展望を持ってやっていこう

 そんなこんなで、ひと通りの打ち合わせを終えた僕は、ギルドを辞したその足で市場いちばへやって来た。


 大通りの両脇にずらりと並んだ店の数々はって感じの光景で、既に何度か来ているにもかかわらず心が躍る。


 通りの脇に置かれたベンチには、待ち人が既に来ていた。

 別行動をしていたカレンと——それからトモエさんである。


「お待たせ」

「ん、だいじょぶ」

「……カレンさ。ケーキ、いくつ食べた?」


 ギルドで話し合いをしている間、カレンはトモエさんの勤める『雲雀亭ひばりてい』で待ってくれていた訳だけど……数時間ぶりに再開してみればやけに満足げな、というよりは「もう食べられないよお」みたいな顔をしていた。


 おまけになんだか甘い匂いを身体から漂わせてる気もする。


「……そんなには食べてない」

「いくつ食べたの?」

「ショコラ、おいで」

「わうっ!」

「よしよしよし」

「わふ! くぅーん」


 しょ、ショコラを撫でて誤魔化した……!


 トモエさんがにこやかにカーテシーをしながら僕へ言う。


「大丈夫ですわ。あのくらいはわたくしがご馳走しますから」

「甘やかさないでください、つけあがります」

「ん、すごく甘くて美味しかった」

「ほらつけあがった!」


 その後、代金を払おうとしたのだが固辞されてしまった。トモエさんは先行投資ですぐふふとダメな感じに笑っていた。カレンはベンチに腰掛けてショコラを撫でながら休憩していた。きみの食べたケーキの料金の話をしてるんだよ?


「はあ……まあ、なんにせよよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ。勉強させていただきますわ」


 トモエさんは『雲雀亭』の制服姿ではなく、ありふれた感じの質素なドレスを身にまとっている。髪の毛もまとめず下ろしており、意識的に華やいだ雰囲気を抑えているようで、意外に目立たない。


「街歩きにはいつもこの格好なんですのよ」

「私は正直、服のことよくわからないけど……さりげなくてかわいいと思う」

「ありがとうございます。でも、でしたら今度、衣料店をご一緒しましょう? カレンさんはお綺麗ですし、素敵なドレスをわたくしに見立てさせてくださいな。……任意の殿方も即堕ちですわよ、即堕ち」

「っ……! 近いうちにぜひ」


「聞こえてるんだよなあ」

「わう?」


 女性ふたりがきゃいきゃいと市場を歩く三歩後ろを、僕とショコラはついていく。まあ、カレンが楽しそうだしいっか。


「それでスイさん。お探しのものはなんでしたっけ」

「あ、はい。きのこ類と乾物かんぶつ、それとトマト……ですね」


 今回、市場に来た目的は調査だ。

 つまりこの国に、旨味を多く含んだ食品がどれくらい普及しているか——である。


 茸類は、旨味成分であるグアニル酸を多く含有している。こちらでもよく利用されているようだし森にもたくさん自生しているが、毒かどうかを見分けるのがまず素人には不可能だ。なので、毒がなく人工栽培されていて、かつ広く普及しているものがあるかを知りたかった。


 次いで乾物。日本人の食卓に必須の出汁だしは、ほとんどがこれだ。ただ、乾燥昆布だの魚節さかなぶしだのはあまり期待できないかもしれない。そもそも出汁の概念が薄いこともあって、貝類があればラッキー、といった程度だ。


 逆に、最も期待しているのがトマトである。西洋、特にイタリア料理で鉄板の野菜で、旨味成分であるところのグルタミン酸を豊富に含んでいる。ここの宿に泊まった際に煮込みが出てきたことから、トマト、あるいはそれによく似た野菜が確実にこの世界にあることもわかっていた。


「では近い方から見てまわりましょうか」


 トモエさんに案内されて、市場にのきを連ねる店々を片端からひやかす。


 茸は方々の店に並んであった。が、どれも森で採取したもので、人工栽培などには着手していないようだ。考えてみれば当たり前かもしれない。すぐそばにわんさか生えているものをわざわざ育てようとは思うまい。


 一応、片端から少しずつ買い集めてはみたが——これをひとつひとつ吟味して、旨味の強い品種が人工栽培可能かを検証して……となると、膨大な手間がかかりそうだ。椎茸しいたけか、あるいはそれに近いものがあれば一番良かったんだけど、どれもこれも見たことなかったり、本当に食べられるのかってくらい毒々しかったり、訳わからん形状をしてたり。やはり素人が手を出せるような分野ではない。


 そして乾物は案の定というか予想通りというか、ほとんど存在しなかった。

 シデラは海が遠いため、そもそも魚介類自体が川のものしかない。川魚でもそれなりに大きくて食い出がありそうなものは多かったが、一方でやはり昆布だの魚節だのは影も形もなく、貝の干物や煮干しですらも「そんなもん見たことないねえ」と言われる始末。


 ただ唯一の収穫として、魚醤ぎょしょうがあった。これも醤油と同様、旨味成分を多く含んだ調味料である。難点としてはかなり癖が強く、現地の人々もそんなには好んでいないそう。古代ローマなんかはなんでもかんでも魚醤をぶっ込んでいたと聞くけど、こっちは隠し味程度にしか使われないらしい。


