悩みの種がありまして
日が暮れてからは宴となった。
集落の中央に広場があり、そこで
主食となるのはパン。
山の
製粉や発酵の技術は、おそらく地球の方がはるかに優れているだろう。だけど
なんでも丁寧にアク抜きした
木の実というのは栄養価がすごく高い。だから食べると力がわいてくるような、元気になるようなパンだ。しかもこれがLサイズのピザを膨らませたみたいな形状で焼きあがってきて、どんどんと山積みになるのである。八等分にカットしてもなお、片手じゃ持てないほどの大きさ。
パンの付け合わせとして盛られたのは肉や野菜、そしてチーズ。
肉と野菜は火の通っていない
僕とカレンと母さんの三人は、肉や野菜を串に通してじっくり炙ってからいただく。味付けは香草と岩塩のみだが実質バーベキューなので美味しいに決まっている。パンに挟んで食べるとなおよい。チーズと合わせると更によい。
ああ、パンも家で作りたいな。帰ったら石窯を作ってみようかな。
パンを膨らますのってイーストなしでもいけるんだろうか。家の書斎に『発酵のすすめ』があるから読んで調べてみよう。
そして、未成年の僕にはこれまでほとんど馴染みのなかった——お酒。
山羊と羊、牛のミルクをブレンドして作った乳酒だそうだ。
白くしゅわしゅわしていて、独特な匂いがした。母さんはお酒が久しぶりとのことで、ちびちびと、だけど美味しそうに、そして楽しそうに飲んでいた。
カレンも一杯だけと飲んだはいいが、顔を赤くしてぐんにゃりとなり、にこにこしながら僕にしなだれかかっている。——わざとじゃないよね?
もちろん僕は遠慮させてもらった……味が気になったので、ほんのちょっとだけ舐めてはみたけど。かなり独特な味に感じるのは、僕にお酒の経験値がないせいか、それとも乳酒に馴染みがないせいか。まあ、いずれは一家で晩酌する機会も訪れるかもしれない。
「母さんが飲むんなら、家で作るのもありかもなあ」
果実酒——
人間組が焚き火を囲うところからやや離れた場所では、ショコラとポチが仲よくご飯を食べている。ショコラはでかい生肉、ポチは山盛りの牧草だ。
「ショコラとポチも楽しそうでよかった。美味しいか?」
「わうっ! はぐはぐはぐはぐ」
「きゅるるるぅ! はむはむはむはむ」
「まっしぐらだった」
牧草はどうも我が家で育てているのとは違う品種らしい。種をもらえることになったので植えてみよう。ポチも味の種類が多い方がいいよね。
「んー……ショコラが、にひきいりゅ。ポチはさんとう……」
「いないからね? というかカレンは大丈夫なの」
「らいじょぶじゃない。えへへ……」
でれでれというかどろどろしながら僕に体重を預けてくる。柔らかい身体が無防備に押し付けられるので落ち着かない。お酒も飲んでない僕の心臓をどきどきさせないで欲しい。振りほどく訳にもいかないし。
「このお酒、少しいただいて帰ることはできる?」
「いいですよ。でも、すぐすっぱくなるから、はやめにのんで」
「ああ、あまり保存は効かないのね。悩ましいところだわ」
母さんがお酒を気に入ったようだ。やっぱり家で作るかな……。
「どうだ、楽しんでくれているか?」
思案していると背後から巨きな気配。
ジ・リズとミネ・アさん、
「おかげさまで。歓待、本当にありがとうございます」
「あら、こちらこそあんないいお肉をいただいてしまって。ありがたいです、深奥部で獲れた獣なんて滅多に食べられるものじゃないですから」
「できるだけ多く持ってきたんだけど、足りるかどうか」
「充分ですよ。ラミアたちも数が多いとはいえ、そんなに多く食べるわけではないですから」
里に棲むラミアたちは三十名ほど。
正確にはデルピュネ族、というらしい。その中で雄を『ナーガ種』、雌を『ラミア種』と区別する。ただナーガ種はこの里にはおらず、全員がラミア種とのこと。
デルピュネ族は卵生であるが、ラミア種だけでも単為生殖で卵を産めて、その場合、
なので里には子供のラミアも何名かいる。小さくて尻尾での蛇行もちょこちょこしており、めちゃくちゃかわいい。
どうしてナーガ種が里にいないのかとか、どんな
ただ「わたしたちはジ・リズさまとミネ・アさまにであえて、とてもしあわせ」と皆さん口々に言っていたし、だったらそれでいいかな、と。
ジ・リズとミネ・アさん、それぞれの背中で丸くなっている小さな竜の
「お子さんたち、よく寝ていますね」
「おう、遊び疲れたんだろうなあ」
「ショコラちゃんとポチちゃんはまだまだ元気ですのにねえ」
「僕らも楽しかったです。子供とはいえ、竜は速いですねやっぱり」
追いかけっこをしたが、走る速度はとても敵わなかった。ショコラはついていってたけど。うちの犬すごくない?
