宝石みたいで、かけがえのない

 かくして僕らは厨房ちゅうぼうを借りるため、『雲雀亭ひばりてい』へとおもむく。


 喫茶店の奥にある厨房はけっこうちゃんとした作りで、調理器具一式と各種材料に加え、ケーキを焼くための石釜オーブンも備わっている。お昼時を過ぎていたこともあり、コックさんも「休憩したかったからちょうどいい」と、快く使用を許可してくれた。


「お前はさすがに他所よそさまの炊事場には入れないからなあ。ごめんな」

「くぅーん……」

「待ってる間、トモエさんが縞山羊しまやぎのミルク出してくれるってさ」

「わうっ! わうわう!」


 ……という現金なやりとりを経てショコラを店の裏に残し、試作のスタートである。


「スイ、トマトをどうケーキに使うの? まさかそのきのこも……」

「いやそっちはさすがに使わないからね」


 きのこのお菓子はありません。いや日本には別の意味であったけども。


「この前、家で話した『旨味うまみ』のことなんだけど。トマトっていうのは旨味が濃い食品なんだ。こっちの世界の人たちもそれを経験則的にはわかってて、だから煮詰めてソースに使ってる」

「うまみ、というののお話をわたくしは聞いていませんが、そもそも色のせいでシデラの外ではあまり普及していませんよ」

「ええ、すごくもったいない。……でも同時に、チャンスでもあります」


 買ってきたミニトマトを調理台に並べる。通常のトマトの方は酸味が強かったけれど、こっちはしっかり甘みがあって、お菓子に向いているはずだ。


「ここからはカレンにもまだ話してないことでさ。『旨味』っていうのは、相乗効果があるんだ。植物性と動物性、成分の違う『旨味』同士を合わせると、飛躍的に美味しさが跳ね上がる。足し算じゃなくて、掛け算になるんだ」

「ん、動物性とか植物性とかがよくわからないけど……トマトとお肉を一緒に食べたら美味しい、ってこと?」

「お肉? 今から作るのはケーキなのでは?」

「動物に由来する食品は、肉だけじゃないよ。ケーキにもよく使われてて、いま、店の裏でショコラが夢中になってるもの。もしくは、それから作られたもの」


 僕は用意してもらった材料の中から、ひとつを手に取る。

 そのは、シデラで牧畜が盛んということもあって、いろんな種類のものが揃えられていた。


「トマトとチーズ。僕のいた世界のある国じゃ、鉄板だった組み合わせだよ」


 ——それを活かす道は、なにもピザやパスタだけではない。


 最初に、ケーキの土台を作っていく。


 焼き菓子の粉砕。小麦の香りが強いクッキーを選定して、麺棒めんぼうで軽く叩いて割っていく。あまり細かくなりすぎない程度で止め、熱したバターを加えてよく混ぜる。

 それを、ケーキ型の底に敷き詰めたらOK。


 続いてレアチーズ。


 クリームチーズと生クリームを混ぜながら、更に砂糖をぶち込んでいく。色と風味を付けるため、潰したブルーベリーも加える。トマトとブルーベリーはよく合うのだ。……まあこのブルーベリー、『ブルーベリーらしきもの』であって、実はちょっと違う品種らしいんだけど。でも色も香りも味もブルーベリーに近いからいけるかなって。


 ほのかに青く染まったところで一部を取り分け、ゼラチンを入れて火にかけていく。


 ゼラチンの歴史は地球においてもかなり古く、ナポレオンの時代にはすでにお菓子の材料として使われていたそうだ。以前この店でケーキをご馳走になった時、ゼリーを上に乗せたやつがあったので、異世界こっちでも普及していると踏んでいた。


 煮立たないよう火加減に気を付けながら、沸騰する寸前、ゼラチンが充分に溶けきったあたりで火から下ろし、そいつを元のチーズに戻してよく混ぜる。で、クッキーを敷き詰めた型に流し込む。


「できれば冷やしたいんだけど、氷とかがありますか?」

「お任せくださいな。わたくしの魔導は氷属性です」


 ケーキ型をトモエさんに渡すと、彼女はそれに手をかざし詠唱を始めた。じわじわと冷気が型の周囲に集っていくのがわかる。


「凍っちゃわないように気を付けてくださいね。適度に冷やすくらいで」

「かしこまりましたわ」


 チーズが固まる間に、トマトをジュレにする作業だ。


 ミニトマトのヘタを取って皮ごと潰し、水と合わせる。それを目の細かなざるで越し、皮や種だけを取り除く。


 そうしてできたトマトジュースに、蜂蜜や柑橘かんきつ果汁を加えて味を整えていく。甘みと酸味、トマトの風味、そして旨味。それらが渾然一体となるバランスを見極めつつ、ゼラチンを加えて火にかける。


 こちらはチーズと違い、一度煮立たせても大丈夫。煮立ったら火から下ろし、粗熱が取れるのを待つ。こっちはカレンの水属性の出番だ。


「お願い」

「ん、わかった」


 ボウルに水を満たし、そこに鍋を漬ける。水がぬるくなったら捨てて新しい水。それを繰り返して、熱くないけど固まってない、くらいの按配あんばいになったら、ケーキ型、レアチーズの上に流し込むと、


「あとはしっかり冷やしたら、型を外してできあがり!」


 完成。

 トマトジュレのレアチーズケーキだ。


「わあ……」


 ケーキが全容を見せた瞬間、カレンとトモエさんが感嘆の声をあげた。


「美しいですわ。透き通ってて、まるで宝石みたい」

「青と赤が重なった色合い……ヴィオレさまみたい」


 意識してはいなかったけど言われてみれば確かに、炎と氷を同時に操る母さんをなんとはなしに連想させる。だとしたら、僕がこっちに来て初めて作ったケーキとして相応しい。嬉しくなった。