「やっぱりなかなか思うようにはいかないか」

きのこをそんなに山ほど買い込んでおいてなにをおっしゃってますの……?」


 トモエさんからはもう、完全に変人扱いされている気がする。美人からジト目を向けられるのってなんかこう、罪悪感がすごいな……。


「乳製品なんかは豊富なんだよねえ」


 街の南側で畜産が盛んなので、牛や山羊のミルクはたくさん手に入る。そのためヨーグルトやバター、チーズなどはいろんな種類がそこかしこに売られていた。ショコラが最近お気に入りの縞山羊しまやぎミルクも売っている。物欲しそうな顔してもだめ。さっき、がぶがぶ飲んだでしょ。


「くーん……」


 耳をへにゃりとするショコラの頭を撫でていると、トモエさんが通りの先を指差した。


「そこ、トマトが売られてますわよ」

「おっ」


 野菜類が並んでいる店のひとつに目を向ける。


 山たかく積まれた赤い果実。

 てっぺんにくっ付いた緑のヘタ。漂ってくる、青みの入り混じった独特の香り。


 間違いなく、トマトそのものだ。


「ひとつもらえますか?」

「あいよ」


 無愛想なおっちゃんにお金を払い、手に取って齧る。


「うん。なるほど……」


 品種改良を重ねた地球のトマトと比べるとだいぶ酸っぱい。ただ、確かにグルタミン酸の味がする。


「トモエさん、トマトって、この世界でポピュラーな野菜になります?」

「い、いえ。王国に限定しても、決して広く普及している訳ではありません」

「それはどうして?」

「外も中も、真っ赤でしょう? 血みたいで敬遠されてるんですの。逆に、ここシデラではソースにしてよくきょうされていますわ。血みたいな色が逆に、気合いが入るとか縁起を担ぐとかで冒険者たちに人気ですの。……というか、スイさん。生でそのままかぶりつくとは、その……独創的、ですわね」


「……え?」


 見ればトモエさんもカレンも、無愛想な店主のおっちゃんでさえ、僕の行動に軽くびびっていた。


「もしかしてその、独創的、って、だいぶ婉曲えんきょく的な物言い?」

「ぶっちゃけ正気を疑っていますわ」

「ん、私もびっくりした」

「あんた、いきなりなにやってんだ。果物かなんかと勘違いしてんのか?」


「ええ……」


 初めての世界間ギャップに僕は困惑する。

 生では食べない? なんで?

 いや、確かに地球のトマトよりはだいぶ酸っぱいけど——と考えて、思い出す。


 日本で当たり前にあるトマトって、そもそもが生食せいしょく用に品種改良されたやつじゃなかったっけか。あっちの世界でも生食用のトマトってむしろ少数派で、ほとんどは加熱前提の品種だっていうこと、ネットで見た気がする。


「その……僕の故郷じゃ生でも食べるんですよ、これ。大丈夫です、正気です」


 曖昧にもにょもにょ言い訳しながら、残った半分ほどを大急ぎでむしゃむしゃとやる。確かに酸っぱい。だいぶ酸っぱい。皮も固くて厚くて口に残る。有り体にいうと、生じゃあまり美味しくない。

 今更ながら顔が赤くなる。


「トマトだけに……」

「わう?」

「……っと、その!」


 誤魔化すように僕は叫んだ。


「トマトって、この品種だけですか? もっと小ぶりのやつとかありません? 掌におさまるくらいの……」

「知ってんのか、詳しいな。さすが生で食うだけある」

「いやそれはもういいですから……あるんですか?」

「ああ、そっちのかごだ。元から小せえやつらしい。物好きな農家が道楽で作ってんだがな、ソースにするにも歩留ぶどまりが悪いから人気がねえ。炒めりゃ肉の付け合わせにならんこともないけどな」


 籠に視線を遣る。

 投げ売りみたいに入っていたのは小さなトマト——つまり、

 それが目に入るや否や、僕は叫んでいた。


「これ、全部ください!」

「お、おう……」


 完全にドン引きして距離を取ろうとする店主を他所に、僕はにやにやと笑いが止まらない。ラッキーだった。まさかミニトマトが存在して、かつ、作物として育てている農家がいるとは。


 ひとつ口に放り込む。

 しっかりとした濃い酸味と、さっきのトマトよりははるかに強い甘味。日本で食べていたミニトマトにかなり近い。


「なんだよ美味いじゃん。どうしてこれが売れてないんだ? イメージのせいか? それとも、トマトはソースにするものだって思い込んでる?」

「またそのまま食いやがった……こいつほんとなんなんだよ……怖えよ……」


 店主のたわごとは無視して、僕は背後に向き直る。


「トモエさん!」

「先ほどからの奇矯ききょうにできればもはや他人のふりをしたいところですがそれではカレンさんがかわいそうなので返事をいたします。……なんですの?」

「そういうのはせめて内心だけに留めておいてくれます?」


 というか僕は、ここから更に奇矯なことを言うからね?


「店の厨房を使わせてもらえますか。新しいお菓子、できるかもしれません」

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