「ふふん、そうだろう。なんせ
「親バカだったかあ」
「とはいえ、まだまだか弱い存在です。姉の方は気が弱いし、弟の方は浅慮なところがある。親としては心配になります」
「こんな森の中ですしね。でも、気が弱いというのは優しいってことです。浅慮とはいいますが、探究心
「まあ、そう言っていただけると。尾が揺れてしまうわ」
「くははは、ぬしは褒め上手だな! まあその通りなんだが!」
「いやほんとに親バカだなあんた!」
ひとしきり笑い合った後。
僕は、宴が始まってからずっと気になっていたことに触れた。
「あの、そういえば……ひとつ聞いてもいいですか?」
供された料理たちを順番に眺め、夫妻に問う。
「パンもお肉も野菜も全部美味しいんですけど……ここ、すぐそばに海が見えますよね。どうして、魚介類が出てこなかったんですか? 今日の料理には、海のものがまったく使われてなかった」
それはむしろ、不自然ですらあった。
「図々しい質問に聞こえるかもしれません。でも、前にジ・リズが海の話をしてくれた時……山は海に面していて、海岸に降りることができるって。魚を獲ってたりしてるって、そう言っていました。だけど今日いただいた料理には、海のものがまったく使われてなかった。……なにか理由があるんですか?」
単に『忘れていた』というだけなのか。
そもそも魚を食べる頻度が少なくて、だから選択肢に入っていなかったのか。
たぶん、違う。
だってラミアたちの家——軒先には、漁網と銛があった。
遠目からだったがはっきりとわかった。
ただ、今日のうちに彼女たちが漁に行く様子はなかったし、逆に漁から帰ってくる様子もなかった。
こんなに僕らを歓迎してくれているのに。
たくさんのパンを焼いてくれて、肉や野菜、チーズも供してくれた。家畜を
事情があるんじゃないだろうか。
魚を出せない、あるいは海に出られない、漁ができない。
そういった、困りごとがあるのではないか——。
「あ、あ。すみません。すみません……!」
と——。
給仕をしてくれていたラミアのひとりが急に、僕に向かって平伏した。
「さかな、あります。のこっています。でも、それはとてもたいせつで。わたしたちにひつようで。だから……」
「よいのだ、顔をあげよ」
切々と振り絞るように僕へ謝罪と懇願を始めたラミアさんを、ジ・リズが止める。
「
ジ・リズの声音にも苦渋が混じっている。
無言で仰ぎ見る僕へ彼は頷き、顎から溜息を漏らしながら続ける。
「デルピュネ族、特にラミア種にとって海の資源——魚は重要な栄養源なのだよ。魚を食べずにいると徐々に身体が弱っていく。だが事情があって、少し前から海に出ることができておらん。ラミアたちにとって、保存していた干物や
気付けば、ジ・リズだけではなくミネ・アさんも。
それどころかラミアたちも、食事の手を、給仕を、宴の仕切りを止めて。
みんなが——僕らを見ていた。
ジ・リズは言う。
「海に、変異種が居座っておる。厄介なやつだ。海中のことで儂らにもどうにもならん……スイ、なんとか助けてもらえんか」
僕は——。
立ち上がり、さっき僕へ謝ってきたラミアさんの前にしゃがみ込むと、深く頭を下げる。
「本当にごめんなさい、つらいことを言わせてしまいました。不用意な質問でした。それから……ありがとうございます。苦しい中、こんなにも精一杯、僕らを歓待してくれて」
「あ、あ……」
顔をあげたラミアさんは涙を流していた。人となにも変わらない、透明な涙。
泣かせたのは僕だ。もっと気を使うべきだった。彼女たちのいないところでジ・リズに尋くべきだった。そもそも質問の仕方も悪かった——あれじゃあ、なんで魚が出ないのかと
だからこの責任を取るのは、僕の役目だ。
「ジ・リズ、詳しく話を聞かせて」
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