えてセーラリンデさんが顔をあげるのを見計らい、僕はつとめて明るい声で言った。
「おばあさま。ご飯、一緒に食べましょう」
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