「食べてみよう。僕もぶっつけ本番だったから味が気になるんだ」


 切り分けて、フォークを手に取り、いただきます。


「……っ!」


 カレンが口許を緩めながら身をくねらせた。


「これは……」


 トモエさんも驚愕の表情を浮かべている。


「うん、上手くできた」


 トマトの香りはチーズやベリー、それに土台のクッキーと複雑に絡み合い、調和してくれている。甘みはクリームチーズが、酸味は柑橘果汁がそれぞれ補い合い、トマト特有の青くささ、つまりを見事に消し去ってくれていた。


「クリームチーズがこっちの世界にもあったの、ラッキーだったな」


 確か地球でも比較的歴史の浅いチーズだ。製造過程で誤って生クリームを入れてしまい、偶発的にできたとかだった気がする。


 事故で偶然に発見された製法は、その事故が起きない限りこの世に存在しないが、事故さえ起きればあまり時代を問わずに出現する——たぶんこっちの世界は、幸運にも後者のケースだったんだろう。


「これがあのトマトなんですの? 信じられません。注意深く味わわないと、面影が見付かりません」

「美味しい。すごく美味しい。甘さと酸っぱさがちょうどよくて、濃厚なのにさっぱりしてる」

「ええ、それでいて、あとくちに深い味が残る……」


 トマトとチーズによる旨味の相乗効果だ。ふたりには言っても伝わらないと思うけれど、味の奥深さを形作っているものの根底に、間違いなくはある。


石釜オーブンを使わないのにも驚きました。ケーキは焼くものだとばかり思っていましたのに、まさかゼリーやプリンみたいな作り方をなさるなんて」

「ん。でもこれは間違いなくケーキ。焼かないケーキ、すごく面白い」

「あ、そうか。そういう側面もあるのか」


 自分ではまったく気付いていなかった。確かにケーキといえば基本的にはスポンジ部分を焼くもので、こっちにはその固定観念があったらしい。


 クリームチーズがなかったらベイクドチーズケーキにしようと思っていたのだけど、レアチーズケーキでよかった。


 しばらく三人ともが無言でフォークを動かしていた。

 そしてあっという間にホールの半分ほどがなくなったところで、トモエさんが口を開いた。


「……わたくしの家、貧乏だったんです」

「え」


 意外な告白だった。

 育ちのいいお嬢さまみたいな立居振る舞いをいつもしているのに——いやよく考えたらたまに、逆の言動がぽろっと出てたな……。


「きょうだいの多い家でした。わたくしは一番上で、よく面倒を見させられていました。ただ、父が冒険者として活動してた頃は、裕福でないにせよ、そこまで貧しくもなかったんですのよ? 困窮こんきゅうしたのは、わたくしが十歳の頃でしたか……父が怪我をして、それまでみたいに活動できなくなってしまってからです」


 シデラでは、ままある話らしい。


「父はそれでも他の仕事を始めましたが、お酒の量も増えて。母もあくせく働いてくれたけれど、生活は苦しくなるばかりで。食べ盛りのきょうだいたちに、ひもじい思いをさせてしまって。……そんな中でした」


 トモエさんは微笑みながら、続ける。


「なんだか世の中を斜めに見てるみたいな、いけ好かない態度の斥候スカウトです。駆け出しの頃、父に世話になったとかそんな理由で、たびたび、差し入れを寄越すようになりました。肉だったり野菜だったり、食べ物が多かったですけど……きょうだいたちの誕生日には、ケーキを買ってきてくれて」


「いけ好かない態度の斥候スカウト、って、ひょっとして……」

「しっ、スイ」


 思わず漏れた疑問をカレンに止められ、僕は口をつぐむ。


「色とりどりの果物が乗ったケーキは、まるで宝石みたいでした。隙間風の吹くあばら屋でも、それを食べている時はきょうだいみんなの顔がきらきらしていました。今ではわたくしもけっこうな高級取りになって、きょうだいたちも半分以上はひとり立ちして……貧乏な暮らしではなくなったのですけど」


 視線は赤く透明なトマトのジュレにありながら、彼女は遠くを見ていた。

 それはたぶん、トモエさんという人間の根幹にある——、


「わたくしにとって今でも、ケーキは幸せの象徴なんです。宝石みたいにきらきらして、宝石なんかよりよっぽど価値のある……幸せの形なんですのよ」


 僕は、だから。

 わざと悪どい表情を浮かべて、トモエさんに提案した。

 

「トマトって最初から銘打ったら、敬遠する人もいるかもしれません。だから最初は『湖に浮かぶ赤い宝石』とか、そういう商品名で売りだしてみませんか? それで話題になったら少しずつ、材料を明かしていきましょう」

「……それ、いいですわね。名前も涼しげですし、材料がわからなければその辺の三下喫茶店が真似しようとしてもできませんもの」


 トモエさんは打算に満ちた顔で、ぐふふと笑う。


「ともあれ、まずはわたくしがこれの作り方をにしませんと。……飲み仲間に、むさ苦しい男のくせにケーキが好きな奴がいるんですの。スイさんたちがお帰りになった後は、彼奴きゃつに実験台になってもらいますわ」


 彼女が微かに頬を染めていることを、僕とカレンは気が付いていた。




 それね、トモエさん。僕のいた世界じゃ「トマトみたいな顔」っていうんですよ。

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