血の花が咲く
部屋の扉がノックされたのは、夜明けよりも前だった。
ノックに気付かず夢の中にいた僕を、入ってきた母さんが揺すって起こす。急かす声だった。僕は寝ぼけ
が、
「急いで。あの草が開花するわ」
そのひと言に感慨は吹き飛び、目は一気に冴える。
僕はベッドから飛び起き、呆然とつぶやくのだった。
「……え、もう?」
※※※
着替える暇もなくそのまま庭に出た。
ただそのわずかな間に、いろんなことを考えた。
まず頭によぎった後悔は、ジ・リズに相談しとくべきだったかなということ。
思い返してみれば
だって本当にジ・リズへ相談する必要を感じていたのなら、昨日のうちにさっさと連絡を取って、来てもらえればよかったのだから。
僕は『様子を見よう』という結論を出した後、家へ上がり、お土産を整理し、お風呂に入ってご飯を食べて、のほほんと就寝した。
何故、ゆうべのうちに相談しなかったのか。
そして開花しようという今になって何故、相談しとくべきだったかなどと考えるのか。
答えは明快。僕は——見てみたかったのだ。
そしていざその時になって、結果を見るのを怖がっているのだ。
あのでかい植物にすごく驚いたし、警戒した。
アルラウネの伝承を聞かされ、悪いものじゃないのかもしれない、と思った。
逆に、もし悪いものだったら自分で始末をつけると決めた。その覚悟はしたし、今も変わらない。たとえ人の形をしたものであろうともやらなきゃならない。
それでも、見てみたかった。自分の目で見、知りたかった。
あの大きな草が育ちきった先を。我が家の庭に生えたその意味を。
ただ一方で怖くもある。僕のこの期待と高揚が裏切られた時のことが。
そしてなにより——期待し高揚するなんて行為そのものが、生まれてくる生命に対する、身勝手で残酷な
生命に罪もなければ善悪もない。ただ生まれてきて、自然のままに育ち、殺し、殺され、生きて、死んでいく。僕はそのことをあの日、
門を出て、解体場に着く。
見れば母さんだけじゃない。カレンも、ショコラも、そしてポチまでもが起きてきて、草の開花に立ち合おうとしている。ポチなんかは少しおっかなびっくりと、門の中、庭からじっとこっちを見ている。
「ショコラ、僕は大丈夫。だからポチのそばにいてやって」
「わうっ」
僕がショコラにそう言ったのは、本当にポチを心配してのことだろうか。
単に、僕の無様で身勝手な内心に、気付かれたくなかっただけではないのか。
「ああ、もう……」
なんだか頭がぐちゃぐちゃだ。
それでも僕は、見かけ上は
カレンがそっと横に立ち、手を握ってくれたことに安堵しながら。
草の前に立った。
昨日の時点では閉じていた葉っぱが、開きつつある。
最も外側のものはもう放射状に広がり、そのひとつ内側のもの、更にもうひとつ内側のものも。じわじわとしかししっかりと、動いているのを知覚できるほどの早さで、育っていく。
きっと母さんは一晩中、こいつを見張ってくれていたのだろう。だからすぐに知らせることができたのだ。未熟で
ありがとう。
背後にいる母さんの気配に胸をあたたかくする。
そしてその間にも、開花は進んでいく。
葉が一枚、また一枚と開いていき、ついにその中——茎にあたる部分が姿を見せる。僕は息を呑んだ。たぶんカレンも、そして母さんも。
子供、だ。
少なくとも外観からはそう見える。
五歳、六歳、そのくらいか。
自分の身体を掻き抱くように両腕を交差させ、薄目を開けている。
下半身は葉の生えた根元に埋まっていて、足はないようにも見える。
髪は緑色——まるで葉のような。
瞳は
そして側頭部にひとつ、紫色をした蕾。
——なにかが。
僕の中でなにかが、
交差された腕が
身体の要所要所が
それが顔を上げると同時。
側頭部にくっ付いていた花が、開いた。
それは紫色の——
「……あ、あー……」
それの喉から声が洩れる。
やっぱり幼い女の子みたいな、高くて可愛らしい声。
「あー……うー!」
にぱっ、と。
その子が笑う。
僕は一歩ずつ近寄っていく。
可能性だけを見るのなら、その笑顔は罠かもしれない。アルラウネの原種であるマンドレイクは、人の形をした上半身で獲物への警戒心を弱めて誘き寄せ、捕食するという。この笑顔がそうでないと言い切れる理由などなにひとつない。
ただ、理由はなくても確信があった。
だって、これは。この子から感じる魔力は。
「……まさか、こんなことが」
震える声で、背後の母さんが呆然とつぶやいた。
「スイくんの、カレンの、私の……ショコラとポチの。それに、ああ、なんてこと」
入り混じっている。
「昨日、母さんが言ったとおりだ」
アルラウネは、生物の死体を苗床に、土地の魔力を吸って育つという。
生物の死体とはつまり、僕らがこれまで狩って食ってきた、森の獣たち。
そして土地の魔力とはつまり、ここ『
「この家の魔力……うちの家族、みんなの魔力だ」
ヴィオレ=ミュカレ=ハタノ。
カレン=トトリア=クィーオーユ。
ショコラ。
ポチ。
そして庭に遺髪が埋まっている、波多野
「ジ・リズの血は、やっぱり浄化だったんだ。僕らの魔力が悪いものに転じることがないように、この子が良く生まれるように」
僕は、その子に向かって手を伸ばす。
ゆっくりと、確かめるように、頬に手を添える。
「うー……あはっ」
その子はじっと、つぶらな瞳でこっちを見ていたが——やがてきゃっきゃと笑い、僕の手に頬を擦り付けながら嬉しそうに、楽しそうな表情を浮かべた。
だから僕は振り返り、ことを見守る一同へ穏やかに問うた。
「この子の名前、なんにしよう?」
——夜が、明ける。
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